ここでは世界的にもブームになっている「禅」をまとめています。
禅のこころや日本文化とのつながりなど、日本人とは非常に密接な関係のある禅のコンテンツを増やしていきます。

(学研「日本タテヨコ JAPAN AS IT IS」より)



【禅】

禅の根本目標は、菩提(悟り)を求めて参禅生活に励み、すべての衆生(人類と全生物)が救われるのを待って、自分もまた救われようと願うことである。

■禅の歴史
仏教では悟りを得る方法の一つとして古くから座禅を行ってきたが、中国に起こった禅宗では座禅に徹することを要求し、日常生活すべてを座禅の修行の一環であるとしている。
日本には12世紀末に栄西によって臨済宗が、鎌倉時代初めに道元によって曹洞宗がもたらされた。臨済宗は座禅をしながら、師匠から次々に出される「公案」と呼ぶ問題を考え、それを解決することによって悟りを聞こうという派。公案の一例に「隻手の音声」がある。
「両手を打てば音がするが、片手だけではどんな音がするか」と問うて、哲学的な考察を重ねさせる。主に貴族や上流武士に支持された。京都の大徳寺、南禅寺、鎌倉の建長寺、円覚寺などがこの派に属する。 曹洞宗の特徴は道元が言っているように「只管打座」である。
つまり、ひたすら座禅をすることによって悟りを開こうとするもの。
権力と虚栄を嫌った道元は福井県の山中に永平寺を開いて、だれでもが悟りを開けるのだと、下級武士や一般の人々に座禅を勧めた。 江戸時代初期には、中国から来朝した隠元によって黄檗宗が開かれた。
経文や動作、飾りなどすべて中国風そのままであることを特徴とした。

■禅と日本文化
禅が日本文化に与えた影響は大きい。
特に室町時代、中国との交流が盛んで、その先端に立った臨済宗の僧侶が、貴族や上流武士の間に中国文化を紹介した。
文学では、禅僧を中心にした漢文学が「五山文学」の名で呼ばれた。
五山とは、最も格式の高い5つの禅寺のことである。
絵画では水墨画が中国からもたらされると同時に、雪舟ら多くの禅僧が山水画や訂相と呼ばれる僧侶の肖像画を描いている。また庭園では禅の精神にのっとった飾り気のない石庭、枯山水の庭などが作られた。
さらに茶も、栄西により抹茶による喫茶法が伝えられ、安土・桃山時代には千利休をはじめとする多数の茶の宗匠が禅を学び、その精神を生かしたわび茶を生み出した。
現在、禅宗の信徒は約332万人(1994末)で、仏教の4%弱であるが、仏教寺約7万7000のうち2万1000が禅宗系で、特に曹洞宗は約1万4700と、全寺院の2割を占めている。これらの寺院では一般の信徒を含めた参禅会などを開いている。
海外へは鈴木大拙が積極的に紹介し、曹洞宗では弟子丸山泰仙がヨーロッパへの布教に力を入れた。

日本人の祭や歳時記などの、暮らしに密接に関係しているものに、仏教と神道があります。
それらをここでは紹介いたします。

(学研「日本タテヨコ JAPAN AS IT IS」より)


【仏教】

■仏教の歴史
仏教が日本に公式に伝えられたのは538年、朝鮮の百済からとされているが、すでに5世紀には大陸からの渡来人によってもち込まれ、信仰されていたと言われている。
インドから中国という中央集権国家を経て日本に伝わったことと、そのとき、日本が中央集権国家確立の時期であったことから、鎖国国家の色彩の濃い仏教となった。
6世紀末から奈良時代を通じ、仏教は天皇家をはじめ、有力氏族に支持され、国教的存在となり、聖徳太子の建立した法隆寺をはじめ、興福寺、東大寺、薬師寺、唐招堤寺など当時の遺構は世界最古の木造建築として1200〜1300年後の今日にまで伝わっている。
仏教は、日本に初めてもち込まれた系統的な思想体型であったため、それ以後の日本に計り知れない影響を与えた。
思想、文化ばかりでなく仏教は建築、金属工芸、さらに医学、農業技術に至るまでの文明の代名詞でもあった。
中国からもたらされる仏教文化・文明は、 これ以後、平安時代、室町時代、さらに江戸時代に至るまで、日本にとっては常に学ぶべき新文化、新技術であった。
平安時代中期に起こった、一種の終末思想である末法思想は、政治や社会の乱れ、その後の、武士の台頭による戦乱に裏付けられて急速に広まり、鎌倉時代の新仏教を生む下地を作った。
鎌倉仏教と呼ばれる日蓮宗、浄土宗、浄土真宗、禅宗など、今日の日本の仏教の主流を成す宗派は皆この時代に生まれたものである。
いずれも、奈良時代以来の仏教の貴族的、学問的な色彩とは異なり、一心に『南無妙法蓮華経』の題目や『南無阿弥陀仏』の念仏を唱えたり、座禅に打ち込むことだけで救われるという個人的、庶民的なものであり、それゆえに爆発的に信徒を増やしていった。
江戸時代にはキリスト教禁圧のため、すべての人々に地域の寺への登録を強制し、檀家制度が作られ、寺は幕府の末端管理機構として檀家の冠婚葬祭をつかさどるようになった。

■現代の仏教
現代では仏教信徒は約8980万人(1994年末)とされており、伝統仏教が地方で根強い力を持っているのに対し、大都会では日蓮宗系の創価学会(約800万世帯と言われている)、立正佼成会(648万人)、霊友会(307万人)など、第二次世界大戦の少し前に作られた在家仏教団体が大きな力をもっている。
近年では伝統仏教も新仏教も、互いに宗教協力によって共存共栄し、平和や難民救済などに協力している。


【神道】

神道が果たして宗教であるのか否か、これまでも議論が絶えなかった。
神道には、宗教の要件である教義、聖典、宗団、布教などの明確なものがないからだ。

一般に「神道」と言った場合、「日本民族に固有の神、神霊に基づいて発生し、展開してきた宗教の総称」であるとされているが、神や神霊についての信念や伝統的な祭祀ばかりでなく、広く生活習俗や伝承されている考え方などもその中に含まれる。 現代の日本人は、日常はまったく神道と無関係だと言えるが、正月の初もうで、神社の祭り、受験のときの合格祈願、七五三などのときには神社に参拝し、結婚式は神式でやることが多い。

古来の神道は、日本の原始信仰である農耕神、土地神、祖先神崇拝に基づくものであり、氏神などとも呼ばれ、氏族集団によって祭られたものである。
祭神は八百万の神と言われるように多種多様である。
原始神道においては、3、4世紀に至るまで神殿も作らなかった。
4世紀に大和政権がほぼ日本を統一し、古代国家が成立すると、原始神道は天つ神と国つ神(天神地祗)を祭る古代神道に発展した。天つ神は大和政権の神で、天皇が最高の祭司となり、地方神の国つ神の上に置かれた。また大和政権系神話に各地の氏族神話を取り入れ、記紀神話を作り上げた。最初の神道の教義が現れるのは平安時代中期になってからで、仏教の天台宗、真言宗の教理と結び付いた本地垂迹説がそれである。
これはインドの仏・菩薩(本地)が日本でさまざまな神となって現れる(垂迹)という、奈良時代からある神仏習合を主仏従神として理論化したものである。中世・近世に至り、伊勢神道、吉田神道、復古神道など、神道の独自性を説く理論が作られ、明治になると、皇室の祭祀を基準に、神社の祭祀・教義を統一して、神職は祭祀だけを行い、国民すべてを氏子とする国家神道を作り上げた。
戦後は、神社個々が宗教法人となり、文化庁の統計では神社の申告によって信徒1億1737万人(1994年)となっているが、NHKの調査(81年)では「神道を信仰している」という人は3%にすぎない。

教派神道には金光教、大本教、禊教などの数百の教団があるが、国家神道中心の戦前にはしばしば迫害を受けた。信徒数は約715万人。  

民族神道は田の神、かまど神、道祖神などを家庭や個人で祭るもので、生活習慣と結び付き、今も地方に残っている。