第十三回(緊急版)

柳家小さん急逝

5/16、五代目柳家小さんが急逝した。

新聞の取材に応えて桂米朝は「金を払って見た最後の噺家でした」と語っていた。

昭和18年、姫路の学校を卒業した桂米朝は東京の大学に進み、寄席や庶民の風俗を題材に天才的な筆の冴えを見せていた作家正岡容(いるる)に私淑した。師匠の進めもあって米朝は東京の寄席を渉猟した。名人上手から、古老まで。落語講談から色物まで。さまざまな芸に接し、芸人の生態にふれた経験が、のちの米朝の芸の基盤となった。間もなく米朝は応召、戦後復員すると、滅びつつあった上方落語を支えるために桂米団治に入門しているから、米朝が小さんの芸に接したのは、戦中のわずかな期間だったと想像される。

米朝がわざわざ「金を払って見た」といっているのは言葉のあやではない。「小さん(当時小きん)の高座を目当てに行った」ということだろう。まだ30になるかならずだったが、小さんはすでに同世代から頭一つ抜けた存在だった。評判を聞きつけ、米朝は小さんの高座に接した。その記憶が60年近く経ったあとも強く心にあったのだろう。

日ごとに戦雲が濃くなる東京、少々うしろめたい気持ちをはらみながら、白皙の青年米朝は寄席に通い、そこで10歳年上の小さんの芸にふれた。二人の、そして東西でただ一人ずつの人間国宝はこうして出会ったのである。

小さんの大きさ、桁違いのすごさは経歴を見ればすぐに知れる。夏目漱石をして「天才」と言わしめた落とし噺の名人三代目柳家小さん、その愛弟子の四代目柳家小さんと続く「柳派」本流の系譜を、なみいる先輩を押しのけるかたちで継承。その後数年しておとずれた「落語ブーム」では、親子程も年齢の違う名人上手に伍してホール落語で主任(とり)をつとめた。1960(昭和35)年時点での年齢を比較しよう。

五代目古今亭志ん生(70歳) 八代目桂文楽(68歳)
三代目三遊亭金馬(66歳) 八代目林家正蔵(65歳)
六代目三遊亭円生(60歳) 五代目柳家小さん(45歳)

一癖も二癖もある先輩たちが小さんを認め、同列にならぶことを許した。(一つには当時の名人たちに純粋な落とし噺の名手が少なかったこともあるだろう)そして小さんは位負けすることなく高座で数々の名品を残し続けた。

こうした師匠連の膝元から新しい世代が育っていった。志ん生門からは実子の馬生、志ん朝、文楽門からは円蔵、正蔵門からは柳朝、孫弟子の小朝、円生門からは円楽、円窓。そして小さん門からは立川談志、小三治。落語一筋の大師匠連の正系から人気者が続々と生まれる。彼らはマスコミでの経験を肥やしにして新しい落語を創造した。それもこれも大師匠連が健在だったから。思えば幸せな時代だったのだ。

六代目円生が1979(昭和54)年に没してからは小さんには比肩する存在がいなくなった。それから23年もの間、小さんは孤高の存在であり続けたのである。

小さんの評判は上方では決して芳しくない。「何が面白いのかわかりまへん」という好事家さえいる。志ん朝や小朝のように、出てくるだけで高座がざわめくような花もない。談志のように客席を挑発するわけでもない。面白くなさそうに現れて、ぼそぼそと独り言のようにはじめる高座は、確かに陰気で、受け取り様によっては思わせぶりで、ストレートな笑いを求める上方には向かないと思われていたかもしれない。

しかし、私はそれは「食わず嫌い」と思っている。東京の大師匠連の中では、上方での口演回数が少なく、生の高座にふれる機会が少なかったことが原因である。小さんは、放送向きの芸人ではない。テレビやラジオでは真価が伝わりにくい。じかに接しなければ、その凄みは伝わらない。メディアから流れる音声、映像を見て「小さんはこんなものだ」と上方の聴衆は誤解をしていたのではないだろうか。

たとえば「試し酒」。酒豪の男が、大杯に一升酒を注いで飲み干すシーンがくりかえされる。小さんは、一杯目から二杯目、そして三杯と飲み進み、ようやく酔いがまわりつつある男を、最小限の言葉としぐさで表現する。聴衆はだんだんと引き込まれるように前のめりの気持ちになる。「ぐい、ぐい、ぐい」とのどをしぼって三杯目の大杯を飲み干すときには、小さんの顔は真っ赤になり、背後から異様な気配が立ち上る。聴衆は会場全体が小さんに飲み込まれるのではないか、とさえ思う。何ともいえない感嘆の声が「じわ」という響きとなって会場に広がるのである。私はこの「試し酒」を何度も聞いた。何度聞いても、もう一度聞きたいと思った。

「粗忽長屋」「笠碁」「禁酒番屋」「二人旅」「宿屋の富」「たぬさい」それぞれ、素焼きの器のような素朴さの中に、日本刀のような冴えた表現や、意外なほどの狡猾さや、可愛さ、可憐さなどの魅力をたたえていた。みんな小さんならではの噺だった。

門弟に恵まれた。小さんの名は四代目、五代目ともに柳家小三治を名乗った噺家が継承している。小さんの落とし噺の味を受け継ぎつつ稀代のストーリーテラーでもある小三治が六代目となるだろう。入船亭扇橋、鈴々舎馬風らベテランも健在。さん喬、小里ん、権太楼、小ゑん、本格派もいる。そして立川談志は小さんとの愛憎半ばする師弟関係を語り続けるだろう。祖父とは違う資質をもつ孫、柳家花禄は、次の、落語にとっては多難な時代を担うだろう。

まさに大往生。小さんの死は、落語と世の中の幸せな関係の終焉を意味している。ひとつの時代が終わったのである。