川の学校
第五回目 吉野川下流 善入寺島(ぜんにゅうじとう)
平成14年10月12日・13日・14日 
10月14日
卒業式 〜 また会おう

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卒業式が始まりました。
お父さんやお母さんも出席されています。
辰野さんに作ってもらった笛で「めだかの学校」の合奏です。
みんな言われたとおり、ちゃんと練習してきたんですね。
笛とオカリナが、静かにみんなの間を流れます。

リンさんに教えてもらった落語を披露しました。
「・・・鬼平こと長谷川平蔵が、例によって両国橋のたもとに来た。仕事帰りと思われる蕎麦屋と、水商売風の女がすれ違った。と、そのとき、蕎麦屋の体が前のめりに崩れ落ち“蕎麦屋さん、怪我はねぇかい?”“そういうおめぇは・・・おつ〜ゆ〜”。」

「空き地に囲いができたんだって?かっこいー!」

リンさんも顔負け。表情豊かに楽しく話します。みんなも大笑いしました。


リンさんのお話。
『小さい落語家たちのお師匠さん』と紹介されました。
「別に私は『川の学校』で落語を教えに来たわけじゃないんですがもしかしたら、子供が家に帰って“おつゆ〜”とか言うかもしれません。そんときには一緒に笑ってやってください。」

みんなからせがまれて、また落語を一席。
「いよっ!真打!」の掛け声で何回もやった、ネタのばれた落語を披露してくださいました。
それでも、みんな大笑い。
そしてやっぱり最後は「おわんだぜ、ちゃわんだぜ」。
みんなで大大大合唱。このあとその歌声に送られて、リンさんはニコニコしながら帰っていきました。

姫野さんのお話

「川の学校では川ガキを作るつもりだったのですが、いつのまにか『芸人』をたくさん作ってしまいした。」

「今回、川の学校をやって本当に良かったと思うのは、みんなが川ガキになってくれたこともそうだけれど、地元の人たちが関心を持ってくれたことです。
僕たちだけがやっていたって、やっぱり意味が無い。地元の人が自分たちのこととして力を貸してくれたこと、これはすごく大きい。
こうやってこの動きが根付いていくことが大事だと思います。」

「今回の川の学校で、吉野川が自分の川になったね。これはすごくプライドを持てることだね。

ひとつお願いしたいのは、川ってすごく傷つきやすい。本当に壊れやすい。
例えばね、あの、むこうを見ると、河原がうっすらと緑色になっているよね。これは一昨年ありませんでした。こんな草ほとんど生えてなかった。
2年間でこんなふうになっている。あと、2年経つと、たぶんここに木が生え出す。
あと5年経つと、おそらくこの河原はみんな緑色になって変わってしまう。

あの緑色のやつ、なんだと思う?
これ、日本にはありませんでした。 ウィーピング・ラブ グラスって言う草です。
山を切り開いて道路を作ったときに、土砂が崩れないために、外国から草をいっぱい買ってきて植え付けた。それが大雨のときに、どんどんどんどん流れてきて、この河原にひっついて。

これからおそらく、何年かしたら河原はなくなってきます。
そういう外国から草が入ってくると、昔から吉野川にあった草がなくなってしまう。そういう形で。
そうした、ほんのちょっとした不注意で変わってしまう。

だから、 川が本当に好きになって、川のことがわかった子供たち、大人もそうなんだけど、吉野川がこれからどうなってるっていうのを、ぜひ気をつけて欲しい。

そういうね、ちょっとした、川からの信号をキャッチして。
ということが僕からのお願いです。

また、これから吉野川に寄って、楽しくやろうね。『芸人』になってね。」


お父さんやお母さんも一言ずつお話してもらいました。
「帰ってきたら、ニコニコして、妹にも『川の学校』を勧めていました。」

「実は今日、来るなって言われてたんです。それはたぶん、秘密を覗かれる、秘密基地を覗かれるような気分だったんだと思います。」

「ここへ半年ほどお世話になって、この下にある石のように少しは丸くなったように思います。最初はトゲトゲした子だったんで、どうなるかなと思ってたんですが、少々角はとれたかなぁって思います。」

「子供の名前は耕生っていうのですが・・・耕して生きると書きます。農業や川とか山とか、自然を相手に生きて欲しいと思っております。自然に親しんで、本当に自然を大切にしていくような子に育って欲しいと思っております。」

「うちの子は『川の学校』は次はいつある、どこへ行くんだ・・・とすごく楽しみにしておりました。今回も体調をくずしてたんですけど、何とか連れてくることができました。本当にこの『川の学校』を楽しみにしているんです」

「最初の開校式のとき、野田さんが「何をしてもいいよ。」っておっしゃって下さったときは感動しました。「川は危険。遊んだらいかんよ」って言ってたのに、そう言ってもらえるのは、みなさんの努力があったからだと思います。何かいいものが心に残ってると思います。」

「いつもいつも、子供から楽しい話を聞かされております。私は正直言って、子供が羨ましかったです。」

「うちの子は、親から見て、喜怒哀楽が表現できていないところがあったので、この子がこのままいくとどうかなって思ってたんですが、この三回目ぐらいから家でも大声で笑ったり、大きな声を出したり表情が出てきてくれたんで、本当に参加さして良かったなと思ってます。」

「もう、ここに置いて帰って、テントでもはらして、しばらく置いておきたいんですけども、今日はつれて帰ります。」

各班のリーダーだったスタッフも一言ずつ話しました。

「将来、小児科医になりたくて、子供たちといっぱい関わる場所ということで、参加させてもらいました。子供は飾らない。思ったことをそのまま言うし、だからこっちもそのままの気持ちを伝えなかったらコミュニケーションがとれんって感じの関係で・・・自分の思ってることを、ちゃんと感じ取らんかったらコミュニケーションがとれん、ということがわかりました。だから、なんか自分の思ってることとか、自分で知ることができました。
本当のコミュニケーションをかわすっていうので、子供とすごくつながることができました。
グループの中で愛が生まれるっていうのも実感したし、僕は、みんなを愛するっていうのか、まるごと受け止められるような、気持ちのいい関係になれたことが幸せです。」

「お世話していると言うよりも、私が癒されているっていう感じでやらしてもらいまいた。」

「お世話するようでされているっていうか、持ちつ持たれつ・・みたいな感じですごく楽しかった。」

「私の班は5人のメンバーがいて『チーム・姫』って言ってました。私のかわいい姫たちでした。いつもいつもお世話されていました。」

若いスタッフも、子供たちといっしょに大きく成長したようです。


卒業証書の授与が始まりました。

野田さんから、石の卒業証書が手渡されます。それぞれの班のリーダーのお兄さん、お姉さんとも握手をして、一言ずつ挨拶をします。
みんなちょっぴり緊張していて、ほんとに一言ずつでしたが、全員が「楽しかったです」と言っていました。涙をみせる場面もありました。

「釣りとか、カヌーとか良い経験ができてよかったです。」

「神奈川ではこういう吉野川みたいなきれいな川は無いので、吉野川を見て感動しました。」

「 友達ができて、その友達と生き物を捕ったりできて楽しかったです。」

「一番楽しかったのは、夜遅くまで、ずーっと外で遊んだことです。」

「普段、夜ふかししてなかったけど、たくさん夜ふかしできて、たくさん遊べてよかったです。」

「自分の好きなことばかりできて、すっごく嬉しかったです。」

「魚がさばけたり、魚の頭を食べたりして面白かったです。」

「このへんの地方の言葉を覚えられました。」

「たった5回だったけど、中味がすごく充実していて、友達もたくさんできて、すごい楽しかったです。今度はスタッフとしてここに立てるようにしたいです。」

「僕は最初、頭が夜、痛くなったりしたんですが、4回目くらいから痛くなくなってよかったです。いい経験ができました。」


みんながもらった卒業証書です。
自分で選んだ石に、野田さんがサインをして、班のリーダーのお兄さんやお姉さんが、みんなにあてて文章を書いてくれました。
これがスタッフが一生懸命作っていた写真立てです。野田さんとの記念写真をつけて。


辰野さんのお話

「笛以外の話をしましょうか。
実は今回、 昨日、一昨日と皆さんといっしょに参加できなかったのは、長野県の、最近テレビに出てるよね、田中康夫さんっていう変な知事さん、おなかの出た。あの人に頼まれて、長野県の方に行ってきました。
もうダムをつくらないでおこうって、そういう方針でね、田中康夫さんが政治をこれからやっていこうってしているんです。

長野県っていうのは、山がいっぱいあって、きれいな川もあるわけですけれども、その山や川を使った、そのビジネス、そこでなんとか経済がうまくやっていけないだろうか、ダムを作らなかったら経済はどうなるんだって話しで・・・諮問委員会(しもんいいんかい)・・・ちょっと難しい言葉ですけども、いろんな人たちがいろんな知恵を集めて、いろんな話をしましょうってことで、それで頼まれて、実は昨日行っていました。
終わってすぐ走ってきた。
8時間、9時間走ったけど、結局ここにたどり着かなくて、淡路島で寝てしまいました。

で、今朝一番にみんなといっしょに参加できて、どうしてもみんなの顔、見たかったんで・・・(辰野さん、うるうる)・・・ちょっとさっき誰か泣いてたから・・・弱いね、こういうの・・・・(がんばれぇーの声)みんなの顔見たら・・・・・・・(うるうる)・・・かっこわるいなぁ・・・

えーっと!魚のように鮎のように、みんな今日卒業して、海に出ていくけどね、必ずまた、川に戻ってきて下さい!どうも。」


野田さんのお話

「まず最初に吉野川シンポジウムというのがありまして、それでいろんな自然保護運動の闘争が始まりました。10年前です。
その頃、僕はまだ九州鹿児島でのんびり遊んでたんですが、いつも毎回姫野さんに呼び出されるんで・・非常に遠いんですよ、こっちに来るのが。しょうがないからこっちに住みつきました。

徳島県民になったんですが、日本を何回か回ってるんですよね、何処に住もうか、一番いいところに住もうと思ったんですが、徳島が結局一番いいところですね、結論として。
海と山、川・・・海と川が一番きれいなのは、日本では徳島県です。それは確信して言えることです。
日本で一番きれい、ということは世界で一番きれいなんです。
かつて、日本は何百本もきれいな川があったんですが、今は四国にしかありません。九州は滅びました。
本州もほとんど全滅。きれいな川が、もうないのね。
北海道に、1本か2本はありますが、あそこは遠すぎるし寒すぎる。
子供がもぐったり遊んだりする川は四国にしかありません。
高知と徳島だけですね。

徳島はそのせいでもないでしょうが、対国交省(国土交通省)に対する闘争は三連勝しています。
こういう県は日本に他にない。全部蹴飛ばして勝ったんです。徳島県民は誇っていいことで、姫野さんとかその他の人達が一生懸命がんばってきたんですね。
応援してください。応援の仕方としていろいろありますが、時間のある人は、こういうイベントで手伝いに来てくれる、又は顔を出すだけでもいいんですが、忙しい人はカンパしてください。1000円でも2000円でもいいです。そうやって、つながりができます。本当に。
本来は、国がやらなくてはならない事を、我々が、市民団体がやっているんです。姫野さんをはじめとする。
例えば、ダムを作らないで、何か代替案はないのかと考えたとき、資料となる、川の水、川の地形、川の断面・・・そういうことは建設省が全部持っているが教えてくれません。だから我々がお金を出して調べなければならない。実にけしからん話です。お金、いるんです。
日本の自然保護団体の中では一番突出してましてね、吉野川シンポジウムが。全国からお金、送ってくれる。何千万も。それでも足りない。
国がやるのでなく、市民がやるのには、こんなにお金がかかるのかとびっくりしているんですが、少しでも精神的な応援とともに経済的な応援もしていただきたい。
千円でいいんです。遠くからでもカンパしてください。
雑誌を見ますと吉野川シンポジウムの口座番号など出ているので、ぜひ、いろいろ応援していただきたい。
我々を支援して、全国のネットワークで、がっちりと組んで、遊んだり、戦ったりしていきたいと思っています。

それがこういう形になっている訳で、今年1年子供に我々が見せたもの、教えるのではなく見せたんですね。
そういう場所に連れて行ったんです。
それしか我々、できませんから。
そういう、素晴らしい川の体験ができたというのも、これね、僕もまだびっくりしているくらいで、本当に自信を持って、最高のものを与えられたと思っています。子供に。

川ガキにならなきゃ、こりゃウソですよ。絶対になります。
もう、すぐ、川を見たら飛びこむ、あなた達の子供は。そういう子供になりました。
5ヵ所でキャンプしましたが、こんないい川たくさんあって、どこもここもきれいで、みんな「やめろ」って言っても、飛びこみました。
そういう場所に我々がいるということ、徳島県民は誇りにしています。
その自然をちゃんと守って、自分の住んでる場所の自然を守ってる。
そういうことも又、誇りにしたいと思っています。
そういったことです。どうもありがとう。 」


最後に、全員で記念撮影。
いよいよお別れです。ひとりひとりと言葉を交わします。
車が見えなくなるまでスタッフは手を振りつづけました。
また会おうね。また川で遊ぼうね。

「川の学校」第2期はこうして終わりました。
スタッフはこのあとも反省会をきっちりとやり、これからの「川の学校」のために真剣に全員が話し合いました。

子供たちだけでなく、関わった若者たちの熱意と成長がこの活動の素晴らしさを物語っていました。
あまり写真には写っていませんが、もっと他の多くのスタッフによっても支えられた「川の学校」であったことを付け加えておきます。

また、昨年の卒業生の一人が自主的にキャンプ道具をかついで参加し、スタッフ見習として立派に活躍していたことも「川の学校」のすばらしさであることを感じました。

「川の学校」には、たんに「自然を大事にしよう」ということだけではない、「伝えなければならないこと」がぎっしりと詰まっていました。 それは人が生きていく上で大切なことすべてに通じていました。

多くの人の熱意から始まった「川の学校」。
野田さんが言われるように、全国で同じような活動が広がっていくことを願ってやみません。

「和の学校」は、これからも「川の学校」の一端を担えるよう、また同じように「伝えるべきことを伝える」という活動を続けていきたいと思います。


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