第7回「季節と言葉を紡ぐ俳句の贅沢」
文・伊住政和 写真・小林廉宜
春の山からころころ石ころ(山頭火)
最近俳句を楽しんでいる。
俳句の良さは、十七文字という限られた枠の中で思いを凝縮させることにある。
それゆえに、人間の心の中に渦巻く喜怒哀楽のすべてを語りつくすことは出来ない。
あふれんばかりの思いがあっても、何かに絞り込まなければ俳句にはならない。
ひとつ、またひとつと削り落としていく中で、本当の自分と寄り添ってくれる珠玉のひと言と巡りあった時、俳句はうまれる。
もしも巡りあわなくともあわてることはない。太公望のように釣り糸をたれて待ち続ければいいのだ。
仕掛けながら待っている――というのも仲々スリリングなものである。
もしも運よく巡りあえたなら、その喜びは金銭で手に入るものではない。
人は、自分を託すことができる何かをいつも求めている。
けれども託すものがなかったり、見つからない時、人は誠にやるせない。
言葉や文字は人にとって何かをあらわすことが出来るとても有効な手だてだ。
言葉にすること、文字にすることで、不平不満のいくらかは解消することもできる。
自分を託せる何か――に俳句はもってこいだ。
なにより自分の都合で出来るし、紙とペンのほか必要なものはない。
十七文字に収めること、季語をつかうことなど約束事はあるけれども、それが好ましくない人は冒頭の山頭火のように、あるいは俵万智のように自由な律を踏めばいい。
すくなくとも、この一年俳句をつくり考えるひと時は、私にとって、この上もないエンプティの時間となっている。
そんな訳で今回は大好きな俳句を友に、大好きな鴨川を吟行してみることにした。
この日、春浅き鴨川はのどかで、やわらかな風景だった。 ひとついい俳句をひねりだしてやろう、というあさましい気持ちは、その風景の中ですっかり浄化されてしまった。
どなたの言葉か忘れたが、美しいものを美しいと思う心が美しい――今、私の心は美しい、そんな心境になっていた。
日向ぼっこする鳩の群れ、美しく泳ぐ番の水鳥、橋の上を歩く人達のゆったりとした歩み。ふと見ると河原の石コロの中に鳥の骨が…。そこで一句。
とび石を渡るリズムも春となり(拙作)
気がつかなかったこと、見過ごしていたささいな出来事が、心を澄ましてみるだけで、万華鏡のようにどんどんあらわれてくる。
才能の有る無し、出来の良し悪しが問題ではない、ペンと紙を手に歩き回ってみよう! あたらしい自分が発見できるかもしれないから。
(この原稿は、「日経ヘルス2000年4月号」より転載されたものです)
▲エンプティ-の時間TOPへ