年末年始のあわただしい行事をこなしながら、新しい年を迎える。
「お忙しいんでしょうネェ……」とさかんに同情を集めるけれども……それでもここまでイヤダと思った事は一度もない。
イヤダと思うより……何しろ生まれてからこの方、正月は家の行事で過ごすより他は知らないのだからコメントの出しようがない。
年末年始のあわただしさをスケジュールにするとおよそ次の通り。
十二月二十九日は大掃除、三十日餅つき、三十一日朝から正月飾りの飾りつけ、そして夜は除夜釜、明けて一月一日は朝五時半頃より、新年はじめての茶である大福茶をいただく。それが済めば白みそ雑煮で膳を祝う。ちなみに当家では二日目は仙台風、三日目は東京風の雑煮を祝う。しばらくして初詣、初詣から戻れば年賀客の対応……となる。およそこんな調子で三日間はまたたく間に過ぎ去る。
寝不足のうえともかく忙しいけれど、新年という緊張感が漂っているせいだろうか……例年何とか乗り切って行けるのである。
こうしたスケジュールはおよそ寝正月とは縁遠いが、まさに日本の正月……がここにある。

この時期は年始のお客様も多いので当然のことながら頂戴するものも多くなる―けれども以前書いたように手みやげはもらいっぱなし……という訳にもいかないのが世の常だ。そこで我が家の定番とも言うべきお手みやげが登場するのである。
手みやげの筆頭は“ふのやき”という味噌せんべいである。これは亡くなった母が利休の時代の菓子……“ふのやき”に思いを寄せてつくらせたものだ。
ものの本によると本来のふのやきは……いわばみそをつけて巻いたクレープのようなものであった……らしい。が……この際そんな史実より、“思いをこと寄せた”ことの方が大事なのだと思う。
ふのやきは、実際クレープ状のものより、このみそ風味のせんべいの方がうんとうまい。自画自賛ではなく“あき”のこない味つけは……さすがに母が何度も味見をしただけのことはある。
どこでも買えないため……ふのやきの手みやげは喜んでいただけるものの筆頭であろう。
これ以外にも折々登場するのが、“ぎぼし”
の「吹よせ」だろうか……。
ぎぼしは四条柳馬場という中心街のなかにひっそりと控え目に店を構えている。本来は昆布の店だが、入ってみると今はこの吹き寄せが店の中心商品のようでもある。
ここの吹き寄せは、あられ、海老煎餅、豆、細工こんぶなど約二十種ばかりを混ぜ合わせたものだ。ていねいで上品な包み紙を解き箱のふたをあけると―昆布の香りが実に刺激的である。
その上なにしろ二十種の吹き寄せなのだから、さてどれから食べようかと……誠に悩ましいのだ。
この“ぎぼし”に匹敵する吹き寄せが、実はお江戸にもある。 |
それは神楽坂にある珍味堂のもので、基本的な中身は変わらないのだが、こちらの方があられの種類がバラエティに富んでいる。ぎぼしが上方の品を追うならばこちらは江戸の野趣っぽさが特徴かもしれない。
同じ吹き寄せであってもいささか趣が違うのだから、これに甲乙はつけ難い。
けれども頂戴するという点においては京都に住む我々にとってやはり江戸のものを頂戴する方が今でも何だかウレシクなるものだ。
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ところで……三ヵ日が終わったからといって正月が終わりではない。ほっとする間もなく七日からは初釜が始まるからだ。
七日から京都で始まる初釜は十五日から東京に拠点を移して続けられる。だから一月は正月行事に始まり初釜に暮れるのである。
さて、この間随分いろいろな水屋見舞(お茶の世界でいう楽屋見舞のこと)を頂戴するが、やはり何といっても、寿司の差し入れは人気が高い。その次はサンドイッチのようなものが……。
けれども個性的な―という意味において、また手軽に食べられる……という点において東京にある「ふくべ」というお店のおにぎりはなかなかのものである。おにぎりであるから……中身は“うめ”や“さけ”、あるいは肉のしぐれ煮……などでとびっきり珍しいものではない……。とはいえ味はいずれも平均点以上だし、銀紙に包まれたカタチも良く、また小ぶりなサイズであることもウレシイ。
なにせ初釜中の昼食はあわただしく、ほとんど腰掛けてゆっくり食べる―などという雰囲気はない―いわば戦場で食事をとるようなものだから、はしを使わず、手早く食べられる方が良いのだ。
そういう点において普段はあまり口にしない笹巻寿司のようなものもありがたい。
限られた時間の中とはいえ“食べること”が唯一の息抜きであり、また楽しみでもある……だから初釜中のウレシイ差し入れのネタはまだまだ尽きない。
けれどもそれらを書くには紙面があまりにも少なすぎる!と言わざるを得ない。残念ながら今回はここで筆を置くが……この続きは……いずれまた……別の機会に!
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