くだるくだらない物語

近世の芸能文化は、ほぼ例外なく上方で花開き、江戸へと伝播した。徳川家康が入府して以来、首都としての機能と規模を急速に整え始めた江戸が、文化の面でも京、大阪に急速に追いつき、ついには量的に追い越すとともに、江戸中期、文化文政期には、上方の影響を脱して独自の文化を花開かせるに至るのである。

落語もほぼ同様の軌跡をたどる。中世の仏教説話を淵源とし、僧侶の話術として蓄えられたはなしは、桃山時代にお伽衆の口を通して支配者階級の愛玩物となった。江戸期に入って上方に安楽庵策伝、露の五郎兵衛、米沢彦八などの市井の名人上手の出現し、落語は庶民の無上の娯楽となった。

一方で、若くして江戸に下った上方生まれの塗師職人、鹿野武左衛門を嚆矢として、落語は江戸にも広がった。江戸時代初期には、上方は、落語の先進地域であり、多くの上方噺が江戸に移入され、江戸前の噺に仕立て上げられた。江戸時代も後半になると、江戸落語にも独自性がはっきりと現れ、上方とは一線を画した芸風が確立される。明治期に上方、江戸ともに落語界は不世出の名人上手を輩出し、全盛期を迎える。

教科書的に説明すれば、噺の歴史はおよそこんなところだが、何せ生身の、とびきり人間臭い男たちのことである。噺家たちの東西交流にはさまざまなエピソードがからんでいる。また、噺には江戸時代の東西の風俗の差異が興味深いかたちで遺っている。このコーナーは、そんな「噺の東西史」にスポットをあてようというものである。

第一回
「三人の三木助」
第二回
「どっちのまんじゅうがこわい?」
第三回
「空堀の円馬はん」
第四回
東京で開いた上方の花
第五回
「そして、さまざまな花が開く」
第六回(緊急版)
「故古今亭志ん朝と上方」
第七回
「出囃子なかりせば」
第八回
「桂文我出席控の東西」
第九回
「落語界のシーラカンス」
第十回
「亭号の東西史(一)」
第十一回
「亭号の東西史(二)」
第十二回
「亭号の東西史(三)」
第十三回(緊急版)
「柳家小さん急逝」

 

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