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日本人はどのように暮らしてきたのでしょう。
家、庭、家具・・・など住まいに関することをまとめていきます。 |
(学研「日本タテヨコ JAPAN AS IT IS」より)
【建築】
建築は、その土地の気候、風土、習慣に大きく制約される。
日本は、湿潤で四季のある気候であることと、素材として木材が豊富であることなどから、建物は木造で、床下および室内の風通しをよくし、屋根には勾配をつけ、軒を出して気候に合わせている。
座る生活に合わせて床上には畳を敷いている。
■仏教建築
寺院建築は中国の影響を強く受けているが、屋根の反りが少なく、軒が深い店、優美な曲線と直線のコントラストなど、日本化したものとなっている。
法隆寺、唐招提寺など、7〜8世紀の遺構が現在、奈良県下に数多く残されており、、法隆寺は世界最古の木造建築である。
■神社建築
日本建築の最も古い様式を残しているのは神社で、高床式、彩色を施さない白木造り、かやぶき、地面に直接柱を立てる堀っ立て柱で、典型的なのは伊勢神宮、出雲大社、住吉大社などである。
上述の神社以外の神社は、神社建築の特徴のいくつかを残しながら、仏像建築の影響を受けた建築となっている。
■住宅建築
住宅建築は奈良時代までのものは遺構もないので明確ではないが、平安時代になると、神殿造りが貴族の間では一般的になる。
主人の起居する神殿を中心に、対屋、池に臨む釣殿を造り、それぞれを廊下でつないだもので、家内は板敷きだった。
室内に畳を敷きつめるようになったのは室町時代末期からで、さらに桃山時代になると書院造りが完成する。
これは現代の日本建築にみられる床の間、違い棚、ふすまなどを備えた建築で、桂離宮、修学院離宮などがその代表的なものである。
■城郭建築
戦国時代から造られた城は、石組みと木骨に白壁で、3〜5層の高層建築を造り上げた。姫路城がその典型である。
【庭園】
欧米の庭園が、樹木や石材を幾何学的に整然と配置するのに対し、日本の伝統的庭園は、自然の一部を再現する風景式庭園である。
水流、池、石組み、樹木、築山などの取り合わせで変化をつけ、自然のままの風情を出している。その考えが行きついたところが借景で、遠方の山や、そこから見える風景そのものを、庭の景色の一部として取り入れたものである。
日本の伝統的庭園はこのように自然の景色の一部を織り込んだものであり、この日本庭園の様式が現代にも生きている。作庭の思想の上からは、日本の庭園は自然中心主義のものと、宗教性を帯びたものとの二つの流れに大別できる。
■自然中心主義の庭園
自然中心主義の庭園は飛鳥時代にさかのぼり、その日本庭園の様式を結晶させたのが寝殿造り庭園である。
寝殿造り庭園は、築山、池、遣り水に樹木を配したものだが、現在、その完全な遺構は残っていない。自然中心主義の庭でもう一つ代表的なのは、江戸時代に造られた大名庭である。諸国の大名が、その国元や江戸の屋敷に造らせた大規模な庭園で、回遊式の庭に天下の名所を模した景観を造り、また名石、名木を豊富に使っている。日本三庭園と呼ばれる水戸の偕楽園、金沢の兼六園、岡山の後楽園などがそれであり、都市の中に大面積をもつ近代公園の性格をもち、現代ではすべてが公園として一般公開されている。
■宗教性を帯びた庭園
宗教性を帯びたものとしては、平安時代後期から鎌倉時代にかけて造られた浄土庭園がある。
当時流行した極楽浄土への信仰から生まれたもので、浄土曼荼羅などに描かれているように、池を堀り、その中に中島を造って橋で結び、その向こうに阿弥陀堂、金堂を設けたもので、京都宇治の平等院鳳凰堂庭園はその初期のもの、京都の金閣寺庭園は、浄土庭園と住宅庭園とが融合した末期のものである。
室町時代から禅宗寺院になって、「任運無作」という、ありのままにこだわらないことを本旨とし、山川草木すべてが仏の相を備えているという禅の精神にのっとり、抽象化、象徴化された庭が造られた。石組みを仏像になぞらえ、流れる水は白砂で表し、超自然的な深山幽谷の趣を表現した。それが石庭であり、枯山水である。
京都の竜安寺の石庭、大徳寺・大仙院の庭園などがこれで、その抽象性は現代芸術における抽象性と相通ずるものが多い。
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