野田さんのお話
「川を下っていて、夜、焚き火の前なんかで外国の人と集まると、「詩をやれ、詩をやれー」って言い出すのね。そうすると誰かがひょっと立って詩の朗読を始める。自分の好きな詩を朗読、好きな詩。
自分の好きな詩ぐらいは覚えとかなきゃだめ。
これは文明人の条件だな。自分の愛読書っていうのは文明人の条件だな。
例えば、外国では、首相・大統領になったりするでしょ、すると必ず、この大統領の愛読書はこれこれこれって、必ずやるんですよ。
ところが、日本では、首相になっても、外人記者が、愛読書は何ですかって聞いてもポカンってしてる。本を読んだことがないんだな、漫画しか読んだことがないんだ。 だから日本は軽蔑される。
いいか、愛読書は何ですかって言われたら5・6冊はさっとあげる。いいね。
君たちの年頃はまだ愛読書はできません。
まだまだ本を読んでないから、愛読書っていうのは一万冊ぐらい読んでその中の一冊か二冊が愛読書です。
君たちはまだ、一万冊よんでないから愛読書って言われても困るだろ?
だから愛読書を見つけるためにいろいろ本を読まなきゃいけない。
愛読書っていうのはね、本当に自分の父親とか、母親とかと同じように大切なものなんだ。いいね。
だから本を読まない人は馬鹿である。軽蔑していい。
僕もね、若い頃はあんまり本を読まなかったの、だから愛読書ができなかったんだね、見つからなかった。
あちこち読んだけれどピンっとこなかった。
で、40ぐらいになってね、30何歳かして愛読書を初めて見つけたの。
僕は失敗したねそういう意味で、人生を。
普通20代で愛読書を見つけます。
自分の恋人と同じように、恋人を見つけるのと同じように愛読書はとっても大切なことなのね。
愛読書を持っていない人は軽蔑してよろしい。愛読書を持っていない首相ってのは軽蔑しなさい。
日本の今の首相で愛読書ってうのは、あれ、漫画ですよ。彼らは漫画しか読んでないから。
ちゃんとした本屋に行ってない、大きな本屋に行ってない。
文房具と一緒に売ってるような本屋じゃなくてちゃんとした本屋に・・・。徳島には、これ2軒しかないけど。
そういうところに必ず行かなきゃいけない。大きな本屋に。
そして、本屋で2・3時間、時間を使わなきゃいけない、帰ってきちゃだめだよ。
今日、ぼくはここに来る前にそごうの8階に行って、しばらくこう本を探したんですよ。
君たちになんかこう、もう最後だから、いいものを読んであげたかったんだ。
詩集をずうっと探したのね。
さすがに、そごうって1番大きいんで、徳島でね、パッといい詩集がありました。
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まだあげ初めし前髪の
前にさしたる花櫛の
花ある君と思いけり
やさしく白き手をのべて
りんごを我にあたえしは
薄紅の秋の実に
人恋初めしはじめなり
りんご畑 の樹の下に
おのづからなる細道は
誰が踏みそめしかたみぞと
といたまうこそこいしけれ |
意味わかんないだろうけども、言葉としてとてもいいでしょ。
こういうのが詩だ。詩を暗唱する。
これは明治時代の人たちは、大正時代の人たちは、自分の思いに詩をつけて歌ったんだな。
こうやって遊んだ。今の流行歌みたいなのがなかったから。
そういう文化があったんですね昔は。
今は、そういう文化が絶えてしまって、詩・きれいな言葉がなくなりました。
だから、「日本語で残しておきたい言葉・曲」とかそういう本が でてるでしょ。
というのは、日本語はとても汚れて、きたなくなって物の言い方が駄目になって動物みたいなしゃべり方をする人が増えたんですね。この中にも、とっても醜いしゃべり方をする人がいるんだけれども、ちょっと注意しようがない。僕は。悲しいんだな。
だから、詩は大切なんで、ぜひ詩集ってものをね・・・、いっぱい詩集ってあるから、日本人の詩集、外国人の詩集、そういうのがあるから本屋に行って、文庫本だ500円くらいで買える。ぜひ買いなさい。
わかんなかったらお父さんやお母さんに聞いてごらん。
おとうさん、お母さんの世代は詩を少しは知ってる世代です。君たちは全然知らないよね。
日本語はどんどん滅びてるのね、駄目になってるの、汚くなってる。
昔の日本語はきれいだったんですよ。
で、ちょっとね日本だけじゃなくて、外国の詩を朗読しましょう。
僕は、外国の詩はまだ暗記できないんで本を読むね。詩を読むね。
僕とか、姫野さんの世代はシャンソン、フランスの歌を歌ってました。若いとき。
その頃まだ井上陽水とか、ああいう日本のすぐれた作詞・作曲家が日本にはまだいなくて、日本語で歌う歌っていうのが歌謡曲しかなかったのね。我々若い人たちっていうのは、歌謡曲ってきらいなんでね。
若い人はやっぱり、どうしても理想を求めるからきりがない。もっと質の高いもの、もっと向上心の高いもの、そういうものを欲しい、欲しがっているんですよ。
その頃、そういうものが日本人にはなかったんだ。日本で歌う歌はなかったんでフランス語で歌われる愛の歌、シャンソン、ロシア民謡。
その頃有名になった「ミラボー橋」
シャンソンの元になった詩です。
ギョーム・アポリネール
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ミラボー橋の下をセーヌ川が流れ
我らの恋が流れる
私は思い出す 悩みの後には楽しみが来ると
鐘が鳴り 日が暮れ 月日は流れ 私は残る
手と手をつなぎ 顔と顔を向け合おう
こうして二人の下を疲れたまなざしの無窮の時が流れる
流れる水のように 恋もまた進んでいく 恋もまた進んでいる
命ばかりがながく 希望ばかりが大きい
鐘が鳴り 日が暮れ 月日は流れ 私は残る
日が去り 月が行き 過ぎたときも昔の恋も
二度とは帰ってきやしない
ミラボー橋の下をセーヌが流れる
鐘が鳴り 日が暮れ 月日は流れ 私は残る |
これは、僕の世代の青年は皆、歌いましたフランス語で。
ぼくはちょっと苦しんでお金貯めてフランスまで渡ってね。20代です。
絶対ミラボー橋の上に橋の上に立とうと思って行ったんですよ。
で、ミラボー橋の橋の上に立って、セーヌ川を眺めて、本当に、まさに歌のように、この歌のように日が暮れて鐘が鳴る。 本当に鐘が鳴るんだな。
向こうは教会がたくさんあるから。ある時間になると鐘を鳴らす。
あれが僕の青春だと思ってね。
ほんとに、日が暮れて鐘が鳴り、僕のおなかも鳴るんだなぁ 腹減ってるから。
しばらく歩いていて、お金がなくなったんだよ。で、パリでギターを弾いてお金を稼いで何ヶ月かいたね。
そういう、僕にとっては思い出のある歌なんだよ。
これは誰でも知ってるんだけども、誰でもっていうのは僕の世代の人、皆知ってるんだけどね。
アルチュール・ランボー の「巷に雨が降るごとく」この本では巷を都にしてるけどね。
「都に雨が降るごとく」
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都に雨が降るごとく わが心にも涙
心の底ににじみいる この侘しさは何ならん
大気に屋根に降りしきる 雨の響きのきめやかさ
いまさびわたる心には おお雨の音 雨の音
悲しみ憂うこの心 いわれなく涙拭く
恨みの思いあらばこそ いえどもあらん この嘆き
恋も憎しみもあらずして
いかなるうえにわが心 かくも悩むか知らぬこと
悩みのうちの悩みなり |
こういう詩です。 ちょっとこれ訳が古いね。
僕だったらもっと違う風にやるんだけど。
「巷に雨の降るごとくのわが心にも雨が降る」 これは有名な詩です。
これはぜひ、君たちが高校生になってこのアポリネールとアルチュール・ランボーの詩を読んで欲しいね。
あとイギリス人とかドイツ人とかの詩もあるんだけども、省略して、さっきの藤村の詩をやろう
「小諸なる古城のほとり」
これも僕の世代は皆知ってる。君たちは知らない。
君たちは、かなり劣ってる世代です。そういう意味で勉強して欲しいね。
僕たち以上のもっといいものを知って欲しいんだ。
僕たちは、君たちよりも何十倍もいいものを知っている世代です。
そういう歌が、詩が教科書に載ったんだね。
「小諸なる古城のほとり」・・・小諸っていうのは千曲川の近くにある街の名前です。
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小諸なる古城のほとり
雲白く 遊子悲しむ 緑なす
はこべは萌えず 若草もしくによしなし
しろがねの 衾の岡辺 淡雪流る
あたたかき光はあれど 野に満つる香りも知らず
浅くのみ 春は霞みて 麦の色 わずかに青し
旅人の群れはいつしか 畠中の道を急ぎぬ
暮れゆけば 浅間見えず 歌哀し 佐久の草笛
千曲川いざよう波の岸近き宿にのぼりつ
濁り酒 濁れる飲みて 草枕しばし慰む |
千曲川旅情の詩
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昨日またかくてありけり 今日もまたかくてありなん
この命何を齷齪 明日をのみ思いわづらう
いくたびか栄枯の夢の 消え残る谷に下りて
河波のいざよう見れば 砂まじり水巻き帰る
嗚呼古城なにをか語り 岸の波なにかを答う
過し世を静かに思へ 百年も昨日のごとし
千曲川柳霞みて 春浅く水流れたり
ただひとり岩をめぐりて この岸に愁を繋ぐ |
こういう詩です。
藤村の詩では、「椰子の実」
これ、僕らの世代では歌を歌ったんだけどね。
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名も知らぬ遠き島より
流れ寄る椰子の実一つ
故郷の岸を離れて
汝はそも波に幾月
旧の樹は生いや茂れる
枝はなほ影をやなせる
われもまた渚を枕
弧身の浮寝の旅ぞ
実をとりて胸にあつれば
新なり流離の憂
海の日の沈むを見れば
激り落つ異郷の涙
思いやる八重の潮々
いずれの日にか国に帰らん |
これは文語体だから、文語と口語って知ってる?
口語っていうのは、君たちがしゃべってる、文語ってのは書き言葉。
日本の場合は文語と口語っていうのにとても離れてて、教養のない人にはわからない。
これは文語体で、できているので君たちはちょっとよくわからないと思う。
今は、文語はないからね。
でもこれ、なんとなくわかるだろう?意味はわかんなくても、なんかいいなぁって思うだろう。
それが大切なんだね。意味がわかんなくってもいいんだぁ。
大きな声を出して歌って、またはつぶやいて詠む。
これが詩なんだ。
詩を暗誦する。暗記する。で、暗誦する。
これは青年時代に、少年時代に絶対やらなきゃいけないことなんだ。ぜひやってください。
意味わからなくてもいいんだ。気持ちいいと思うんだ。
言葉が、響きがいいだろう?
こうやって、あなたたちの言語感覚がよくなる。
40・50・60の人と話をして、この人はとってもいいなぁと思う。
それは大抵、その人がとてもいい言葉を使うんだな。言葉使いがいい。
下品な言葉を使わない、下品な響きでものを言わない。
品良く使う、品良くしゃべる。そういった事を君たちは絶対に心がけて生きなきゃいけない。
そうでなければ、やくざと同じだ、動物と同じだ。いいね。
言葉っていうのは、その人の人格だから。
関西には多いんだけども、特に荒っぽくなる。それから巻き舌でしゃべる。
あれは、自分を辱めてるんだね、あれは、自分をいやしめてるんだ。だからやめろって。
そういう言葉使いをしている人は気をつけて。
品良く、品のいい言葉を使う。大切なことだね、これはね。
関西の人っていうのは、どうしても日本の中で軽蔑されてます。はっきりいって。
軽蔑されてない、尊敬されている人もいるけれども、関西の人は、なんとなく軽蔑されている。
どうしてかって言うと、言葉使いが悪い、わざと威圧的に、自分を悪者的にしゃべる。
そういう風調がある。だから関西人は軽蔑される。
品のいい人とは思われない、決してね。
だから君たちは、これから後何十年か生きるわけだから、どうせ生きるんだったら尊敬される生き方がいい。
周りの人に、いい印象を与えながら生きた方がいい。
下品な言葉使い、巻き舌の言葉使いはやめろ。」
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