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《「にほんのこころ」は平成14年から15年にかけて取材させていただきました 》


日本の暮らしは、木と紙の文化だと言われます。その中でも、特に越前和紙はその品質の高さと種類の豊富さが有名です。横山大観や竹内栖鳳など日本画の大家からも愛された和紙を、今も漉きつづける岩野平三郎製紙所を訪ねます。


 
和紙の里 今立町  

越前和紙は1500年の歴史を持ちます。中国から朝鮮半島、そして日本へ伝わり,、この地に根付きました。

 
川上御前(かわかみごぜん)

今立町大瀧(おおたき)にある岡太(おかもと)神社は全国で唯一の紙の神様、川上御前を祀(まつ)っています。
1500年前に岡太(おかもと)川上流に美しい姫が現れ、この地で紙を漉くようにと言い、人々に漉き方を教えて消えてしまいました。以来、この女神を川上御前としてこの地に岡太神社を建て祀られています。
国の重要文化財に指定された、その優美な社殿に、この地の紙を漉く人々の厚い信仰を集めてきたことが伺えます。

   
紙漉きの里

今立町には、紙漉きにたずさわる家七十軒、その中で手漉き和紙を生業(なりわい)とする家は四十軒を数えます。

 
   
寒漉き

「水で紙を漉くということが一番大切です。ここの水は紙を漉くのに適しています。」と岩野さん。
水の良さが和紙の質を左右します。
ここでは雑菌がなく、ネリ(紙漉きに欠かせない粘り気のあるトロロアオイ)との相性がよい井戸水と湧き水を使っています。

 

古来より「紙は寒漉き」が良いと言われています。これは紙漉きには欠かせない「ネリ」の粘度が高く、また腐敗もしにくいからです。
真夏にはその「ネリ」の粘度が低くなり、一定の条件で作業が出来ず、また菌が繁殖しやすく、仕事がしにくいのです。

 
   
和紙の歴史  
   
和紙は2000年前に中国で発明されました。そのときの原料は麻でした。
仏教伝来と共に日本にも伝わり、楮(こうぞ)や雁皮(がんぴ)という木の皮を使って「流し漉き」という日本独自の技法が発展しました。
   
岩野平三郎製紙所の歴史
 
初代岩野平三郎
明治から大正時代、一人の名人がこの地に生まれました。初代平三郎さんは大変な研究熱心で、紙漉きの達人と言われました。従来の越前和紙に飽きたらず、様々な様式を考案し、原料の配合に工夫を重ね多くの模様を作り出す一方で、中国伝来の麻の繊維で漉く「麻紙」の復元を成し遂げました。
   
   
日本画家との交流
その麻紙の復活によって、近代の日本画は飛躍的発展を遂げたと言われています。
横山大観、小杉放庵、竹内栖鳳ら近代画の巨匠たちと交流し、白麻紙、雲肌麻紙など後世に残る日本画紙を創り上げました。
   
岡大紙

大正14年、横山大観の求めに応じて早稲田大学の壁画「明暗」のために5.4m四方の岡大紙を漉きました。
長さ、幅ともに5.4m、重さは12kg。当時世界最大と言われる紙でした。

 
   
   
薬師寺復興写経

二代目平三郎さんのときに薬師寺復興百万巻写経用の紙を漉くようになりましたが、今では600万巻にも700万巻にもなっています。

 
 
   
大唐西域壁画(だいとうさいいきへきが)
昭和55年に玄奘三蔵院(げんじょうさんぞういん)が建立(こんりゅう)され、そこに平山郁夫画白が大唐西域壁画を描くことになりました。三代目平三郎さんは平山画伯に直接会い、紙の種類、大きさを相談して決めました。
2年間かけて道具類、工房を整えて、2m70cm×3m80cmの大きさの雲肌麻紙(くもはだまし)50枚を漉き上げ、昭和58年に納めました。
打雲紙(うちぐもし)
雲肌麻紙(くもはだまし)

初代平三郎さんが姉の嫁ぎ先で習った技術で平安時代から続く美術工芸紙です。
流し漉きの原理から生まれた模様が雲のようなかたちに漉かれます。
この技術で三代目平三郎さんは、県無形文化財に指定されました。

 

初代平三郎さんが絵を描くための紙として開発したものです。 麻と楮が主原料となり雁皮が少量入っています。
この紙は通常の裏を表として使います。紙の裏を板につけるため繊維が絡まりながら雲状になり絵具がのりやすく厚塗りに耐えうる紙になります。

 
 
和紙の種類
越前和紙は紙の種類が多いことも特徴のひとつです。
   
奉書紙(ほうしょし)
鳥の子紙(とりのこし)

中世に越前からはじまり、特に江戸時代に公用紙として盛んに使われた、高級な楮(こうぞ)紙です。
古文書の形式に、将軍の命令を奉じて下の者の名で出す奉書という書式があり、 次第にその奉書を記した高級紙をも奉書と呼びました。

 

雁皮(がんぴ)紙の一種で、中世にあらわれた紙。
この滑らかな肌合いと色が鶏の卵に似ているところから「鳥の子」と呼ばれつけられた紙名といわれます。 中世では越前鳥子という記述が多いので、越前紙からはじまったものとみられます。

 
 局紙(きょくし)
麻紙(まし)

明治時代に開発された、滑らかで腰の強い紙です。
明治8年に大蔵省紙幣抄紙局にて越前和紙職人による指導が始まり、2年後三椏の溜め漉きによる印刷局紙いわゆる、局紙が完成しました。
現在では主に株券や卒業証書として多く用いられます。

 

2000年前中国で発明された最初の紙が麻紙。 仏教伝来と共に日本に伝わってきました。
それを初代岩野平三郎さんが、京都帝国大学の内藤湖南先生の勧めに従って研究し、大正時代に日本画用紙として復活を果たしたものです。今日、日本画用紙の大半を占めています。

 
   
美術工芸紙

漉く工程の中でさまざまに模様をつけられた漉き模様紙は、越前和紙を特徴づける代表的な存在です。
平安時代から続く「打雲」「飛雲」「墨流し」、江戸時代に始まる「水玉紙」に起源をたどることができ、伝統の技法を背景に、さまざまな技法が編み出されてきました。
打雲紙をはじめ、研究熱心だった初代平三郎さんは様々な模様のついた紙を考案しました。雲華(うんか)紙、七夕紙、東風紙、飛龍紙、スミレ紙・・・

 
 
和紙の原料
楮(こうぞ)
クワ科。製紙原料として最も古くから使われ、中国で最初に紙が漉かれた時にも使用されたと言われています。
繊維が長くしなやかな紙になり、日本画用紙、書道用紙などに多く使われています。
 
クワ科。1センチくらいの長い繊維が採れます。比較的どのような土地柄でも育ちますが、主な産地は高知県、茨城県。
繊維が太く長いため、強い紙が作れます。
奉書紙、水墨画用紙、書道用紙などから、和紙人形、工芸品の紙にいたるまで幅広く使われます。
 
   
雁皮(がんぴ)
三椏(みつまた)
ジンチョウゲ科。紙の王様と呼ばれ、わが国では古くから使われていました。
栽培が難しいため山野に自生しているものを使います。細かい繊維で、薄くて強い光沢のある紙ができます。また虫害に強いので保存が必要な紙などに使われます。
 
ジンチョウゲ科。原料の中では最も新しいものです。
明治期頃から使われるようになりました。枝が三つに分かれているので三椏といいます。
5ミリ程度の繊維の長さ。 襖(ふすま)紙、印刷用紙などに用いられます。
 
   
ネリ(トロロアオイ)
これは原料ではなく、紙を漉くときには欠かせない材料です。
アオイ科のトロロアオイという植物の根を潰して水につけ、粘度のある液を作ります。これをネリと言い、漉槽(すきそう)に入れて原料と一緒に攪拌(かくはん)します。
このネリは、セルロースと同じ多糖類なので、これを入れることで繊維をぬるぬるで包み、互いに絡み合わせることなく水中に分散させ、均質な厚みの紙を漉くことが出来るのです。
 
和紙作りの工程  
 
煮る

 

 

 

 
煮釜(にがま)まで原料を煮ます。2〜3時間くらい煮ると柔らかくなってきます。十分煮上がった原料を取り出して、水にさらして漂白します。
ちり取り
水の中で木の繊維の小さな傷やホコリを一つ一つ人の手で取り除いていきます。大変根気のいる冷たくつらい作業ですが、これが美しい和紙を作るための大切な工程です。
   
叩解(こうかい)
繊維をほぐす作業です。機械化はここだけ。大正時代に機械化したそうです。 昔は樫の板の上で欅の棒を使って叩いて繊維をほぐしていました。 ここで原料同士を混ぜたり色染めをしたりします。
 
ネリを繊維と混ぜる
ほぐされた繊維とネリを混ぜて漉きます。漉槽(すきそう)にはった水の中に原料を溶かし込み、ネリを入れてよくかき混ぜます。
   
漉く
   
漉簀(すきす )を敷いた漉桁(すきげた)ですくい、前後左右にゆすって繊維をからませ、紙の層を作ります。この漉き方で紙の厚さや風合いが決まります。紙の厚みなどを確かめるために自然の光の中で紙を漉くのがいいとのことです。
   

左の男性が手をつけているのは「手湯(てゆ)」。手を温めるためのお湯です。時々手を温めて冷たい作業を続けるのです。

 

漉きあがった大きな紙を布の上に置いていきます。

 
   
乾燥
漉かれた紙は水気を絞った後この乾燥室で乾燥されます。天日(てんぴ)ではなく室(むろ)乾燥が越前和紙の特徴でもあります。
薄い紙は刷毛で、厚い紙はローラーを使って板に貼ります。板は木目がなく滑らかな銀(いちょう)を使います。紙のツヤや特徴をそのまま出すことのできる板です。
   
板にはったまま乾燥室から出てきた紙はへらではがされます。はがした板はそのまま次の紙を両面に貼られて乾燥室へ入れます。その繰り返しが続きます。 そのあと検品を経て完成となります。
   
   
打雲紙(うちぐもし)作りの工程
平安時代から伝わる美術工芸紙です。 流し漉きの原理から生まれた模様が雲のようなかたちに漉かれます。
   
左は初代から100年以上に渡って使われてきた「ゲンノウ」です。これで藍などで染めた和紙を40分くらい叩き続けます。そうすることで紙の繊維を細かくするのです。
   
薄く柔らかくなった紙を水につけて、さらに樫の棒で叩き、繊維をほぐします。
   
   
叩いてほぐした繊維を水に溶かし、それを模様にして漉きます。
   

微妙な振動で、漉きあがった和紙の上にその繊維を漉き入れて、たなびく雲の形に作り上げます。
「不安定な水を模様にするのです。経験と練習しかありません。」と岩野さん。

   
思い
若い漉き手
岩野さんの工房には紙が好きで遠くから働きに来る若い人がたくさんいます。伝統工芸士の資格を持つ年配の漉き手といっしょにきびきびと働く姿には越前和紙の将来の明るさを見ることが出来ます。
 
漉くよろこび
「1枚漉くごとに、良い紙を作りたいなと思います。」

「一番難しいのは厚みなんですが、厚みを揃えながら、きめの細かさとか繊維のからみを見ながら、その努力が紙になって現れて、そのまま干せて、一枚一枚がこの紙になったなぁと思うときが、紙作りの楽しさにつながっていきます。」
   

岩野平三郎製紙所
〒915-0234福井県今立郡今立町大滝
TEL 0778-42-0042 FAX 0778-42-0410

 
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