八代目桂文楽

明治25年(1892)-昭和46年(1971)

明治41年初代桂小南(二代目桂南光の弟子である)に入門し小莚、曲折を経て五代目柳亭左楽の門人翁家馬之助から八代目桂文楽。大正中期には春風亭柳橋などとともに若手の超売れっ子だった。戦後は落語協会の中核として活躍。無駄を極度に省いたみがきぬかれた芸風は戦後落語の最高峰とされた。今、落語を知らない人でも「お後がよろしいようで」と定型句のように言うが、これは文楽の口癖だ。ある意味で戦後の落語家のイメージはこの文楽によって固まったといって良い。純粋な東京落語だが、最初の師匠は上方落語の桂小南、心酔し芸の上でも継承したのは大阪生まれの三代目三遊亭円馬だった。三代目三木助は、実質的な弟子である。