
(学研「日本タテヨコ JAPAN AS IT IS」より)
【大衆芸能】
大衆芸能は寄席を舞台に、庶民の娯楽として栄えてきた。
テレビ・ラジオの台頭とともに娯楽の王座は奪われたが、今日では寄席ばかりでなく、テレビ・ラジオにも進出し、再び現代の娯楽として大きな位置を占めている。以下、主な大衆芸能を挙げると−
■落語
江戸時代初期んい起こり、江戸、大阪を中心に栄え、多くの流派を生む。
世相人情を風刺しながら、こっけいな話の展開と話術で聴衆を笑わせ、話の最後には巧みに「落」をつけるのが定型である。まだ駆け出しの落語家は「前座」と呼ばれ、高座では初めのほうに出演する。
また、一座の主たる格の芸人は「真打ち」と呼ばれ、最後に出演する。真打ちとは、それだけの値打ちがある落語家を言う意味で付いたが、今日では一人前になり、披露を済ませた芸人は「真打ち」と呼ばれている。
■講談
落語と並ぶ日本特有の話術芸能で、江戸・元禄時代に『太平記』を講じた名和清左衛門が祖とされる。
政談や武勇伝、御家騒動、あだ討ち、侠客伝、人情物語などを語り聞かせる。
当初は「講釈」と言い、明治に入って「講談」と呼ばれるようになった。
全盛期は大正までで、宝井馬琴、一龍斎貞山などを輩出した。昭和の後半には女性にも講談師として活躍する者が現れ、再び注目を浴びている。
■漫才
古くは13、14世紀ごろ、初春などに太夫と才蔵の2人が連れ立ち、おもしろおかしく掛け合いを演じ悪魔を払い、新年の繁栄を祝った「万歳」に端を発している。
漫才はその現代化であり、明治末期に関西で始まり、発展してきた。
出し物は作者が別にいる場合もあるが、自作自演も多い。
また最近は2人にこだわらず、多数で演ずるものや、楽器などバンド入りのものもある。
時代の進展とともに漫才も影響を受け、若手コンビによるテンポの速い漫才が人気を得ている。
■浪花節
講釈、物語、演劇、文芸作品などを材料とし、三味線を伴奏に、独特の節回しで歌い、語るもので、独演である。
江戸中期大坂に出た浪花伊助からこの名で呼ばれ、明治に入り桃中軒雲右衛門が盛り上げた。
義理人情、勧善懲悪を内容としたものが多く、「浪花節的」と言えば、義理人情に傾きがちなことの代名詞である。
「浪曲」とも言う。
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