つづらとはー
昔話の「舌切り雀」にも出てくる「つづら」は昔から日本人の入れ物として親しまれてきました。竹などの植物を編んでそれに和紙を貼り、漆などを塗ってできた箱、それが「つづら」です。和服を入れるつづらから相撲の明荷(あけに)まで、様々な種類のつづらを作る「渡辺商店」をたずねました。
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| つづらの歴史 |
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中国から伝わったとされる「つづら」は最初、藤蔓(ふじづる)やアケビ蔓などを編んだものだったようです。物を収納する道具としては一番古いもので、正倉院にもその頃のつづらが残っています。
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御書箱
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赤漆塗柳箱 第1号
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正倉院には、植物材を編んで作った箱や籠が多く見られます。
その中でもこの「御書箱(おんしょのはこ)」は代表的なものです。縁はエゴノキ 芯材はアケビの蔓。用途は筆やじゅず、仏前に献納する品物を納めたり、散華のための花弁を盛ったりしたものと思われます。
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こちらも正倉院宝物です。
この赤漆塗柳箱(せきしつぬりのやなぎばこ)は柳の細い枝を縦に並べ、絹糸を絡めて編んで本体を作り、エゴノキの縁木を取り付けています。柳のつづらは現在でも「柳行李(やなぎこうり)」として作られています。 |
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たんすのない時代には収納する道具として使われていました。
防虫効果もあり、通気性がよく、樟脳(しょうのう)を入れなくても虫がつかない大変機能的な入れ物でした。昔は必ず嫁入り道具の一つにもなっていたようです。
また昔の百貨店などでは自転車の後ろにつづらをのせて配送用に使いました。
一般には「つづら」と呼ばれていますが、京都では「ぼて」と呼ばれています。 |
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| つづらの工程 |
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京都の竹
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竹を割る
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| 1年間寝かした竹を、使う一日前に一晩水に浸けておきます。その竹を勢いよくきれいに割っていきます。 |
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竹をへぐ(剥ぐ)
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| あぐらに組んだ右足で竹をおさえて、へぎ包丁で約8枚に剥ぎ1mm以下の薄さの竹ができます。この仕事が一番難しい作業です。
真竹など他の竹に比べると孟宗竹はへぐのが難しいとのこと。 「竹割り(竹をへぐことも含めて)10年というけれど、10年してもむずかしい仕事です。」
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編む
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網代編み
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四つ目編み
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貼る(和紙)
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| 貼ったあと「かき竹」で全体を力いっぱいこすり、強くしていきます。
かき竹は渡辺さんの考案した道具です。 |
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蚊帳(かや)を貼る
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縁の部分には補強のために蚊帳(かや)が貼られます。明荷には全体に貼られます。
程よい目の粗さが、糊をつけるためにはちょうど良いのです。
貼ったあとさらにかき竹でこすり、竹との密着度を強めます。
最初は蚊帳を手に入れるのに大変苦労したそうですが、相撲の明荷をするようになり、テレビで「明荷の強さの秘密は蚊帳にある」と放送されてからは「使ってください」と、全国から集まるようになりました。
それを大切に少しずつ使うようにしています。 |
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塗る
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柿渋の下地の上に伝統の色を塗ります。塗料はカシューと言われるカシューナッツの木の樹液を原料としたもの。色は、黒、洗朱、溜色などがあります。柿渋をそのまま表に塗ることもあります。
このような仕上げの作業は、ホコリの少ない夜に行われます。 |
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描く
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| つづらの種類 |
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明荷(あけに)
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文楽・歌舞伎
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道具入れ
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呉服入れ
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| 茶道具など道具類を入れるつづらは主に黒で、そこに朱で名前が入れられます。上部の両側の部分に持ち手用の穴があいていて持ち運びやすく出来ています。 |
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| 着物を入れるためのつづらです。かつては嫁入り道具のひとつとして使われていました。大小少し大きさの違うつづらを組み合わせて「み」と「ふた」になっています。柿渋を下地に塗るため防虫効果があることや、通気性がよく湿気を含まないなど呉服類を収納するには最適のものです。
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文箱
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| 思い
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「昔はこのつづら作りも分業の世界でした。
うちも、最初はつづらの下木地(したきじ)屋だったんです。作った後は貼り屋に持って行ってたんですけど、戦後生活していく中で、私も親父から手伝えと言われて、中学に席をおきながら修行しました
。
時代が変わって、つづらそのものの需要が減ってきて、やる人も高齢化していった時、続けるかどうか迷ったんです。
でも、生きる道もないし、下木地屋におわらず、一貫して全工程をやりたいと思うようになりました。
職人というのは消費者に直接売るのが一番良いと思ったんです。竹薮から消費者へ、と考えてやることにしました。」
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「伝統というのは守っているだけではすたれていく。守りながらも新しい分野を見つめて自分なりにアイデアをこしらえて、責めていかんならんと思てます。
古いものは古いものの良さを残し、新しいものはマンションなどにも合うようなもの・・・そんなモノづくりをしていかなければアカンと思てます。」
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