第十回

亭号の東西史(一)

一.亭号とは何か

 

芸人の苗字に当たる名前を亭号という。三遊亭、春風亭、笑福亭など「亭」をつけることからそう言うのだが、亭がつかない桂、林家、立川なども亭号という。よく新聞などで桂米朝、三枝など桂を亭号とする噺家を「桂さん」と呼ぶことがあるが、あれが間違いであることは、春風亭小朝を「春風亭さん」と呼ばないことを考えればわかる。芸人は、亭号だけを呼んでも誰だかわからないし、そもそも亭号はその噺家がどの芸流に属しているかを示すもので、姓とは全く異なるものなのだ。力士の所属部屋に近いといってもよいと思う。横綱貴乃花を「二子山さん」という人はもちろんいない。

さて、東西の落語界を見渡すと、同じ亭号が散見される。桂を代表格に、林家、それに橘家がそうである。少し前までは三遊亭も東西にあった。大昔は立川も東西だった。これら共通の亭号の多くは、もとをたどれば同じ芸脈であることが多い。今回から3回にわたって、亭号の東西史を取り上げて、落語の東西交流を追いかけてみたい。

その前に、ひとつお断り。亭号にはメインの亭号とその付属的な位置付けの亭号(仮にサブの亭号と呼ぶ)がある。例えば三遊亭のサブの亭号は橘家である。これは三遊亭の紋である「結び橘」に因んで作られた亭号。三遊亭の宗家「三遊亭円生」を襲名する噺家は、その前に橘家のとめ名(最高位の名)「橘家円蔵」を襲名するのが慣例だった。もっとも、現在は橘家と三遊亭は別の系統にわかれてしまっているが、本来は同門だったのだ。東西にこうした関係の亭号があるので、この稿では「サブの亭号」という表現を使うことにしたい。

 

二.桂、東西の系統

系図参照

現在、上方の噺家の70%は、「桂」を亭号としている。これに、桂のサブの亭号である月亭(江戸時代にできた。「月に桂」から来ている)を加えると75%が桂である。また、東京にも桂の亭号を名乗る噺家は数多い。これらは元をたどれば、江戸時代中期の大阪の名人初代桂文治の門流から生まれたのである。

初代桂文治は18世紀末頃から大阪で活躍。この当時は座敷で文人たちが演じる素人噺が主流だったが、文治は常打ちの小屋を坐間神社にもち、鳴り物入りの芝居噺で人気を得た。いわばプロの噺家、芸人としての噺家の嚆矢といってよいだろう。この初代文治門からは多くの噺家が出た。二代目文治は息子の文吉が継いだが、文吉の姉、幸の夫となった江戸の噺家扇勇(亭号ははっきりしない)が江戸に戻って三代目文治を名乗る。一方、上方では夭折した二代目文治の孫弟子が三代目文治を襲名。東西に二人の桂文治ができてしまったのだ。

この異常事態は次の四代目まで続く。しかし、五代目は江戸・東京が四代目の弟子桂文楽が継いだのに対し、上方は四代目(または三代目)門下で幕末期の上方落語界の大立者となった初代桂文枝が、文治を継がなかったためにここで途絶えてしまった。初代文枝がなぜ上方の五代目文治を襲名しなかったのかは詳らかではないが、初代文治の門人で、噺家から戯作者に転向した月亭生瀬(月亭はこの人が名乗り始めである)がその名跡を預かったという。明治維新によって一般人にも苗字が許され、戸籍が作られた際に初代文枝は、本名も「桂文枝」に改めている。ここに初代文枝の「上方の桂は文枝が宗家や、わしがその始祖や」という決意を見てとることはできないだろうか。現在、上方で桂を名乗る噺家は、すべてこの初代文枝から出ている。この後、上方は桂文枝の門下に「四天王」と称される実力者が出て(初代文三、初代文団治、二代目曾呂利新左衛門、月亭文都)全盛期を迎える。初代文枝の没後、二代目文枝襲名をめぐって激しい争いがおこるが、初代文三が二代目を襲い決着がついた。最大のライバルだった文都は桂を名乗るのを潔しとせず、月亭を名乗る。「本当は文枝を“つぎてい”だろう」と揶揄された。

この時点では、上方の桂は文枝、江戸東京は文治を宗家の名とすることで、落ち着いたように思えた。しかし、桂文枝の名を襲名した二代目文枝の系統が衰退するのと対照的に、初代文団治の門人二代目文団治が上方落語の主流にのしあがるとともに、文治の名を上方に奪還しようという動きが現れた。いかに衰退したとはいえ、二代目文枝の系統が続いているのに二代目文団治が文枝を名乗るわけにはいかない。それならいっそ、桂の根本の名を名乗ろうと考えたのだ。東西の噺家で話し合いが持たれ、一代限りという約束で二代目文団治が、七代目文治となり、東京の六代目文治は大和大掾を名乗る。二代目門弟米団治の三代目文団治襲名と併せた三名の襲名披露興行が明治41年(1908)、大阪で盛大に行われた。これが、上方落語の絶頂期だったと見る人もいる。

この後、約束どおり文治の名は東京に返され、六代目の義理の息子が八代目を、そしてその弟子が九代目を継いだ後、現在は旧名桂伸治が十代目を襲名している。十代目は現在落語芸術協会会長である。

代表的な桂の紋
三つ柏(桂全般)
結び柏(三つ柏略紋)
花菱(春団治系)
丸に違い鷹の羽(十代文治)

 

三、桂は西から東へ

系図を見ていただくとわかるが、三代桂文治以来、何度か上方の桂を名乗る噺家が、東京へと移っている。これまでご紹介してきた桂小文治、三木助の他に電飾を身にまとった踊りで人気を博した初代桂小南などもいる。系図には書ききれなかったが、初代門人の桂文吾という噺家も江戸で活躍した。しかし、東で桂を名乗る噺家が西へ移った例はない。こうしてみると、桂はやはり上方の亭号ということができるだろう。

現十代目桂文治は、粗忽者の噺や長屋噺を得意とする純然たる江戸の噺家である。上方との接点は芸名だけといっても良い。亭号の継承は芸の継承を必ずしも伴わない。しかし、十代目文治の襲名披露興行には上方の現五代目桂文枝、春団治、米朝らも駆けつけた。「桂」としての一体感は今も保たれているのだ。


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