【日本の文学(1)−古代】 ■最古の歴史書 日本には仮名文字と「真名」と呼ばれる漢字があり、これらの文字を組み合わせて文章がつづられている。 その中の漢字は5世紀ごろ中国大陸より朝鮮半島などを経て日本に伝えられ、今日も活用されている。漢字が伝来する以前は日本には文字がなく、したがって分権的なものも見られず、民族の伝承は人から人へ語り伝えられていた。 また、漢字が伝えられて以後仮名文字が草案されるまで、しばらくは漢字による日本語の表記が行われた。日本の古い歴史書と言われる『天皇記』や『帝紀』などは残念ながら残っていないが、古代皇室の皇位継承を中心とした記録であったらしい。 ■『古事記』と『日本書紀』 現存する最古の歴史書『古事記』は全3巻より成り、上巻は神の系譜と神話、中巻は神武天皇から応神天皇、下巻は仁徳天皇から推古天皇までの叙述である。 天武天皇の命により稗田阿礼・太安万侶が712年に完成した。続いて舎人親王・太安万侶らにより720年、『日本書紀』全30巻が成立した。 神代から持統天皇の代までを漢文の編年体でつづったもので、前書同様、皇室の系譜や民族の古い伝承を明らかにする政治的目的のもとに完成した。 以後、『続日本紀』(797年)、『古語拾遺』(807年ごろ)、『日本後紀』(840年)、『続日本後紀』(869年)というように編纂されている。 ■初の地誌『風土記』 元明天皇の713年、各地に地方のありさまを編述させた『風土記』は、日本では初めての地誌で、今日完全な姿で残っているのものは『出雲国風土記』(今の島根県)だけ。常陸(茨城県)、播磨(兵庫県)、肥前(長崎県)、豊後(大分県)は一部欠落して伝わっている。 内容は地名起源の説話、伝説、生活習慣、信仰と行事、産業と産物など多岐にわたり、民族学的にも貴重な資料となっている。 ■『万葉集』と『懐風藻』 現存する最古の歌集『万葉集』は全20巻あり、大伴家持が中心となって編纂した。 8世紀中ごろまでの、上は天皇から下は無名の民衆まで、長歌・短歌含めて約4500首が集められ、万葉仮名と呼ばれる表記法が用いられていたことを反映して、盛んに詠まれた漢詩を集めた日本最古のもので、751年の採録である。 撰者も諸説あり、詩文も大陸詩の模倣の域を出ないものが多い。 【日本の文学(2)−王朝】 ■王朝文学の先駆け 8世紀の終わり近く、都が平城(奈良)から平安(京都)に移され、以後12世紀後半の武家政治の台頭まで、政治はこの地を中心に行われ、皇室をめぐる貴族社会は全盛を極めた。 この時代は公式文書に用いられた漢文に対し、生活に即した仮名文字の発達もあって、和歌や物語文学がけんらんとたる花を開く。 その先駆けとなったのが、美しい天女かぐや姫を主人公とする『竹取物語』(9世紀ごろ)である。 ■王朝文学の傑作『源氏物語』 『竹取物語』と同じころに書かれ、『源氏物語』に影響を与えたと言われる『伊勢物語』は、在原業平ではないかと思われる人物を主人公とする歌物語である。 和歌を物語の軸に据えたものとしては『大和物語』『平中物語』などがその後に続く。 王朝文学の傑作と言われる『源氏物語』は、日本文学の代表作として定評がある。 作者は紫式部がほぼ定説になっており、1010年ごろ成立した、全54帖という大長編小説である。 天皇の子でありながら母が身分の低い女性であったため臣籍を降った光源氏という貴公子を主人公とする正編44帖と、その子の薫君を主人公とする10帖から成る、宮廷生活を中心とする女性遍歴の恋物語である。 ■女流の日記文学 『源氏物語』の作者が著したものに『紫式部日記』がある。 当寺の宮廷サロンに仕えて暮らしていた女性には和歌をよくし、そのころ盛んに編まれた勅撰の和歌集に入選するものもたいへん多かったが、日記や随筆が書かれたのも王朝文学の特色である。 このほか、代表的なものに『蜻蛉日記』(藤原道綱母作)、『和泉式部日記』、『更級日記』(菅原孝標女作)などが知られ、随筆文学では清少納言の『枕草子』(11世紀初)がある。 こうして見ると王朝文学は女流の花盛りの観を呈するが、これも男性文学と言われた漢字に対する仮名文学の発達があったからである。 男性による最初の仮名書きの作品に『土佐日記』(紀貫之作・10世紀)という旅日記がある。 ■説話文学『今昔物語』ほか けれども王朝文学の花盛りの陰には、庶民生活の不安を反映する物語も生まれている。 『日本霊異記』(9世紀)、『今昔物語』(12世紀)、『宇治拾遺物語』『古今著聞集』(ともに13世紀)などで、これらの説話文学は仏教の教えを説く因果応報をはじめ、動物と人間の婚姻譚、妖怪譚などで埋められている。 【日本の文学(3)−武家もの】 ■軍事物語の誕生 12世紀半ばに起こった保元の乱を契機として、武士階級による中央政権への進出が始まり、やがて源氏や平家による武家政治の実現を見る。 もちろんそこには源平両軍の流血の政権交代劇が行われたわけで、その中から起こってきたのがいわゆる軍記物語である。 保元の乱を扱った『保元物語』、平治の乱の『平治物語』、源平合戦と平家の滅亡を描いた『平家物語』などがあるが、これらの3書は初めから筆で書かれたものではなく、いずれも琵琶法師によって街頭で語られたものを原型として成立を見たユニークなものである。 もともと「語り物」として発生したものなので、音読しても快い語感の響きを持っている。特に『平家物語』は軍記物語の最高傑作と言われ、盛衰と興亡を一身に担った平家一門の滅び行く姿は、美しくもまた哀れ深い。 ■その他の軍記物語 平家を滅ぼした源氏は現在の鎌倉市に幕府を開き、以後北条氏が執権として政治を掌握し、次の足利氏が京都・室町に幕府を樹立するという、武家政治にもそれなりの変遷がある。 そうした世相を反映して軍記物語が世に歓迎され、13世紀半ばに成立を見た『源平盛衰記』、14世紀の『曾我物語』『太平記』、15世紀初めの『義経記』などが代表的作品である。 特に『太平記』は江戸時代には「太平記講釈」と言って太平記読みが流行し、庶民の間にまで親しまれた。 そのほか、歴史物語としては『大鏡』『今鏡』『水鏡』(いずれも12世紀)があり、異色の書としては僧茲円が仏教の理念に立ってまとめた『愚管抄』(13世紀)がある。 また、鎌倉幕府の公的記録と言われる『吾妻鏡』も武家社会を知る上で、重要な資料となっている。 ■隠者の文学『方丈記』『徒然草』 武士の身分を捨て、遁世の道に生きた西行の歌集『山家集』(12世紀)や、大火、辻風、遷都、飢饉、大地震などを体験したことから、これを末世の世相として市井の暮らしに無常を感じ、山家に隠棲した鴨長明の随筆集『方丈記』(13世紀)、神官の家に生まれながら出家し、自由な生活に身を置いた吉田兼好の、偽善者の徳や宗教家のあり方、人の進むべき道などを説いた随筆集『徒然草』(14世紀)は、今日もなお人生の思索の書として、広く読まれている。 【日本の文学(4)−町人もの】 ■町人文学の起こり 徳川氏が政治の実権を握っていた江戸時代は、江戸(今の東京)や大坂を中心に栄えた町人文化の時代でもあった。それというのも、太平に慣れた武家に代わって経済の基盤に根を据え、主導権を握っていたのは商人たちのほうであったからである。 特に印刷技術が開発され、木版刷りの技術が普及すると出版業者・職業作家が現れ、いきおい町人ものの文学、読み物が出版されるようになった。 十返舎一九の滑稽本『東海道中膝栗毛』や式亭三馬の『浮世風呂』、滝沢馬琴の伝奇小説『南総里見八犬伝』(ともに19世紀)などは空前のベストセラーになっている。 ■井原西鶴の文学 江戸時代町人文学の代表的作者と言ったら、井原西鶴を真っ先に挙げなくてはなるまい。 愛欲小説『好色一代男』『好色一代女』、町人の経済生活を描いた『日本永代蔵』『世間胸算用』などは彼の作品で、特に『好色一代男』は現実主義的な近代小説に先駆けた作品とも言われ、主人公・世之介の、7歳から60歳までの女性遍歴を描いた物語で、『源氏物語』を下敷きにしてストーリーが展開する。 ■日本のシェークスピア・近松門左衛門 西鶴と同じころ活躍した浄瑠璃・歌舞伎狂言作者の近松門左衛門も忘れてはならない人である。 当時市井に頻発した心中事件にヒントを得て書いた『曽根崎心中』『心中天網島』、飛脚問屋の忠兵衛と遊女梅川の悲恋を描いた『冥途の飛脚』、中国・明朝の遺臣と日本女性の間に生まれた男子がやがて明朝を復興しようとする『国性爺合戦』などは今日もよく上演され、大向こうをうならせている。そのほか江戸時代の劇作家では近松半二、鶴屋南北、河竹黙阿弥などが知られている。 ■怪談集『御伽婢子』と『雨月物語』 浅井了意の『御伽婢子』(1666年)は怪異談集で、この中には三遊亭円朝が高座にのせて評判をとった『怪談牡丹灯籠』の原話も入っている。 これは18世紀の中ごろ成立した上田秋成の『雨月物語』にも多大の影響を与えている。秋成には、このほか『春雨物語』という怪異談集がある。ところで、歌舞伎の『東海道四谷怪談』(鶴屋南北作)もそうであるが、このように怪異談が好まれた世相の背景には、庶民の不安感があったことも見逃せない。 【日本の文学(5)−近代】 ■近代文学への歩み 江戸時代の鎖国政策から脱し明治に入ると、日本の近代化への歩みは着実に進められ、文学もまた二葉亭四迷のツルゲーネフに関する翻訳紹介や上田敏の訳詩集『海潮音』などに見られるように、海外の文芸思潮を取り入れ、新しいあり方を探ってきた。 そうした運動推進の代表的な人に坪内逍遙がいる。 逍遙は小説・戯曲・評論・翻訳に幅広く活動した人であるが、1885年に『当世書生気質』という小説を発表するとともに、従来の勧善懲悪主義を排し、写実主義を提唱した文学論『小説神髄』を世に問い、一躍注目を浴びた。 そのほか逍遙には戯曲『桐一葉』『役の行者』などがあり、また『シェークスピア全集』の翻訳は高く評価されている。 ■森鴎外と夏目漱石 明治も中ごろになると、二葉亭四迷の『浮雲』、幸田露伴の『五重塔』、樋口一葉の『たけくらべ』『にごりえ』、徳富蘆花の『不如帰』などの小説が評判になった。 そうした中でも森鴎外、夏目漱石の創作活動は際立っている。 鴎外は陸軍軍医としてドイツに留学した体験を生かし、処女作『舞姫』を1890年に発表、2年後にはアンデルセンの『即興詩人』を翻訳している。 また、その後に書かれた『雁』は現代小説のサンプルとして不動の評価を得ている。 一方漱石はロンドンに留学し、帰国後代表作『吾輩は猫である』『坊ちゃん』『草枕』などを次々に発表、近代文学のひとつの頂点を極め、その門下から多くの有力作家が輩出した。 ■自然主義の作家 日露戦争前後、島崎藤村や田山花袋などの自然主義を唱える作家が台頭し、藤村の『破戒』、花袋の『蒲団』などが代表的役割を果たした。 自然主義は、その後も近代文学の最も大きな運動として、広く影響を及ぼしていく。 ■明治の詩歌 1882年に訳詩・創作詩で編んだ『新体詞抄』が出版され、以後新体詩と呼ばれる新しい詩の領域が開かれる。 代表的詩人としては島崎藤村・土井晩翠などがいる。 19世紀も終わりに近いころ、与謝野鉄幹が短歌革新運動を起こし『明星』を創刊するや、鉄幹夫人となった晶子や石川啄木・北原白秋・高村光太郎などの俊秀が結集した。 同じころ正岡子規も空想や偶像を排して写実を尊ぶ短歌・俳句運動を展開している。 【日本の文学(6)−現代】 ■大正期の『白樺』 1910年創刊された同人雑誌『白樺』で活躍した作家に武者小路実篤・志賀直哉・里見ク・有島武郎・有島生馬らがいる。『白樺』は関東大震災後に廃刊するまで、文芸・美術雑誌として大正期の分檀や画壇に大きな影響を与えた。 中でも志賀直哉の長編小説『暗夜行路』は現代文学の金字塔とも言われ、高い評価を得ている。 ■芥川龍之介と永井荷風 虚構の世界での自己表出に生きた作家としては芥川龍之介がいるが、彼は長編には全く手を染めず、終始短編作家で通した異色の存在である。 代表作に『今昔物語』や『宇治拾遺物語』に材を得た『羅生門』『地獄変』『鼻』などがある。永井荷風の長編小説『腕くらべ』や『?東綺譚』は遊廊や私娼窟に材をとった作。 ■谷崎潤一郎と佐藤春夫 永井荷風の推称を受けて世に出た作家に谷崎潤一郎がおり、谷崎と親交があった作家に佐藤春夫がいる。 春夫と谷崎夫人の恋愛は二人の友情を裂く不幸な出来事となったが、ともに大正から昭和の戦後まで活躍した代表的作家である。 ■川端康成と横光利一 1924年創刊された『文芸時代』により、新感覚派運動を起こした作家に川端康成・横光利一らがいる。 彼らは既存の現実主義にあきたらず、官能や神経に病的な敏感さを見せ、意匠や装飾に新しいものをねらった。川端の代表作『伊豆の踊子』『雪国』、横光の『日輪』『旅愁』などは今日も広く読まれている。 川端は日本人では初めてのノーベル文学賞を受賞(1968年)している。 ■現代の詩人 明治に起こった新体詩は大正に入るとしだいに影をひそめ、代わって日常使用されていることばで音律を踏まずに書く自由律口語詩が普及する。 萩原朔太郎の『月に吠える』『青猫』『氷島』、高村光太郎の『道程』『智惠子抄』、宮沢賢治の『春と修羅』などの詩集は、その代表的なものである。 また、この時期にフランスの詩人アンドレ・ブルトンの提唱する超現実主義、ペルレーヌ、バレリーやマラルメを指導者とする象徴主義が日本詩壇を真っ向から揺さぶった。 そのほか大正から戦後にかけては、外国文学の翻訳紹介が次々に行われ、カフカ、フォークナー、マルロー、ドストエフスキー、トルストイなどがよく読まれている。 【日本の文学(7)−戦後】 敗戦国日本の文学の担い手 第二次世界大戦が終わったとき、敗戦の虚脱から最も早く立ち上がったのが文学ではなかろうか。言論の自由、出版の自由がそれに拍車をかけた。 作品の内容も戦争の悲惨さ、残虐さに材を求めたものが多い。 第1次戦後派と呼ばれるそれらの人々を挙げると梅崎春生・大岡昇平・武田泰淳・椎名麟三・中村真一郎・三島由紀夫などがおり、それに続く第2次戦後派として安部光房・堀田善衛などがいる。 特にフィリピンにおける戦争体験をつづった大岡昇平の『俘虜記』や『野火』などは、戦後文学の一時期を画するものである。典雅な文体の中に、不倫・背徳といった時代に先行する観念によって出発を見せた三島由紀夫は『仮面の告白』『金閣寺』など、次々に問題作を発表するかたわら、劇作家としても『鹿鳴館』『十日の菊』といった評判作を書いた。現代における人間行動の意味を追求する作品で戦後文学の花形となった井上靖は、日本文学の伝統をひく私小説のほかに歴史小説・社会派小説・詩・エッセーなど幅広く題材を手がけた。 ■太陽族の流行 特需景気をあおった朝鮮戦争を境として、敗戦の様相がしだいに薄れてくると、文学にもそれなりの動きが現れ、既成の道徳や価値観を否定し、あるいは打破しようとする若者を描く小説が登場してくる。 石原慎太郎の『太陽の季節』がそれで、『太陽族』や『慎太郎刈り』などの流行語やヘアスタイルまで生んだ。『死者の奢り』『飼育』などの作品で登場した大江健三郎は、戦後青春の疎外感などを定着させた作家で、1994年わが国二人目のノーベル文学賞を受賞している。 ■民主主義文学の動き しかし、また一方では社会主義的民主化運動を反映した作家も登場した。 『播州平野』『風知草』などの作品を戦後いち早く発表した宮本百合子は、すでに戦前に『貧しき人々の群』『伸子』などの長編で知られたプロレタリア文学の旗手でもあった。佐多稲子や徳永直もプロレタリア文学の戦前戦後を支えた代表的作家である。 ■戦後文学の広がり 戦後の混乱期を経てしだいに世相が落ち着いてくると、読者の要求もさまざまな広がりを見せ、純文学と大衆文学の距離が縮まり、中間小説と呼ばれる作品の流行を見るに至った。 推理小説なども昨今は全盛期を迎えた感がある。 【和歌(短歌)】 ■和歌の形式 日本で最も古く、しかも中世・近世・現代を問わず多くの人たちに強い影響を与えているのは、何と言っても8世紀に編纂された『万葉集』である。 その中には長歌・短歌が含まれていて、今日なおその型式が重視されている短歌は「あかねさす(5音)、紫の行き(7音)、標野行き(5音)、野守は見ずや(7音)、君が袖振る(7音)」(額田王の歌)のように31音で構成されている。今日では長歌はまったく影をひそめ、短歌が主流となっている。 短歌の形式がいつどのような経過をたどって古代歌謡の世界に愛用され、定着したのかは、いまだにはっきりとは解明されていない。 ■勅撰和歌集の意味 天皇の命により公的に編纂された歌集を「勅撰和歌集」と呼んでいるが、その中に撰ばれ、入選するということはたいへん名誉とされた。勅撰の最初のものは10世紀初めに編まれた、『古今和歌集』で、以後『後撰和歌集』『拾遺和歌集』というように続き、16世紀の室町時代まで21集に及ぶ。内容はどの集もほぼ春・夏・秋・冬・賀歌・別れの歌・旅の歌・恋の歌などで構成され、きわめて広範囲にわたっている。 ■宮廷のサロン化 これらのことからもううかがわれるように、特に平安の(今の京都)に都があった8世紀から12世紀までは、皇室を中心に貴族の間で和歌がもてはやされた。 判者(審判者)を設けて歌合わせの座で作の優劣を競ったり、意中の女房へ手紙に代えて恋歌を贈ったり、歌を詠むことはさながら日常茶飯事のように扱われ、宮廷そのものが歌の一大サロン化するほど盛んだった。 しかし、それも空想や想像の産物としてしだいにあきたりなく思う者も現れ、12世紀に活躍した歌僧西行の『山家集』のように、実際に自然の中に身を置いて詠んだ歌が尊ばれるようになってくる。 ■現代の短歌 今日も短歌は手軽に誰でもできる文芸として愛されているが、その中には俵万智のように日常生活の基盤に立ち、ふだん着の用語を駆使する手法も出てきており、また必ずしも音律の形式にこだわらない自由律短歌の運動もないではないが、やはり主流を成しているものは依然古語の幽玄性を尊ぶ31文字の形式であり、その伝統の根強さと、色あせぬ短歌の魅力には不思議な感銘さえ覚えさせられる。 【俳句】 連歌の発生 平安時代のころから盛んに行われた歌合わせは、それぞれが詠んだ歌の優劣を競うものであったが、14世紀ごろから一つの歌の上の句(5・7・5音)と下の句(7・7音)を別の人が詠む、いわゆる「付け句」のゲームがもてはやされるようになった。 その上の句を「発句」、下の句を「挙げ句」と呼ぶ。 しかしそれだけでは単純なので、次々に歌をつないでいく形式も行われ、こうした座の文学を「連歌」と呼び、取もつ役を「連歌師」と言った。 連歌師は「宗匠」「連歌会所奉行」などと言われ、これを職業とする人さえ現れた。 特に15世紀、室町時代に活躍した宗祇やその門人の宗長などはよく知られている。 また連歌作者の二条良基が著した歌論書『近来風体抄』(1387年)、これも良基の撰に成る連歌集『莵久波集』(1356年)、宗祇など3人の連歌を集めた『水無瀬三吟百韻』(1488年)などは、今日でもよく読まれている。 ■俳句の発生 判吟者を必要とする不便さからか、今日では連歌を読み興ずることはほとんど行われなくなったが、俳句のほうは単独でもできる文芸としてたいへん盛んである。 俳句は、連歌の上の句、つまり「発句」を詠む形式が独立したもので「荒海や(5音)、佐渡に横たふ(7音)、天の河(5音)」(松雄芭蕉の句)のように、世界にも例を見ない17音で構成する短誌型文学である。短い形式だけに、詠まれるの内容はむだのない、それでいて豊かなイメージであることが要求される。 そのために春夏秋冬いずれかの季節を表す用語、「季語」を詠みこむことが原則として考えられている。 また、それらの「季語」を分類整理した「歳時記」が広く用いられている。 俳句は当初「俳諧」と呼ばれ、滑稽の意味をもっていたが、いつしかそうした要素はもっぱら「川柳」という分野に引き継がれ、俳句はしだいに芸術性を高めるべく練磨される。17世紀に活躍した松雄芭蕉とその門人たち、18世紀の与謝蕪村・小林一茶などは特記すべき俳人たちである。 特に西行の足跡を慕って各地を旅した芭蕉の『奥の細道』の自筆本が1996年に発見されて大きな話題を呼んだが、多くの紀行俳文集も今日よく読まれている。 現代の俳句はさまざまな改革運動が進められたりしたが、大きな変化は望めないというのが現状である。 【神話】 日本の神話は、『古事記』(712年)と『日本書紀』(720年)の最初の部分に出ている神々の物語を指すのが普通である。 記紀の神話は、その舞台によって、高天原、出雲、日向の3つに分けられる。 天皇の祖神で、神々の王者である太陽神アマテラスが支配する高天原つまり天上の国であり、まずそこで天地開びゃく、イザナギ・イザナミの国生み・神生みや、天岩屋などの物語が展開する。 次いで出雲神話では出雲地方(今の島根県東部)を主要な舞台として、スサノオとオオクニヌシが主神として活躍する。天孫降臨の前提として、オオクニヌシが高天原から派遣された神々に、国土を献上するいわゆる国譲りをする。日向神話は日向地方(今の宮崎県)が舞台で、アマテラスの命により、その孫ニニギが日向の高千穂の峰に降りる天孫降臨によって、日本を創始する。 各神話は、天地の開びゃくから国生みへ、国生みから国譲りへ、国譲りから天孫降臨へと互いに因果関係をもって時間的に結び付けられ、究極的には、神の子孫である天皇の国土統治を合理化する物語になっている。このように高度な国家的・政治的配慮をもってつくられている点が、他民族に見られない日本神話の特色である。 『古事記によって、よく知られた神話を3つ紹介する。 ■国生み イザナギ、イザナミの男女2神は天神から矛を与えられ、海上を流れ動く大地を大地を固めるよう命じられる。そこで2神は矛を海に入れてかき回し、それを引き上げると、そのしずくが固まって島になった。そこに降りて柱を立て、2神は柱を右と左から回り、出会った所で結婚し、次々と島を生んでいった。 ■天岩屋 弟スサノオの暴状を怒ったアマテラスが天岩屋に隠れたため、天下が暗やみになった。神々が相談して、物を飾り、祝詞をあげ、アメノウズメに半裸で踊らせた。外の笑い声につられてアマテラスが岩戸を少し開いたので、タチカラオが手をとって引き出し、世が再び明るくなった。同種の話は広く太平洋周辺民族にも見られる。 ■八岐大蛇 出雲国ひの川の上流に、頭と尾がそれぞれ8つに分かれた大蛇がすみ、娘を次々に食べるので、スザノオが酒を飲ませて退治し、助けた娘と結婚する。三種の新器の一つである剣を大蛇の尾から得た。 【昔話】 昔話は語り初めが「昔、昔」、語り納めが「…であったとさ」のような一定の形式をもったものを言う。 出てくる時代・場所・人物を特定せず、空想的である点が伝説と異なる。 日本の昔話の研究は、まだ数十年しかならないが、昔話への関心は強く、すでに何万という昔話が収集され、民族学、文学など各分野からの研究が進められている。 最近では、ユング派分析家の河合隼雄が、日本の昔話の深層を分析して、西洋人の自我は「男性の意識」であるのに対し、日本人の自我は「女性の意識」とする説を発表して注目された。 五大昔話 室町時代末期ごろに成立し、江戸時代から明治にかけて有名昔話として定着した五大昔話が日本人によく知られている。 ■かちかち山 爺は畑からいたずらタヌキを捕らえて帰る。タヌキは爺の留守に婆をだまして殺し、婆に化けて爺に婆汁を飲ませる。悲しむ爺のために、ウサギがタヌキに大やけどをさせ、とうがらしを塗りつける。最後にタヌキをどろの舟に乗せて沈め、殺す。 ■猿かに合戦 ずるい猿は自分の拾ったカキの種をカニの拾った握り飯と交換する。カニがまいたカキの種が大きな木になり、実を結ぶと、猿はカニをだまして熟した実を食べ、青い実をカニに投げつけて殺す。カニの子は、うす、きね、ハチ、クリの助けで親のあだを討つ。 ■舌切りすずめ のりをなめたスズメを意地悪な婆は舌を切って追い出す。優しい爺がスズメの宿を訪ね、つづらをもらう。小さなつづらを選ぶと、中に大判・小判や宝が入っていた。婆はそれをまねてスズメの宿を訪ね、大きいつづらをもらうと、中から蛇・ムカデや化け物が出てくる。決まり文句→「舌切りすずめ、お宿はどこだ」 ■花さか爺 正直者の爺がかわいがっていた犬に教えられて木の下から宝を掘り出す。死んだ犬を埋めた場所に大きな木が生え、爺がそれでうすを作ってもちをつくと、大判・小判が出てくる。うすの灰で木に花を咲かせて爺は殿様に褒められる。それをまねた隣の爺はことごとく失敗する。決まり文句→「ここ掘れワンワン」 ■桃太郎 川で洗濯をしていた婆が拾った桃から子供が生まれる。桃太郎と名づけられたその子は、大きくなって日本一のきびだんごを持って、犬、猿、キジを連れて鬼ヶ島へ鬼退治に行き、宝物を持って帰る。決まり文句→「大きな桃がどんぶらこどんぶらこと流れてきた」 【伝説】 伝説は、具体的な事物と結びついていて、真実と信じられている言い伝えである。昔話のように、決まった形式や空想性・娯楽性をもたない。日本には、昔話と同じく、伝説も豊富である。 出てくる主役によって、ふつう次のように分類する。 自然伝説……動植物、鉱物、天体、気象、地形、火、水など 歴史伝説……神仏、聖地、長者、偉業、事件、地名など 信仰伝説……各種の神(田の神・山の神ほか)、各種の霊(樹・岩石ほか)、幽霊、妖怪など 有名伝説 ■浦島伝説 若い漁夫の浦島太郎は、釣ったカメを助けたお礼に竜宮城に招かれ、乙姫と3年間楽しく暮らす。故郷に帰るとすでに700年たっている。心細さのあまり乙姫との約束を破って、みやげの玉手箱を開くと紫の煙が上がり、たちまち老人となる。これは丹後国(今の京都府北部)水の江の「浦島の子」という漁夫の伝説に基づく、「浦島太郎」の物語で、伝説は『万葉集』『日本書紀』『丹後国風土記』その他に見え、室町時代には『御伽草子』や能の「浦島」になった。世界に広がる仙郷滞留譚、竜宮伝説の一つである。 ■羽衣伝説 駿河国(今の静岡県)美保の松原で天女が水浴びをしているところへ漁夫が通りかかり、天女の羽衣をとってしまう。天に帰れなくなった天女は男の妻になり、子供が生まれる。天女は後に羽衣を取り戻して天に帰る。原形は『駿河国風土記』『近江国風土記』『丹後国風土記』に出ており、能に「羽衣」がある。異種婚姻譚の一つ。 ■弘法伝説 弘法大師(空海)が諸国を遍歴した際に生まれた伝説。弘法大師がサトイモを所望したのを断ると、サトイモが石になったというたぐいの話が各地にたくさん残っている。このほか実在の人物に関する伝説は、小野小町、源義経、弁慶、徳川光圀(水戸黄門)など数多い。 ■金太郎 金太郎は相模国(今の神奈川県)の足柄山で、山うばに育てられ、クマ・シカ・猿などを友とした。怪力で全身赤く、まさかりを持ち、腹掛けをした子供の姿で描かれる。成人して源頼光に仕えて坂田金時と名乗り、大江山の酒呑童子を退治して四天王の一人となった。今でも金太郎にあやかって強くなるようにと、5月5日の端午の節句には、金太郎の像を飾る風習がある。 |