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森というのは、いろんな物がいろんな条件で生きられるようになっている空間です。
誰一人が自由に(辰野さんが椅子にひっかかっていた何かを直してくれて) カッコ良く見せるためにね、良い人ですね、ここに集まった人達はね。

こうやってね、みんながそれぞれの気を使いながら生きていくのが本当の姿だね。

自分だけが、いいって思ってはいけない。
皆、これだけの集まりだって自分だけやればいいって思わないでしょ。困っている人がいたら手を差し伸べてやったりして、みんなで助け合って行くのが本当の社会ですよね。

ここは小さな社会だけどね、どんなに大きくなったってその気持ちを忘れてはいけない。

そのモデルは、森にあります。森の中では、それぞれの生き物が戦っています。生きるために戦ってる。

もしね、植物の声が聞こえるとしたら大変ですよ。このへんの藪ん中、藪だってね、みんな戦って押し退けあってるからね。 「どけよ、どけよ」とか「私がここで生きてるんだから、あなた向こう行ってよ」とか、そんなことばっかり植物は言ってるんだけども。生存競争してる。

みなさんだって、みんなだって学校行けば教室ん中で「テストの点数がどうしたこうした 」ってことがないわけじゃないよね。そういう競争はあるんです。根底にね。
でも、その中で全体から見れば、どれを、どの植物をおしのけようかというんじゃなくて、大きな調和があります。
大きな調和があって自然の中には、どこ1つ無駄なものはない、何も無駄なものはないです。もしこれが無駄だと思ったりするとすれば思う人の方に問題があるわけ。
必ずそこにね、必要があって、どんな生き物でも生きています。これは間違いない事です。

それで、森の話に戻るけれども、こんないろんな種類のものが生きてるってことに価値があるんですね。

植物は、根っこがあるよね。表面の苔はチョボチョボっとした根っこが生えていて、草はちょっとましな根っこが生えている。木はもっとすごい根っこが生えています。

だから、森の表面の土の方には、たくさんの植物が表に出てるけど、その中に入ると、いろんな根っこがいっぱい土ん中にもぐってます。そしてその根の形も様々です。
例えば、よくある、杉ばっかり植えているとこあるよね、杉ばっかりが田んぼの稲のように並んでる山があります。
同じ形の根っこが山には生えている。
杉とかそういう針葉樹は、葉っぱの細い冬になっても葉の落ちない針葉樹は、どちらかと言うと深く、根っこを縦にさしている。
これ、「ごぼう根」と言ってね、ごぼうみたいに縦に入っていきます。これがだいたい針葉樹の根の形です。

で、例えば、いろんな・・この辺は何の木かなぁー・・・楠の木なんかもあるでしょう。いろんな、こう、葉っぱの広い様々な木が生えている。胡桃(くるみ)とかそういう木もあるでしょうね。楢(なら)の木とか、名前が覚えきれないくらいの種類があります。
で、冬になると葉っぱが落ちる木を広葉樹という、広い葉っぱの樹、こういう木というのは、どちらかといえば横に根をはります。横のほうに根をはる。
それで、針葉樹は縦に根をはる。

それから山の表面にある草や苔はこの表面、土の表面あたりに根っこをはっていく。
つまり、この山の土の中には様々な形の根っこがあって、そして縦横無尽に、こう、山を押さえてるんだね。

だから、ひとつの植物の種類しかない山っていうのは、人間が作りますね。
杉しか植えない山って言うのは、まず木を切って他の木を全部そこから取り除きます。そして杉の木を植えれば、草を刈ったり、他の木が生えてきたら、その木を刈り取ったりして、杉一種類しか生えない山を作る。一種類しかない植物が、一種類しかない山というのは非常に弱い。なぜなら、根っこが縦に、同じところに入っているから、時々山崩れがおきてね、すっかり山が抜けるって言い方するけども、ほんとに流れてしまう。

ところがいろんな種類の根っこがあれば、しっかりと山を押さえます。
つまりね、ひとつの教室の中でも、同じ、勉強ばっかりできて、テストの点数はいいけれども、付き合いが悪いとか、相手のこと、誰も、あんまりまわりの人のことを考えない、自分本意な人間ばっかりが、30人くらいか・・・・35人くらい?今。・…同じ人間ばっかりいたらいやでしょ。
いろんな、勉強ができない子がいたり、ちょっと体操、体育系が良かったり、音楽がうまかったり、いろんな人間が、いろんな種類のタイプの人間がいるから、ひとつの教室はすごく楽しいわけ。
そこからいろんな事ができる。だから、この世の中、この社会も同じです。
一種類のタイプの人間ばっかじゃない。
頭のいい人とか、気立ての良い人とか、そうでない人とか、本当にいろんな種類の人がいるよね。

そのことはひとつの森といっしょです。
全くその森といっしょで、そのことによって、こう、ひとつの社会というのが強くなるわけです。しっかりとするわけです。

根っこの話をしますが、いろんな根っこが山ん中に入っていると雨が降ってくる。雨が降ってきて、それが土の中にしみます。

森は、山は、水を作ると言うけれど、本当は、本当に作っているのは天です。空です。
雨が降ってきます。その雨は、この土の中にしみ込んでいきますよね。
土の中にしみ込んで、土の中の理想的な状態と言うのは、多種多様の根っこが生えていて、あっち向きこっち向きしていると、・・・いろんな隙間ができます。

まるでね、スポンジのような状態でね、山ができていて、そこに水がしみこんで、そのスポンジの隙間に水が入っていくように、山がそういう状態で水を蓄える。保水力と言います。保水力って、水をたくわえるという意味。ためるっていう意味ですよね。
そういう、水をためる、その空間を・・・

あれ?何もって来たんだ?なまず? (地元の方が捕れたなまずを下さいました。それを見て立松さんが話を続けます)・・・ああいう風にね、親切な人がいて、なまず捕れる人がいて、捕れない人がいて、食べる人がいて・・だから、こういろんな、つくる人がいて、いろんな事をできるから、だからひとつの社会が成り立っていくのね。

だって、都会なんかで、誰か知らない人が、なまずくれるって言っても「いらない」って言うよね。突然なまずくれるって言われてもね。
こういう場所だからさ、みんな心開いているから、まわりの人も信用してるから、まあ、心を開いてもらえるようになっていくわけですね。

そういう社会のモデルっていうのは森にありあす。森の中に、森をよーく観察するといろんなものが生きているということで、いろんな根っこが、そしてそこに保水力の話をしかかったんだけど、山に水がたまって、緑のダムっていう話があります。
今、姫野さんなんかが一生懸命やってることなんだけども、僕もちょっと山の…僕のふるさとは栃木県です。
藤里の山の源流域に一生懸命木を植えていますけどね、そういうふうに根っこがいろいろ向くような、いろいろな木が生えている自然のままの森・山っていうのは、そういうふうに雨が降っても根っこの間に水ためてくんだね。
ダム、緑のダムっていうのかね、森はダムだって言い方するけど、それは単に、杉ばっかりの森だと、根っこがこう向いているから、雨が降ったらスゥーっと水は沈んでしまうわけ。
ところが、いろんな根っこがむいていると隙間があるから、そこで水がたまって行く山は、そのまんまダムです。

わざわざコンクリートで作ってしまうと、確かにそこには、水はたまっていますよ、見ればすぐわかるよ。
でも、そこでとめてしまうと、みんなわかるでしょ?それ以上にいけないんだから、上に。それは人間ばっかりが行けないんじゃなくて、川は魚のものでもあるよね、あんな大きなナマズがいて、そういう魚が生きている場所です。この魚が生きている。魚はね、1ヶ所にじっとしてるわけじゃなくて、ほとんどの魚が動いて生きている。
だから、この川でも吉野川でも、鮎と言う魚は、海から上流の方へまで動いてきている。ところが、人間が、みんなが水が欲しいって水をここで止めとこうってダムを作ってしまうと、もうそこから、動けなくなってしまう。だからそういうことではいけない。みんなのためにしなくちゃいけない。

森はひとつの杉という一種類のものだけで生きているわけではない。多種多様のものが生きられる場所なんですね。
そのいろんなものがあるから、水もたまっていくということです。
みんな植物の根っこが水をキャッチして、たくわえているわけですね。
それから、一本の木、例えば東北地方にある、ブナの木。
これは、どんどん水を吸い上げて一本の木が水のタンクって言われてる。この中にたくさん水がたまっています。これも天から降った雨が育って、たまっていくんですね。

それから森は、何も植物のだけの世界ではありません。
植物は目に見えているけども、いろんな虫がいます。
それでね、、虫の種類もたいへんな数で、ある海洋学者、海を研究している学者がね、冗談で僕に言いました。
「立松さん、あんた虫食べないでくださいね。」って。
食べないよね。みんなね、なんで人間はさぁ、虫、食べないんだろ。魚も食べるし、鳥も食べるし、いろんなもの食べます。でも、虫だけは、なぜか食べない。どうしてか?
他の例えば、さっきのナマズでも多くの虫を食べている。
鳥とかいろんな動物は、虫を食べている。昆虫がベースになっている。

でも、人間は虫を食べない。なぜかね。これは、よく説明できないけれども、この何か我々の遺伝子の中に虫を食べないっていう、そういう要素がインプットされてるらしい。
それは、人間が虫を食べなければ一番こう、地球上で一番いばっている人間が虫を食べなければ、虫はそっくり残るから、鳥とか魚とかが食べることができるし。だからその学者は虫を食べないで下さいって言うわけ。
そしたら他の鳥や魚たちが食べるものが無くなっちゃうから。だから僕は虫、食べません。みなさんも食べないと思うけど。
たまに、蜂の子とか、ざざ虫とかをちょっと食べる虫もあるんだけど、ちょっと「いやだ」って思うよね。
根拠がないんだよね。「いやだ」て思う中にそういう気持ちが。どうしてそう思うのか、っていうのも理由もなくそうなっているけど、本当は理由があるんだな。

それでね、森の中にはたくさん虫がいます。
例えば、ちょうちょがいていて、ちょうちょも多種多様の種類がいて、ちょうちょは、きれいに羽を伸ばして、美しい虫ですけど、幼虫のときは毛虫とか青虫ですね。醜い、我々が見て醜いと思う、本人達は別に醜いと思ってないと思うけど。なんとなくいやな感じの虫です。

あれが森の中にはたくさんいる。例えば日光という山では、例えばですよ、あるアゲハチョウがいて、このアゲハチョウは幼虫のときには一種類の木しか食べない。「黄蘗(きはだ)」という木しか食べない。「黄蘗」という木はそんなにたくさんはないです。いろんな木が生えているうちのたった一種類です。それしか食べない。だから例えば、にんじんしか食べないとか、いろんな野菜があるうちの「にんじんしか私は食べません。それだけで生きていきます」って言ってるようなものなんだね。
だけど「黄蘗」っていうのは、たくさんある木ではないから、その森に、いろんな種類の木がなければならない。そのうちの小さな一種類です。
それから別のちょうちょは、例えば「からたち」という木しか食べない。「からたち」という木は、たくさんある内のたった一種類にしかすぎません。それしか食べない。

学校でね、給食でね、そんなこと言ったらすぐ教育的指導にやられて、家でもそうでしょ、何でも食べなさいって言われるでしょ。何でも食べないと元気にならない。確かにそうなんだけども、虫の世界では、すごい偏食です。一種類か二種類しか食べないです。たいていの虫は。
なんでそういうことをするかっていると、住み分けをしてるわけですよ。
私は「黄蘗」しか食べませんよ。だから他のみなさんは、これは食べないで下さいね、って言ってるわけ。
で、私は「からたち」しか食べませんから、他のみなさんは、これは食べないで下さいって言って、住み分けしてるんです。

そして、こっちの虫は、このいろんな木が生えている一種類を食べます。こっちの虫は、これを食べますって言って他のものが食べないようにできてるんですね。うまく、この自然っていうのは、そういうふうにできています。で、これをこうやって何でも食べてきてしまうことのないようになっている。

でも、中には、アメリカシロヒトリという虫がいてね、アメリカシロヒトリは何でも食べちゃう。片っ端から食べちゃう。山はそのアメリカシロヒトリが何十年かに一回、たいてい発生するんですね。そして山の葉っぱを全部食べ尽くしてしまって、全部食べ尽くして死ぬ、という種類の虫がいます。これは例外であって、たいていこう、普通にいる虫はすごく偏食の中に生きているんだな。

そしてね、生き物の姿をちょっと、みなさんね、いろんな機会があると思うから、又、見てください。

鳥がいますよね。今ちょっと見てもいないけどさ。
鳥がいます。いろんな形をしてるよね、鳥。
けど、鳥の姿ってさ、頭があって。くちばしがあって、胴体があって、翼があって、足があってっていうあの形は、みんな同じでしょ。基本形でしょ。これは、どんな大きな鳥でも、鶴でも雀でも同じです。
でも、くちばしが長かったり、足が長かったり、いろんな形をしているんだね。

それで、えっと、僕はね、何年か前「諫早(いさはや)湾」・・まぁ、あんまり細かい名前を言ってもしょうがないけど・・・
「諫早湾」っていう干潟の海の水が引き潮になると、干潟が現れてくる所もあるんだね。
こういう所でも、岸辺なんかで、水が少なくなると、泥が出て来るところがありますね。

そういう所に、ずっと観察してたことがあって、面白いことにね、ちょっと気がついたんだけども、例えば、この辺で言えば「鷺(さぎ)」かな。「鷺」っていう鳥がいるでしょう?くちばしが長くて、足が長い鳥がゆっくりと、こう、泥のやわらかい所を歩いてます。
そして・・(だれかが「あそこにいる」と言って)いる?あれがそうか・・。あれは何鷺かなぁ?・・・・・例えばね、ああいう鳥はね、くちばしが長くて足が長いよね。

田んぼなんかに行くと、田んぼの中に、泥の中にくちばしをゆっくり刺す。で、足が長ければ、長くなくちゃ、ああいう所を歩けないよね。ゆっくりと泥の中にくちばしをさして、中にいる虫を食べています。ドジョウとか虫を食べている。
あれも、ああいう岸辺にいてね、そして、あの水の中にいるものを食べてるわけ。

もしさ、雀に同じことやれって言ったって無理だよね。
足が短いから、あんな歩けないでしょ。水の中にくちばしを刺すことができないよね。
つまりね、虫が偏食して一種類の食物しか食べないのと同じように、「鷺」は鷺の生き方しかできないようになってるわけ。
くちばしが長くて、ああいう形で捕れる虫や魚しか食べられないわけですね。

それからね「千鳥」という鳥がいてね、まあ、あの「千鳥」という鳥は、やわらかい田んぼの泥のような所を走り回ります。そして、上にいる「トビハゼ」とか「ムツゴロウ」とかいう、この干潟の上にいる、蟹とか、そういうものを食べます。

で、「千鳥」って面白いんだよね。みんな知ってるかどうか。千鳥足っていう、校長先生(野田さん)なんかが、しょっちゅう千鳥足ですけど、こう、千鳥足って酔っ払ってね、フラフラっと、フラフラっていうのを千鳥足って言うんだよね。
こっちで、こうきてて、倒れそうになりそうになると、なんかこう倒れないで、期待して、倒れるぞって期待したら、こう、スウーっと立ち直っちゃうんだね。これを千鳥足って言います。
「千鳥」も千鳥足です。こっち倒れるぞって見せかけて、つまりフェイントかけてんだよねぇ。こっちへ行くぞって見せかけるとさ、こっとにいる蟹が安心しちゃうわけ。ああ向こう行った、と安心したら、突然フェイントかけて戻ってくると、こっちの蟹が食べられちゃうんだよ。
そういうふうにフェイントかけて生きてるんだよね。そういうふうにフェイントかけるためには、大きな足で適当に短くて、速い足、俊敏な動きをしなくてはならない。
「鷺」はゆっくりしてるでしょ。のんびりしてるでしょ。
あれは、早く動く虫は捕らえられないよね。
だけど、泥ん中に沈んでるドジョウとか虫たちは食べらるわけですよね 。

それから水鳥がいます。水鳥は一生懸命水をかいて、のんびりしてるようだけど、水の中の足は一生懸命水をかいてる。
そして、もぐったりして魚をとって食べている。それから・・だいたいは水の中にあるものを食べていますね。それは、そういうふうに生きる姿によって、生き方が決定されているわけ。

例えば雀ね。
たくさんいるよね。鳴き声も聞こえるけどさ。
そういう小鳥の類ね。小鳥の類ってのは、翼があって、くちばしが小さくて、小さいでしょ。あれは。どういう生き方をしてるかって、みんなわかるよね。
森の中にはいて、そして、こう、早く動いて虫を捕まえやすいようになってる。

なんで、杉の木を植えたかと言うと、50年か60年経つと、必ず材木にとれるからです。お金になるからです。
そういうふうにして、杉の木を植えてきて、そして、こう杉の木を育てるために、他の植物を全部やっつけていきます。そして、立派な杉の木、50年か60年経つと、立派な杉の森になります。
それを目指して杉の木をつくってきたんだけども、そして伐採して、まあ、材木にして家を建てたりするためですね。
そして、いい杉の森っていうのは、一種類の植物しかいない。植物だけじゃなくて、一種類の生き物だけしかいられなくなってる。これ、杉の木しかいられなくなってる。
それで、杉の木っていうのはね、あの、いつも青々とした緑ですけども、1年にいっぺん、それぞれ葉が落ちるんですよね。でも、新しい葉が生えてるから、いつも緑なんだけども、葉っぱが下に一度落ちて、地面に落ちて、これが土壌を酸化させるんだけどね、非常にこう、弱い状態にするんですよね、土壌をね。
同じ方向にしか、根っこがないから、だから弱いんだね。
非常に弱くて、時々、その山が抜けるって状態になる。
いろんな根っこが向いてたら、そういうことは全くないです。

で、一種類の生き物しかいられないというのは、これは窮屈です。息がつまります。今、地球っていうのは、人間しかいなくなってる。 だんだん人間しかいなくなってる。

こないだ、ちょっと僕、河合雅雄先生って、非常に有名な動物学者、猿の学者ですけどね、その先生と話したら「虫がいなくなった」って言うんだよね。
まぁ、皆さんは今のことしか知らないんだけど、虫、昆虫が少なくなったって言う。 考えてみたら、確かにそうだなぁって。

今、70か80歳くらいの方なんですけど、昔、昆虫採集するのに、外に出歩く必要なんてなかったんだって。家ん中で電気をつけたら、そこに向かって虫が「カミキリムシ」とか「カブトムシ」とか、なんでも家ん中に飛び込んで来たって。まぁ、家もちょっとボロボロだったんだね。アルミサッシとかないんで、虫もどっからか、もぐり込んで来て、家にいるだけで昆虫採集ができて、夏休みの宿題は、それでできたって、笑っていたけれども、今、本当に虫が少なくなった。こんなもんじゃないんですよ、ほんと、ちょっと前まではね。

これは、どうして少なくなったかっていうと、殺虫剤で殺したり、もうひとつはその先生は、環境ホルモンの影響じゃないかって、ちょっと怖いこと言ってた。環境ホルモン・・・まだよくわかってないです。でも、悪いもんであることは確かだね。

それで、一種類の生物しか生きられないっていうのは、非常に弱い。
人間しか生きられない地球っていうのは、こんなに弱いものなんです。
いろんなものが生きてないと人間も生きられない。だって、食べ物がそうでしょ。食べてるものが、だいたい他の生き物です。
自分より弱いものをみんなが食べてるわけ。
これは生き物の掟(おきて)。食物連鎖って言うけども、さっき食べたうどんでも、何が入ってたっけ?豚肉でしたっけ?豚を食べちゃうよね。それから植物は全部食べちゃいます。食べちゃうんだけども、それは自分より弱いものを食べるわけ。
それで、そういうふうに他の生物が生きられなければ、どんな生き物も生きることはできないです。

それでね、えーっと、杉の森というのは、たった一種類の生き物しか、そこにいらんなくなる。
下は太陽が当たらないんでね、草も生えなくなるし、他の植物も『黄蘗(きはだ)』とか『からたち』とか、そういう虫が好むようなものは一切生えません。

杉しか生えない、その杉しか生えないたった一種類の生き物しか生きられない空間になっています。
葉っぱがない、他の植物がなければ虫もいないし鳥もいない。虫がいなけりゃ鳥もいないって空間だね。

それで、それは異常なことで、自然のままの空間で、自然のままのところで、一種類の植物しかいないってことはないです。
それぞれ強制して、敵対しているような関係でも、つきつめていけばお互い助け合ったりして生きてるんだね。

ところが、杉しかない空間っていうのが人間がつくったって、そうしたらどうなるかっていうと、まあ、あのぉ、山が抜けるって、さっき話しましたけどね。

それから杉自身が非常に苦しんでるんだね、そういう場所と言うのは。
何で苦しんでるかっていうと、
皆さんは、恵まれてると思うよ。
こういう遊ぶ機会をもらってさ、本当にラッキーだと思いますよ。
でもどんな生き物でもね、自分で生きたい、生きていたいと思う、そういう条件があります。
木には、適地適木ってね、木の場合はいうのだけど、ふさわしい地に、ふさわしい条件にふさわしい植物が生きるって考えです。

それはね、人間には適材適所っとか言って、なかなかそうはならないんで苦しいんだけどね。
木には、はっきりあります。例えば杉の木はどこでも植わってるでしょ。
そこには、杉の林だね、どこでもかしこでも植わっちゃってる。
場所さえあれば植えてきたんだけど。

本当の杉っていうのは、山の自然の中を見ると谷の地にあるんだよ。
谷底の日当たりの悪い所で谷川が流れてる水の近いところ。
要するに、日当たりが悪くて水のすぐそばにあるようなところに、杉は生きています。
杉はそういう所を好んでいるわけ。

それから屋久島。
皆さんもいつか行く機会があるけども、屋久島ってところは、植物がいっぱい繁って日当たりが悪くて雨がよく降るところです。
ひと月に35日雨が降るって言われる計算が合わない島なんだけど。
そこ行くと、ほんとそういう感じがするんだよね。ほんとに。
海ん中に大きな山が立ってるのと同じだから
雲を集めるんですね。そういう所に杉はよく育つんだ。
でもここは、まあ、たぶんそう悪い条件じゃないけど。

何処でも植えてきました。山のてっぺんの日当たりのいい乾いたところでも、風通しのいいところでもね。
どこでも、かしこでも植えてきたのね。
そしてね、杉は苦しんでます、本当に。
こんな所にこんな生き方したくないのに無理やり植えられてしまったんだ。人間に、人間の都合で。

そしてね、生き物、たくさんの生き物がいるけど、この生き物のひとつとして、皆さんも僕も同じです。
虫と草と鳥とみんな同じです。 生きてるっていうことではね。
そして生きている生き物のすべて、生き物の中でひとつの共通の目的があります。 みんな同じ目的があります。 遺伝子を残すっていうこと、子供を残していくという事です。
そして、子供を残してその自分たちの遺伝子を未来につないでいくっていうことは、ひとつの大きな目的です。
大仕事ですね。

まあこの「川の学校」もね、みなさんにね、子供達にね、川の良さを教えようって一生懸命やってるわけだけど、
それは一つ、川の川ガキというけど、川ガキの遺伝子を残そうって思ってるわけです。
実際に細胞の中にある遺伝子じゃないけど、実際脳のなかにしか残っていかないかもしれないけど、そういう遺伝子を残したいわけ。

でもすべての生き物はね、子供をちゃんと残して自分の勢力を広げようと思っています。これが大切なテーマです。
杉の木もその中で一つの生き物としてがんばって生きてるんだけど、苦しいところに植えられてしまったんだね。
苦しいところに植えられて、どうしたかっていうと早く年をとってしまう。
年をとってしまうと子供を残す力が弱まってきます。それで、一生懸命、子供を残そうとする。杉にとって子供を残すってのはどうするかっていうと花粉を出すんですよね。たくさん花粉を出すの、それでいっぱい撒いて、子供を残そうとする。
これが花粉症の原因だと僕は思ってます。
これは、学者がいうわけじゃないんだけど僕はそう思ってます。
つまりね、みんな杉花粉症で大変な、お父さんとかお母さんとか苦しんでる人いるでしょ。
(うんうんとうなずく人がいて「くるしい?苦しんでるの?」) だからそういうのは大嫌い、杉、見るのもいやだね。
だからね、そういうね杉はね、理由があってそうなってるわけ。
杉だけが悪いってんじゃなくて、杉自身が苦しんで、そして、あのぉ、自分達の子供を一生懸命残すために花粉を出してる。
だから杉が一番苦しんでいてその苦しみが人間にまで届いてるんだね。
自然がそういうふうに、一生懸命話しかけてるんですよ。そういう声を聞かなければいけないと思いますね。

それでね、この杉のようにやっぱりこう、自然のままのところではないところっていうのは、無理があって、で、杉花粉症ていう病気、病気っていうか杉花粉症に苦しんでしまう。
でも、この杉が普通の山ね、いろんな物、木が生えてる。僕が最初に話したような山だったら、そういう事は絶対ないです。

滴る(したたる)・・・。この山の見分け方を教えてあげましょうね。
滴る緑って言い方をするんだよね。
つまりね、一種類の、こういう例えば黒っぽい色の今日は曇ってるから見分けにくいんだけど、一種類のね、杉ばっかり植えてる緑もいろんな種類がありますね。
一種類の緑の山っていうのはまぁ、黒木って黒っぽい木が植わってるのは大体杉の森です。この辺りではね。
でも、いろんな木が生えてる根っこは竹薮だけどさ、マダラになってねモコモコしてね、いろんな木が、向こうの山、杉の向こうの山なんかそうだけど滴る緑、鮮やかな緑の山ってのは自然の山です。
ちょっと黒っぽい一種類しかないのは杉の山です。

だからまぁ、自然の森にしていくと、無理してダムをつくったりして山の命を壊したりとかね、そんなことしなくても水は溜まっていくんですね。
それは今、姫野さんが一生懸命研究してるんですけども、それもすぐ、効果が出るでしょう。
でも、基本的な考え方はいろんな生き物がいる社会、違ったものも、意見の違ったものも認めていくってことです。
だから、山ん中には植物にとっては、いろんな敵がいますよ。
でもそれが一つのそれで一つの社会ができてる。

だから我々も、例えばちょっと考え方の違う人がいても、その人をいじめて排除して、よそにやっちゃうって事をしちゃいけない。
違いを認めて多種多様の植物のいる森のような社会をつくらなければならない。
これを他の事を認めることを「寛容」というけどね、寛容という言葉を使うけどね。
まあまだ学年の小さい子供はわからないかもしれないけど。

そういう風に他の自分の考えと違う意見の子も全部認めてくってことです。
そして、いろんな違いがあるからこういう強い社会ができていくんですね。

例えば 教室の中でね30人の生徒がいたとして、号令をかけて「右向け右」っていうでしょ「右向け右」って言ってみんな”バッ”とこっちを向くとするでしょう、そしてこっちから悪い人が来てて、みんなこっちを向いているからさ”バカッ”っとやられちゃうでしょ。 ところが「右向け右」って言うのに、一人ぐらいこっちを向いていると、こっちから悪い人が来てても一人こっちを向いているために「あっちから悪い人が来たよ。」って言える。

だから悪い事ではない。わざわざこう向く必要はないけど。 違いを認めるっていう事です。
そうして、この事をしていかないと。同じ事ばかりが価値あることではない。

自分の考えと違う人はやわらかく、やさしく包んでいくような事をしていかなくてはならない。
我慢していかなくちゃいけないこともあるけどね。でもそういう風にしないと本当にいい社会はできないです。

それでね、例えば、雨が降りますよね。
それで、水が山に溜まっていきます。天は森に水をくれます。これ、仏教の用語で「布施 (ふせ)」と言うんだけど、まぁ水をくれます。
水をくれたから何かをよこせって事ないよね。タダでくれるわけよ何の見返りも求めないで。
そして森は少しずつ水を流してこういうふうに川をつくります。
森は川に水を「布施」するって言うけれども、この水はまた、田んぼにいったりして。

自然のものっていうのは循環してます。貸し借りではないんです。循環なんです。
あんたに、これやったでしょうって言って森が「この水返しなさい」って言わない。「水が返せないなら他に、代わりに何か下さい」とも言わない。「お金くれ」とも言わない。

こうしてこの川は魚に水をくれて、生きる場所をくれます。そして人間にいろんな恵(めぐみ)をくれます。
そしてこの川は、水は流れて海を作ります。そして、この海は魚を養い又、いろんな恵をくれる。

でね皆さんね、この川で遊ぶって事の意味をちょっと話して終わります。
なんで、こんなに川で遊ぶと楽しいんでしょう。
楽しいよね?みんな楽しそうだよ、生き生きしてるよ。
勉強してる時もこれぐらいだと又、違うんじゃないかと思うけど・・・。
何で楽しいかっていうとね。
要するにね、あのぉー いろんな事を勉強してるから。
あのね川で泳ぐって事はプールで泳ぐのとはちょっと違います。
川の流れは複雑だし底は平らじゃないから工夫しないと危ない。
川の事をよーく見てそして川の事を観察して、そしてその川の事知らないと泳げない。
又泳ぎながら川の事を知るんですけどね。

それで魚を捕るって事はこの自然をですね解釈するっていうかね。
この川の事知らなきゃ魚は捕れません。 自然の事を知らなきゃ魚は捕れない。魚がどんな生活をしてどんな思いで生きているのか、何をしたいのかをうまく利用して餌を流すわけなんだけどね。

川を見て釣りを何度もやってると、魚が大体何処にいるかわかるわけ。自然の事をよく知ってるってことですね。
そういうふうに自然のことをよく知るって事を、みんなはね、この「川の学校」でやってきてるわけです。

学校のテストの勉強とは違うけどもっと,もっと百倍も千倍も自分達のこれから生きてく力になる事です。
だってこの川を見て、そうやってこの川の命の事を知ればね、魚もいるし、ここで泳げたりもする。
この川の命のことを知れば、この川を壊そうなんて思わないでしょ。絶対壊したくないでしょ。
今まで大人はね、川を壊し過ぎた。それは川の事を知らなかったから、そしてもっと言えば川で遊んでこなかった。それが、もう僕らのすごい反省になるんですね。

まぁ、ここに集まってる大人達は川遊びの名人ばかりだけれども、多くの大人たちが川で遊んでこなかったんで、
この川を壊しても平気なんです。川の良さを知ったらばとても、とてもこんな、川壊せない。

川がどうしてここを流れてって、自然に無駄なものはない。
川は曲がって流れてますよ。これは曲がる意味があるから。
その意味を語ると長くなって終われなくなっちゃうけども、こうやって流れれば川の世界が広いですよね、真直ぐ流れるよね。この中にいろんな生き物がいられるし。
それから、土や石と触れ合うと水はきれいになります。
それはなぜかというと、バクテリア、ここには小さな生き物、バクテリアがたくさんいて、バクテリアの大好物は川の汚れのもとなんです。
これは、富栄養分(ふえいようぶん)というけれども、リンや窒素やカリ、なかなか難しい言葉で言ったほうが早いことがいっぱいあるけど。そういう川の汚れのもとを、小さなバクテリアは大好物としているんですね。だから、それを一生懸命食べるんだね。そうすると、川がきれいになっていくの。
だから川が曲がって流れると、そのバクテリアと水が触れ合う機会が増えてその分又、川がきれいになるんです。

いろんな意味が川には隠されていてね。ここはね、この見える範囲だけでもね、数え切れないぐらいのね秘密があるわけね。 これを人間が全て知ってるわけじゃない。
でもね、皆さん、そういうのをね、川の中に、心の中にinput(インプット)してね、今、いるんだね。

で、結論は出ないと思うけども何でこんなに楽しいかっていうのは、川の事を知って、えっとまあそうやって川の秘密を知ってください。  (一人海水パンツ姿の男の子がキャンプサイトに走っていって、「寒かったんだ!パンツいっちょうだもんな。もう終わる、終わりにするからね。」)
その秘密は皆さんの生きる力に全部結びついていきます。
そしてその楽しさをね、できるだけみんなに、わかち与えて下さい。
ここに集まっている人たちは、すごく恵まれているけれど、みんなそうじゃないから知らない。
できるだけ川の良さを伝えていって、川のすばらしさをみんなに教えてあげて下さい。
そしたら、この川を壊したり、山を壊したり、海を壊したりしようと思わなくなる。
それが生きる上で非常に大切な事だと思います。

僕の話はこれで終わります。どうも長い間静かに聞いてくれてありがとう。


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