第6回「キーボード時代の今だからこそ書を手習ってみる」

文・伊住政和 写真・小林廉宜
 

 実のところきわめてメカに弱い。
 当然のことながらワープロを使えるわけでもなく、この原稿もひたすらに手書きという有り様。
 けれども負け惜しみではなく元来文字を書くということが好きだ。
 筆まめでもある――と自負しているし、仕事柄色紙を頼まれることも多い。
 その度に禅語の本や古典を調べるひとときは、忙中閑ありで楽しみな時間といえる。
 ただし、書のスタイルからいえばこれが全くの我流で、手本は、父の書いたものに依るところが多い。
 ある時、いつまでもそれでは良くないだろうと兄が一冊の本を推薦してくれた。
 それが、「五體字類」という本で、様々な漢字の書体が載っており誠に重宝している。
 とはいえ我流は我流に違いない、今回は念願叶って書の手習いをすることにした。
 さて、指導を仰いだのは友人の書家、千田満紀子さんである。
 彼女は京都の名門日比野光鳳先生の門下でかな文字を専門としている。
 はじめに数多く準備してもらったお手本の中から選んだのが「雪月花」の文字。
 さらりと美しく書かれた書体にしばしみとれながら墨に筆をおろす。
 書とは不思議なもので、雪は雪、月は月、花は花の雰囲気が漂ってくる。
 ともかくまずは構え方、そして筆の持ち方を教えられる。
 筆は決して寝かしてはいけない、そして大字を書く時は筆の上部を持つ。
 そして小手先を使わずひじを引く様に筆を運ぶのだという。
 筆を止める、ゆっくりと動かす。
 強弱、濃淡のポイントに注意する。
 最初の手習いは、結論からいうと高いハードルを選びすぎた様で、何ひとつうまくいかない。気分は深刻になり、あせる。
 レンズの向こう側にもその心が映っているのか「エンプティになっていませんねエ」というカメラマン氏のひとことがこたえる。
 ゆとりを取り戻すためにひとまず休憩をとった後、今度は小字に挑戦することになった。
 小字のお手本は、何とウレシイ! いろはにほへと――最初からこれを選ぶべきだった。
 小字に移ってからはなぜか絶好調で、気にしていた筆の持ち方にも慣れ、先生にほめられることしばしとなった。
 ゆとりが表れたのか外野席からも「さっきより表情が柔らかですネ」という声を耳にし、さらに余裕が生まれ、集中力が高まった。
 ともかく、ほめられるということは大切だ。
 子供のような気持ちで取り組んだ今回の手習いを終えて思ったことは、率直に先生の言う通りにやってみることの大切さだった。
 たとえば一見書きにくく思った筆をたてる――ということもやってみれば、思いの外、書きやすかった。
 特に大人になってから習い事をはじめる時、邪魔になるのは自分の分別(わかったつもり)というものの様な気がする。
 やはり、基本のない我流ではいつか壁にぶち当たるに違いない。
 「稽古とは一より習い十を知り十よりかえるもとのその一」
 利休道歌の中にある一節は基本と向き合うことの大切さを教えてくれる。
 困った時は、基本にかえる、悩んだ時は初心忘るべからず、ということはジャンルによらず共通した教えではなかろうか。
 人生に慣れ、一生懸命さを失った時、我々は心の悩みやスランプを感じるのだから。
 稽古というのは、忘れていた自分を取り戻すための場所でもある。
(この原稿は、「日経ヘルス2000年3月号」より転載されたものです。

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