第2回「心を澄ませて香を聞く」


 友人のKさんは残業の日が楽しみだ。 その訳はKさんの家の玄関にある。
 仕事に疲れたKさんをまず迎えてくれるのは、玄関の脇に置かれたローソクの灯と、ほのかに漂ってくるお香のかおりだ。  
この心憎いまでの演出はKさんの奥さんの心づくしだが、このもてなしでKさんは一日のつかれをまたたく間にいやすのだと言う。
 ちょっと好い話ではあるが、ノロケと一緒にこの話を聞かされた一同は、我と我が身を振り返り、しばし唖然となった。
 さて、近頃は、香りによるいやし―アロマテラピーが静かに浸透している様だが、
K家のこうしたもてなしには日本人的情緒があり、カタカナで呼びたいとは思わない。
 日本には古来より香を楽しむ文化があり、それを昇華させたものに香道があるからだ。
 私のいる茶の湯の世界においても、香をくべることは大切なもてなしのひとつでもある。
 火中にくべられた香が、ややあってから、かすかな芳香を室中に漂わせてくるとき、眠っていた五感は開き、感性はとぎすまされていくようだ。その時、茶室も又、知らずうちに非日常の空間へとワープしていく。
 宗教的空間に灯と香りが不可欠であることはこのことをしても良くわかる。
 香りには確かに、人を異界へ誘っていく見えない力があるように思う。私は香りを身近に置くことを好む。
 決して正式でもぜいたくでもないにしろ、ほのかな香にいつもつつまれていたいと願っている。
 だから芳香剤の様なものではなく、つかれた自分を慰める為にも香をたきたい。
 それはストレスの多い生活に刺激を与えてくれる一種の気つけ薬のようでもある。
 ところで―香を楽しむ時、日本では独特の表現を使うことをご存知だろうか。
 香を聞く―という言葉にはいささか思いあたるところがある。それは香をたのしむ所作に由来がありそうだ。
 というのも、香はたちのぼるかおりを片方の鼻の穴から吸い込み又片方の鼻の穴からはきだす様に―と教えられる。
(もち論これはひとつのたとえ―で現実にそうするわけではない。)
 この時少し小首を傾けるのだが、それはまるで香の繊細なささやきに、耳をそばだてている風でもある。
 だからこそ古人は、香をかぐではなく聞く―という表現を選んだ様な気がしてならない。
 こうした言葉ひとつにこめられた先人の感受性には敬服すべきことが多い。
 さて、私の住む京都には、数多くの老舗がある。
その多くは細く、長く、燃えさからず、まことに線香のように、息の長い変わらぬ仕事を続けている。

 その中でも香を商い続けて名高い松榮堂という店がある。
 ここでは、寺や家元をお得意先とした伝統的な仕事と共に新しく生まれてくるニーズにあわせた商品開発にも意欲的だ。  
現代的な空間においても、全く異和感なく使うことのできる香もある。
 現代的とはいえ、色目も京都らしくはんなりと優しく、すべてが控えめでどこにあっても邪魔にはならない。
 こうしたシリーズはリスンと名付けられているが、この名前が先に述べた、香を聞く―から出ていることは―言うまでもない。
 リスンでKさんの家のようないやしともてなしを!


(この原稿は、「日経ヘルス」より転載されたものです)

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