十二月、日本人が一年で一番多忙を極めるシーズンが到来した。何せ昔風に言えば「師走」というこの時期、世の中に超然としておられるべき師まで走り回るのだから多忙でない訳はない。
それにも増して十二月は日本という世相を鑑みるに最も適した季節であるといえそうだ。良く考えてほしい・・・・・十二月と聞いてどんなイメージが浮かびあがるかを・・・・・。
まずその一例としては世の中がクリスマス一色となるという点が上げられる。宗教的意識からいえば日本は文句なく神道そして仏教の国である。どう考えてもキリスト教徒が数パーセントしかいないこの国において何故かくも盛大にクリスマスが歓迎されるのであろうか・・…・!? これは永遠の謎といわねばなるまい。
けれども仏教を 、宗教というより美や学びととらえたこの国のことであるから、クリスマスが宗教を超えギフト商戦に使われたとしても・・・・・・それはそれで仕方のないことなのかもしれない。
そしてまた、このクリスマス商戦こそがいわゆる日本の伝統的習慣である歳暮の挨拶と重なっていることは不思議なことではある。けれどもこの商戦もしかし二十五日キリストの誕生の日をもって・・・・・・終止符を打つ。
次の日からはがらりと変わり、なんと古来より神事―である正月儀礼・・・・・・年末年始用品が短期間の本舞台を迎えるのである。とはいえこれらの迎春用品も既に十二月中には、年の市、羽子板市といったかたちであらわれている。
かくの如く・・・・・・神も仏も西も東も混迷混在の中、忘年忘形の交も深めながら日本の最終月は過ぎゆくのである。なんとも賑やかで和やかな国の話ではあるまいか!

さて、このお目出たい月にはやはり普段以上の交流も多くなる。それゆえちょっとした手みやげについてもこだわりたい季節なのである。
もらいものの多い季節だから足の早いものより日もちのことをまず念頭におくと、ぼくの選択は焼き菓子ということに絞り込まれる。なにしろ近頃の焼き菓子は結構レベルが高い上、おいしい。そして何よりバラエティに富んでいるのがうれしいじゃないですか・・・・・・。
そうした条件を充分揃えてくれている店に京都のマールブランシュがある。
もちろん生菓子もうまいけれども、ここの焼き菓子は随分とぼくの舌と心に満ち足りた思いを与えてくれる。
とりわけぼくのお気に入りはティベール、ビジュ・ド・ショコラそしてアップルパイの三点セットだ。
ティベールは「有機栽培」で作った宇治産の抹茶と丹波の黒豆を練り込んだもの。そしてビジュ・ド・ショコラは、従来の大粒黒豆の入ったものにはミルクチョコレートをかぶせ、アプリコットにはビターチョコレートをかぶせるという・・・・・・二種のコンビネーションに生まれ変わった。
そしてアップルパイは、なんでもないけれども飽きのこない味といえるかもしれない。
こうしたお気に入りに加え、時に近年人気のメイプルシロップパイ(リーフパイのようなもの)やフィナンシェ、マドレーヌ、クッキーといった定番を混ぜたりもする。このチョイス感覚もまた捨て難いのである。
ここのオーナーはK君といってぼくと同じ年で親友でもある・・・・・・が・・・・・・K君のご贔屓が過ぎてもいけないので、お気に入りの第二弾もご紹介することにしよう。

芦屋あるいは神戸、いや、あるいは関西を代表する菓子屋といえばやはりアンリ・シャルパンティエを抜きには語れない。
もちろん何でも水準以上にこなしてくる力強さもあるし、また、パッケージングの美しさは常に業界を牽引してきたといっても過言ではあるまい。
この店のお気に入りは、プティ・ガトー・アソルティと呼ばれるやはり焼き菓子。その名の通り「フィナンシェ」「フィナンシェ(チョコ)」「マドレーヌ」「マドレーヌ(紅茶)」「マロン」「カフェ」「プラリネ」「ピラミッド」といったフランスの伝統菓子をほんのひと口サイズに焼き上げているのがうれしい。
もちろんひと口サイズの八個入りという最低サイズからあるが、二十四個入りあたりが邪魔にならなくてヨロシイ。
また、二十四個入りぐらいになると丸いオレンジ色の箱も可愛らしく、楽しみも倍増するかもしれない。
なにしろ小型の上に小袋の個分けというパッケージはなかなかありがたい。
子供が小さい頃には、よく「おもたせ」の代表選手のようにこのギフトBOXが行き来していたことも・・・・・・今となっては少し懐かしい光景ではある。
最近の子供は・・・・・・遊びの質が変わったように、もう昔のようにケーキにもまんじゅうにもあまり興味がない。・・・・・・あまりボリュームあるおやつは歓迎されていないようだから・・・・・・こうした小さな焼き菓子は時代に適したおやつにもなり得るということだろう。
けれども環境や年齢にかかわらず、贈り選ぶときの楽しさ、もらっては何から手をつけようかと迷う楽しさ・・・・・・。
相方に楽しさを持つ焼き菓子は・・・・・・あるいは「つぶしがきく」という点においても、お手みやげの王様であるかもしれない。
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