くだるくだらない物語

 

第二回

どっちのまんじゅうがこわい?

 

五代目立川談志は昭和61年(1986)に亡くなった六代目笑福亭松鶴のよき理解者である。“業の肯定”という談志の落語論に照らして、卓越した芸の力を持ちつつも自己の生き方を押し通し、大胆、奔放に生きた松鶴は、五代目古今亭志ん生にも通じる“落語マインド(これは今考えた私の言葉)”を持った噺家だったのだ。

が、松鶴を語るときに談志が枕詞のようにくっつける言葉がある。「『まんじゅうこわい』みたいなくだらない噺もしたけれど」という言葉である。

「まんじゅうこわい」を知らない人はまずいないだろう。落語の典型のような良く知られた話。煩わしいが梗概をおさらいすると、

若い者があつまって好きなもの、怖いものの言い合いをしていた、するとある男が「まんじゅうがこわい」という。日ごろこの男に反感を抱いていた連中は、まんじゅうを買い集めてその男の家に投げ込む。さぞや七転八倒しているもの、と中を覗き込むと男はうまそうにまんじゅうを食べている。連中がなじると、「今度は渋いお茶がいっぱい怖い」

この噺、東京ではさして重要視されていない。落とし噺として、せいぜい中堅どころが寄席で演じる。ホール落語でも真打の邪魔にならないようにさらっと演じるネタ、せいぜい20分である。ところが、上方では屈指の大ネタになる。残っている記録では件の六代目笑福亭松鶴が昭和46年(1971)島之内寄席で演じたときは54分20秒、現桂米朝が比較的さらっとやったときでも30分。真打がやるにふさわしい長さをもっているのだ。

談志に言わせれば、「このくだらない噺を延々とやる神経がわからない」ということだろう(もっとも、当代屈指の落語ファンでもある談志のことである。腹の中では理解できていて、あえて話している部分もあるのだろうが)

実は東西の「まんじゅうこわい」の落差の中に、江戸上方の感性の違いが浮き彫りにされている。今回はこれについて考えてみたい。

 

 

「まんじゅうこわい」、楽屋うちでいう「まんこわ」は、原典は中国の笑話集「笑府」からきている。江戸時代中期の「気の薬」などにも載っている古い話である。 当然、はじまりは上方落語であって、明治期に三代目蝶花楼馬楽が東京に持ってきたといわれている。(これには異説がある。江戸時代、江戸で刊行された噺本に「まんこわ」らしきものが載っているからだ)

ともあれ、本格的に東京で演じられるようになって90余年。東京の「まんこわ」は、いかに筋立てをすっきりと、きれいに演じるか、という方向に洗練されてきた。まんじゅうで仲間を計略にかける「松」という男の狡猾で、しかし粋な匂いもする男と、間抜けな連中をきれいに描き分け、落ちまでのストーリーをむだなく、粋に、とんとんと運ぶこと。だれもが知っている噺だけに、だらだらと演じては客もだれてしまう。粋を身上とし、スピーディな噺で聴衆を魅了した三代目桂三木助(前回参照)や、現柳家小三治が得意ネタにするのもうなずける。

それに比して上方の「まんこわ」である。こちらの演出では、まんじゅうをめぐる騒動は後半に押しやられ、前半部分、つまり「好きなもの」「きらいなもの」「怖いもの」を言い合いするくだりが延々と続く。いつしか若いものの話の輪の中に、いつしか「おやっさん」つまりいい年をした大人までが入り込んで、他愛もないおしゃべりに時間を費やす。そして、最後に登場するのがまんじゅうで計略にかける「佐藤蜜(または光)太郎」という男。ここからのストーリーは基本的に東京と同じだが、ここでも上方はこってりしている。まんじゅうの種類を延々と紹介したり、まんじゅうで男を殺害してしまったら「餡殺(あんさつ)」で新聞に載る(つまり東京は江戸時代の設定だが、上方は明治時代なのだ)、などというくすぐりが入ったり。こうした過剰ともいえる演出の挙句に落ちを迎えるのである。

六代目松鶴と現三代目米朝の「まんこわ」に出てくるまんじゅう一覧
六代目松鶴
三代目米朝(最近)
ともえ堂の太鼓まんじゅう、孤月堂の最中、橘屋のへそ(このごろ小さなった、のくすぐりあり)、ひさご堂のけし餅、かんせん堂のくりまんじゅう、駿河屋のヨーカン、高砂屋のじょうよう、 じょうよう饅頭、栗饅頭、蕎麦饅頭、田舎饅頭、けし餅、太鼓饅頭、へそ(へそばかり大きくなって小さなった、のくすぐりあり)
こうしてみると、まんじゅうには、「甘いものの総称」という意味もあったようだ。若手で「回転焼」を入れたものもいた。米朝は以前は店名を言っていた。おそらく実際の老舗店にはばかって店名を省略したのだろう。

 

 

ストーリーをくっきりと際立たせることに腐心した東京の「まんこわ」が、大ネタではなく、中堅、前座噺になっていくのは、当然の流れだろう。これに対し、ごてごてと飾りの多い上方の「まんこわ」が、大ネタといわれるのも当然のことだ。力量のない若手がこれをまるごと手がけても、聴衆は退屈するだけだ。しかし、力量たっぷりの噺家がゆとりをもって演じたならば、これは十分に当夜のメインディッシュになる。事実、桂米朝の「まんこわ」の「おやっさんの怪談」のくだりは客席に軽い悲鳴が上がるほど怖く、その顛末のくだらなさとあいまって、客席を堪能させる。松鶴は、狐に化かされるくだりをたっぷりと演じる。桂文珍も一時期この噺を手がけていたが、彼はまんじゅうを投げ込む現場にまでいい歳をした「おやっさん」がついてくる設定にして笑わせていた。

こうした、くどくどとした上方の演出が、東京落語の美意識から見て「わけがわからない」のは当然だろう。しかし、上方であのあっさりした東京「まんこわ」を演じたとしても、おそらく会場の反応は薄いだろう。

東京では、なにより粋さ、ほどの良さを重んじる。少々嫌味な言い方をすれば、聴衆は例え物足りなく感じても、またその粋さ加減がわからなくても、わかったふりをしてくれる。腹八分目の味わいを多として、納得してくれる。

かたや上方は、木戸銭を払ったらそれだけの元をとろうとする。笑って帰ろうとする。例えいい噺だったとしても笑えなければ、「損」である。だから、ストーリーが饒舌になろうとも、笑わせどころ、聞かせどころを並べ立てようとする。

東京の「美学」、上方の「サービス精神」くっきり分かれる演出の差。しかし、私は両者が同じ基盤の上に立っていることも強調しておきたい。それは「洒落」の世界。どのように演じようと、「まんこわ」の世界は、「他愛ない」の一語につきる。泰平の世の中、金はあまりないが暇だけを持て余している連中が、わざわざ元手を出してこんな遊びに興じる。その世界がわからなければ、「まんこわ」は、単なる寓話に過ぎない。真剣に馬鹿なことをやる気風は、都会だけに生まれる。(この噺は食べ物を粗末にしている、などという筋違いの野暮な批判は、少なくとも都会のものではない。)

極論すれば、上方と東京しかもち得ない「ゆとり」「無駄」がこの噺を醸成させたのである。


 


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