(学研「日本タテヨコ JAPAN AS IT IS」より)



【茶の湯(茶道】

日本人の書いた英文書として、今なお名著と言われる『茶の本』の中で、著者岡倉天心は、「茶道とは、日常生活のむさくるしい諸事実の中にある美を崇拝することを根底とする儀式である。」(桶谷秀昭訳)と簡ににして要を得て書いている。奈良時代に中国から伝えられた茶が、異国・日本で茶道として独自の文化を開花させたのはなぜか。
茶の湯にこそ、日本文化の特質が内包しているのかもしれない。

■茶の湯の歴史
日本に初めて茶が渡来したのは、奈良時代、遣唐使たちによってである。一時廃れたが、鎌倉時代には再び広まり、室町時代、将軍足利義政の下で、村田珠光が四畳半の佗茶方式を始めるに及び、茶は芸術性を高め、茶道となった。そしてこれを大成したのが、安土・桃山時代の千利休である。利休は豊臣秀吉の庇護を受けたがやがて対立、1591年秀吉の命により切腹した。茶道は子孫に受け継がれ、表千家、裏千家、武者小路千家の、いわゆる三千家を生んだ。流派としてはこの三千家を中心に、藪内家、遠州流、宗偏流など多くの流派を生み、今日に至っている。

■作法と心得
庭園や寺社の境内などに臨時の席を設けて行う野点の形式もあるが、茶道に茶室は欠かせない。
そしてこの茶室という狭い空間こそが茶文化をはぐくんだ。
茶を点てることは点前と言い、その手順は、茶碗に抹茶を入れて釜の湯を注ぎ、茶筅でかき回し泡立てる。
飲み方は右手で茶碗を取り、左の手のひらにのせ、回す。
飲んだ後は指先でぬぐい、指は懐紙(懐中の紙)でふく。
しかし、茶道とは単に茶を飲むのではなく、茶碗をはじめとする茶道具、茶室の調度、露地(茶庭)などの鑑賞、そして主人と客との心の交流にこそ本質がある。

千利休は茶の湯の心得を、「四規七則」と説いた。
「四規」とは和敬清寂で、和敬は茶会での亭主と客相互の心得。清寂は茶室、茶庭の清らかで閑寂な雰囲気を言う。
「七則」は他人に接するときの心構えで、「茶は服(飲みかげん)のよきように点で、炭は湯の沸くように置き、冬は暖かく夏は涼しく、花は野にあるように入れ、刻限は早めに、降らずとも雨具の用意、相客に心せよ、の7つが秘事」と言う。

(写真:井上隆雄)