この間まで咲き誇っていた桜の花が忽然と姿を消すと、洛中に若葉の季節が到来する。そのうつろいがみごとであるだけに、また去り行くものへの哀惜もひとしお・・・・である。
しかし若々しい力の萌芽は、いつも振り返る暇を与えない。五月!何という心地よい響きであろうか!光をひるがえしながら風とたわむれている新緑は、まだたよりないけれど、清々しい。そして日一日とたくましさを増し、青葉になってゆくほんのわずかな間は、眺めているだけで心が躍る。
いつもはのんびりとした姿の東山の稜線も、新緑の成長と共にモサモサとふくれあがり、少し背伸びをしたようにみえる。まるで散髪をしなければならない子供の頭のようでもあり、ほほえましい。
このころ先斗町には「鴨川をどり」の看板が掲げられ、花街は大いに活気づくのである。
けれど、活気づくのは花街だけではない。ネオンが灯る時間になると鴨川の河原にはカップルの姿が目立つ。夏場にかけては尚更で、何故か等距離に並び座る姿は都の新しい風物詩となっている。
踊りもさることながら、この時期はまた大切な祭りの季節でもある。王朝絵巻とたとえられる葵祭や東京では三社祭・神田祭と続き・・・・美しい季節はそれにもまして心いそがしい。
茶家にとってもいそがしさは同じことで、四月、五月には茶会や献茶式が増え、まさにシーズン開幕!の感が強い。
ところで茶の世界では年間を二つのくくりに分けていることをご存知であろうか?ひとつは十一月よりはじまり四月いっぱいまでの“炉(ろ)”。そしてもうひとつは、五月よりはじまり十月までの“風炉(ふろ)”である。
とりわけ五月は風炉のはじまりにあたり、それ故、初風炉 (しょぶろ)と呼ばれている。それは囲炉裏を囲むように暖をとり、楽しむことに別れを告げることでもあり、またあらたな装いで暑さを迎えることでもある。
清々しい初風炉の季節はまた端午の節句の飾りつけと共にはじまるが、ここに欠かせないもののひとつが「川端道喜」の“粽(ちまき)”といえよう。道喜については今更ここで述べはしないが、あの何ともいえぬ笹の香を楽しみながら味わう粽は道喜ならではのものがある。
けれども・・・・道喜のものは高級であることが知られ、それ故お手みやげ等には向いている―とは言い難い。差し上げたい気もするが・・・高級が故にかえって先方に気を遣わす―という事もある。お手みやげの類はもう少し気を遣わさないものが良いかもしれない。
今月は様々な事柄が多く確かにお手みやげや差し入れをする機会が増えてきそうだ。もちろんここで述べることは特別な場合で、お茶の席における水屋見舞や、楽屋見舞といった状況を対象ととらえていることはお許しいただきたい。
この時期のお手みやげ、差し入れにはいささか心得たい事がある―まず皆さんで召し上がっていただくという機会が多い為、分けやすく食べやすいという事を念頭におきたい。また、どのタイミングで食べられるかについては想定出来ない。まして暑さも気になる頃だからしばらく置いても問題がないという点にも気を配りたい。
そうすると・・・・パイのようなものは好ましい。ぼくのお気に入りは、京都であれば洛北高校の近くに店を構える「バイカル」のもので、とりわけ“ソワレ”と呼ばれるちいさな一口パイが味わい深い。これはいわゆる甘いパイではなく、オードヴル風に仕上げられているのが特徴だ。カレー風味やソーセージを巻き込んだもの等が数種類あり、いそがしい時の差し入れにはもってこいだ。ただし突然店頭に行っても常時販売しているものではなく、予約が必要となる。
これに匹敵するものとなると、東京ではおなじみの「ルポゼ」のものも有難い。この店はあれこれと手を広げず、業をパイとクッキーのみに絞り込んでいるところがウレシイ。パイの生地はバターの風味も良く、さくさくとした繊細な食感がたまらない。なんでも年間を通すと季節限定も含め、三十〜四十種のパイとクッキーがあるそうだが・・・その全貌を見たことはまだない。
ところで、これまで紹介をしてきたものを振り返ってみると・・・・みんな小さなサイズのものばかりで・・・・何かぼくの好みがすっかりあらわれてしまった様だ。
けれどもちいさいことを日本では“縮み”といって大切にしてきたのだから、これは日本人の好みである!と居直ってしまうことにする。
とはいえちいさなことが理に叶っている―という話もある。皇室ではお客様のもてなしに、“小さなサイズ”ということを大事にしているらしい。それは口に入れた時に邪魔にならず、また話しかけられた時もすぐに応対が出来るから―なのだそうだ。ただ品が良い―というだけでなく、ちいさいということにもちゃんと意味がある。
そういえば枕草子にも「ちいさきものはいとうつくし」とあるが、果たして清少納言はそんなことにも気付いていたのであろうか・・・・。 |