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山開き、海開きのニュースが流れてくると、どうにも心が浮ついていけない。君は山派か海派か―と問われたら、ぼくは文句なく海派と答えよう。
海派とはいえ、今風の遊びは少し苦手で、ひたすら海が好きなだけなのである。そう・・・・・・懐かしい響きで言えば海水浴という感覚がぴったりとくる。そして、子供の頃から、我が家で海水浴といえば、若狭高浜のことを言うのである。
高浜はひなびた町だ。
それでも繁華街らしきところがない訳ではなく、あやしげなスナックやストリップ小屋もあった様に記憶する。鉄道も通ってはいたが、昔は単線で、およそ三時間程の道のりは充分に乗りごたえがあった。
この町はずれに実は小さな古い別荘があり、そこが我々の夏の拠点であった。
およそ十日間の長逗留とはいえ、子供たちは皆この不便な町が好きだった。そして決して飽きることのない夏の日を過ごしていたのである。
畑に面した道にある大きなお地蔵さんを拝むことから、一日の日課ははじまる。
既に青い空には入道雲が力強く、炎帝は大いばりで君臨している。せみの声も騒々しい。朝御飯をすますと、涼しいうちにまず宿題をかたずけなければならない。そして宿題が終わると―次にお茶席の時間がはじまるのだった。これらが終わらないと海へ入ることは許されなかった。
昼ごはんは子供たちのリクエストでカレーライスやおにぎりのことが多く、なかでもほくほくの焼きおにぎりの味は忘れ難い。
昼食が済むと、祖母の命により昼寝の時間がはじまるのだが、もったいなくて寝てられない!寝る振りをして、ひそひそゴロゴロしている内にお許しが出る。いっせいに飛び起きると後は・・・・・・ 一目散に海に駆け降りるのみだ。
楽しい時間はまたたく間に過ぎ去る・・・・・・。
陽はまだ高いけれど、およそ五時までには引き上げねばならない。塩と砂にまみれた身体を待っているのは、五右衛門風呂だった。日焼けした肌には湯が熱く、ワアワアと子供達はにぎやかなものである。
風呂あがりには、天瓜粉にまみれる。さらさらとした感触とほのかな香りがほてった身体に心地良い。
ふと気がつくと、近くの山からはかなかなの泣き声が静かに迫っている。
床の間にある花も一日を経て元気がなく、ただ半夏生だけが何かあやしげでもあった。
夕餉に出る田舎のしょっぱい沢庵は苦手だったが、それでもひなにはひなの味わいがある。時折自分たちで釣り上げた魚に文句はなく、畑でとれたばかりのトマトやなすもうまかった。甘党のぼくとしては、この小さな町の小さな名物にも目がなく、わかめ味の羊羹やニッキ風味の源六餅も大いに楽しんだ。
けれども、一番好きだった夏の味覚は、残念ながら地元のものではなかった。それは時々母がつくってくれたゼリーなのである。

決して料理上手とはいえなかった母だけれども、ゼリーをねだると―うれしそうに「ヨシッ!」と腕まくりをして取り組んでくれた。
とはいえ、このゼリーは決して特別のものではない。市販のゼリーの素に、レモン汁を少々加える―というのが母のレシピであった。甘い中に少し酸味ただようこのゼリーは、ぼくにとって・・・・・・懐かしい母の味なのである。だから、今でもゼリーは好物のひとつなのだ。
たとえばシンプルな味わいを楽しみたいのなら、やはり京都の村上開新堂のものを忘れてはならない。まず、好事福盧(こうずぶくろ)という命名が素晴らしい。
子供の頃はただ、みかんゼリーと呼んでいたが、ある時名前があることを知り、いたく感激をした。紀州蜜柑を充分につかっていて、ほんのり甘くやわらかい感触は絶妙である。
味にうるさかった作家の池波正太郎氏も余程お気に召したとみえて、この好事福盧の事を「むかしの味」というエッセイの中でくわしく紹介されている。
さて、もうひとつ珠玉のゼリーを紹介しておきたい。
京都は上七軒という最も古い花街の中で菓匠を営んでいる老松のものである。
夏柑糖と呼ばれているこのゼリーはその名の通り、「夏みかん」を材料としている。それも萩で栽培した純粋夏みかんの大粒を選んでいるのだという。一つひとつ手作業で中身をくり抜き、絞った果汁に寒天を合わせる―というのが大きな特色である。
先に述べた好事福盧が冬の限定品であるのに対してこちらの方は初夏より夏みかんが尽きる九月頃までの限定品となる。
この大ぶりの夏柑糖をざっくりと半分に切るとみかん色の断面が美しい。スプーンを入れるとサクリと割れるような感触がいかにも寒天らしいのである。
ぼくは暑い夏の朝にこれを食べることを好む。冷ややかで、つるりとした喉ごしは―熱帯夜をすごした口に優しいからだ。だから、夏柑糖はギフトではなく、半年を無事に乗り切れたぼく自身のご褒美にしたい。
さて、今日も夏柑糖を二つ程買い求めに行こう。
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