第12回「白砂で、お盆の上に一瞬の世界を作る『盆石』の贅沢」

文・伊住政和 写真・小林廉宜
 
 盆石という、はかなくも美しい芸術があることをご存じだろうか?
 これは、黒塗りの盆の上に石を置き白砂を配し、羽や小箒をもって繊細に自然の情景を再現するものだ。
 優しくささやかにみえるこの営みには、けれどある種の大胆さも要求される。
 というのも砂を箒(ほうき)でかきわけるとき、あるいは匙(さじ)で小石を散らすとき怖がっていては、いきいきとした景色にならないからだ。
 繊細にして大胆という対比とともに、ほとんどの場合、黒と白の対比と階調により作品は構成される。
 それらがつくりあげる枯淡な味わいと優雅な趣が私たち日本人の心情にかなうのか、盆石の世界は大いなる安らぎを与えてくれる。
 そして私達日本人が好む「ちぢみ」と「見立て」がこの世界には込められている。
 「ちぢみ」は時間と空間の概念で、日本文化の特性としてたとえられ、よくコンパクトカルチャーと呼ばれているものだ。小さきものはみなみな美し――という言葉の通り、この小さな島国の人々は何かにつけ、ちぢみの世界にひたることを喜ぶ。
 また「見立て」は別世界の出来事やモノをより身近な次元に引き込み、まるでそれがすぐそこにあるかのように仕立てあげること。
 つまり、盆石は小さな世界にもかかわらず、手元に置くことができない風景や物語が、まるで切りとられたように再現される。
 そのため、使われる石や砂もその風景にふさわしく、また似通ったものを吟味するのである。
 それらは自然のほんの小さな一部でありながら、しかし盆の上では大自然より雄弁でなければならない。
 だから盆石を学ぶことは自然を観察することであり、そして自然と感応する力を養うことにもなる。
 殺伐たる現代文明の喧噪(けんそう)の中で、にぶく眠りかけている五感も、盆の上の景色を作っていると少しづつ呼び起こされてくる。
 よく日本人は創造力に欠けると揶揄(やゆ)される。けれども少なくとももう一つの想像力――イマジネーションに関しては決してひけをとらない。
 なぜなら盆石に限らず、ほとんどの日本文化の中に、想像力が要求されるこの「ちぢみ」と「見立て」の手法が取り入れられているからだ。
 想像力を使うことは実は知的なゲームだ。そして楽しい。
 和菓子にどんな銘をつけるのか、竹の切れ端や土くれが生み出す意匠にどんな世界を思い浮かべるのか――それらはすべて想像力がものをいう世界だ。
 この日本ならではの想像力を養うためには、少しばかりの勉強は必要だ。
 盆石においても単に風景を写せばいいのではない。その風景を詠んだ和歌がベースにある。つまり和歌を通じ、盆の上に再現する世界をより深く理解する必要があるのだ。
 盆石は、忘れかけていた日本人としての記憶をよみがえらすのにもってこいの慰めだ。
 そして最大の特徴は、作品が残らないということ。
 残らないがゆえの“あはれ”と、残さないいさぎよさ(あっぱれ)がそこにある。
 心を空っぽにして懸命に作品をつくりあげ、そしてまた自らの手でそれを破壊する。
 それは常に創造と破壊を繰り返す大宇宙の摂理をも映し出しているかのようだ。
 盆石を通じて私達が学ぶべきことは多い。
(この原稿は、「日経ヘルス2000年9月号」より転載されたものです)

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