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一
江戸落語の名流 三遊亭
東京、江戸落語の代表的な亭号、三遊亭は、実質的な江戸落語の鼻祖烏亭(立川)焉馬の高弟、初代三遊亭円生からはじまる。門弟に二代目円生、金原亭馬生、古今亭志ん生、三升家小勝などが出る。今は別個の大看板の名となっている馬生、志ん生、小勝などはもともと円生の系統から発生しているのだ。
三遊亭が江戸、東京で第一の亭号となったのは、二代目円生の門下に三遊亭円朝が登場してからのことである。円朝は幕末期には芝居噺で現在のアイドルなみの人気を誇り、明治維新後は一転して扇子一本の素噺で大家となった。人情噺を多くものにし、古典落語のスタイルも確立した。また、円朝の高座を速記した本は、口語文学として多くの文人に影響を与えた。現代の口語文、そして日本語の形成に円朝は多大な貢献をしたとさえ言われている。
門弟が実に多彩である。珍芸で売れた円遊、萬橘、円太郎。名人の名をほしいままにした三代目、四代目円生、四代目円喬、四代目円蔵。現在、東京で三遊亭を名乗る噺家は何らかの形で円朝の門流ということができる。まさに「江戸落語の大樹」というべき偉人だった。
二
三遊亭・橘家・立花家
三遊亭系図参照
さて、前回もご説明したが、落語の亭号には「メインの亭号」「サブの亭号」とでもいうべき区別がある。三遊亭のサブの亭号は橘家。
初代三遊亭円生の門弟は一人前になるとそれぞれが別の亭号を名乗った。先ほど述べた金原亭馬生、古今亭志ん生、三升家小勝などがそれだが、そのひとりだった橘屋円蔵(当時は家ではなく屋)が二代目三遊亭円生を襲名したことから、橘家は三遊亭の中に取りこまれた。橘家円蔵は、代々が三遊亭の有力な噺家が次ぐこととなった。五代目、六代目の円生が名乗ったほか、長命であったなら当然円生になったであろう四代目橘家円蔵もそうである。
いつのころからか三遊亭と橘家の亭号には使い分けをする慣習が生まれた。円朝、円生、円歌など、雅号、俳名的な芸名の亭号は三遊亭、円太郎、円蔵など一般の人名、俗称的な芸名の亭号は橘家。明治時代でも本来三遊亭であるべき円喬の亭号が橘家であるなど混乱は一部にあったが、その使い分けは一応守られてきた。推測するに、これは江戸の噺家に浅からぬ影響を与えた歌舞伎役者が芸名(役者名)の他に、俳名、屋号をもっていたことと関連があると思う。例えば五代目尾上菊五郎は、芝居に出るときは菊五郎、句会では俳名の家橘、梅幸、そして楽屋や贔屓からは音羽屋と呼ばれたが、そんな慣習を落語家たちが真似たのではないかと思う。また「円」の字は芸名の頭または中に配し、下につけないことも慣行となった。
さらに落語以外の芸(色物)に転じた芸人は他の亭号に変えた。女道楽(音曲)で、女将軍の異名をとった名人立花家橘之助(山田五十鈴主演の「たぬき」はこの橘之助の半生記)も円朝には孫弟子にあたるが、落語家でないので立花家を名乗った。色物と落語の区別を最も厳格にしたのも三遊亭だった。
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