第9回「呼吸に集中して心を空にする座禅」

文・伊住政和 写真・小林廉宜
 
    
 持ちきれない荷物の重さ前後 尾崎放哉

 男も四十代になれば、背負っているものの重さに息苦しさを感じる時がある。
  肩書き、社会的責任、人間関係からうまれてくる喜怒哀楽の一切がなんだかわずらわしい。
 そんな時は、全身で無心になれるか何かに立ち向かってみたい。
 たとえば坐禅。
 ちょっとスランプ気味の今日、座禅を組むために京都・紫野大徳寺の塔頭龍泉庵を訪れている。
 この寺は、大徳寺内の庭が有名な大仙院から芳春院に向かう道すがらにある。
 目立たないためその存在を知る人は少ないが、我が師、福富雪底・大徳寺管長が京都滞在中に逗留される場所でもある。
 壇家を持っていないことが特色だが、水曜から日曜までの毎朝坐禅堂を開放し、来る人を拒まないという点も珍しい。
 この朝も定刻七時には数名の外国人参禅者が、静かに慣れた作法で坐禅に取組んでいた。
 さて、ここで簡単に坐禅の基本を述べてきたい。
 各自が自分の座る場所を決めて、まず合掌一礼。
 単といわれる、座布団の前に渡された木(お茶などをいただくときに使う)に足をかけぬよう気を配りながら着座する。
 左足が上になる様に足を組み、法界定印という組み手に構える。
 姿勢を正し、目はうっすらと半眼にすれば、これで一応坐禅を組む態勢は整う。
 「両膝で大地を支え、舌で上あごを支えるように」と教えられる。
 線香が立てられるといよいよ坐禅会の始まりである。
 呼吸は鼻からゆっくりと長く吸い、また時間をかけて長く吐く。集中するために、初心者は呼吸を数えるようにといわれる。けれどもこれがうまくできない。
 実のところ、呼吸がやっと整ってきたと思えたのは一本目の線香が消える頃であったろうか。成寂な時間に支配された空間の中での小一時間は、思いの外早く過ぎていく。
 その昔、坐ることで悟りを開いた道元は、「坐禅は安楽の法門なり」といった。そんな言葉がふと頭をよぎる。
 もちろん心身脱落などという心境には程遠い。
けれどもひたすらに坐ることで、心の執着や重い荷物のひとつずつが解き放たれていくようだ。

(この原稿は、「日経ヘルス2000年6月号」より転載されたものです)

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