茶道は “心”を磨くもの。

 今、お茶を習っている若い女性が減りつつあります。なぜでしょうか。お茶やお花と言うのは、これまでは花嫁修業のひとつとして「お嫁に行くまでにこれくらいは・・・」という感覚だったんですね。
けれど最近はあまりそういうことは言われないし、習い事の範囲も広がっている。英会話とかコンピューターとかを勉強したほうが、すぐに明日会社で役に立ちますしね。茶道で身につけるものは礼儀作法やお点前だけ、そんな風に考えているなら魅力を感じなくなるのは当然でしょう。
ただおもしろいのは、お茶に興味があるかと聞くとほとんどの女性があると答えるんです。お茶の世界はお作法だけではない、もっと何か大切なものを学ばせてくれるのだと誰もが感じてはいるんですね。
 それはいったい何か。とても抽象的な言い方になるのですが、それはやはり“心”です。利休の逸話でこんな話があります。彼が宇治のお茶屋に招待されたとき、ご主人が緊張のあまり、すごく下手なお点前をした、ひっくり返すわ、こぼすわ・・・みたいな。で、あとで同行したひとが「利休さんの前でどうしてあんなお点前ができたんでしょうね」と笑ったんですが、利休は笑わなかった。「亭主は心から私をもてなそうとしてくれた。結果は失敗だったが、あの心は学ばなければいけない。」と。
 ひとをもてなす心。ひとをくつろがせる心。そばにいるとなぜかほっと安心できて、どことはいえないけれどやさしい魅力が匂い立つひとっていますよね。そんな心の部分を磨くことが、本来、茶道が目指すものなんです。

  今セカンド・ルネッサンスの時代。

 そう、今の時代に問われているのも何より心の問題ですよね。近頃『EQ』という言葉がさかんに言われているのも同じ。心の知能指数・・・なんて翻訳されていますがIQ、知能だけではない人間としての生き方そのものを見直す動きが高まっているということでしょう?世紀末といわれ、社会不安が叫ばれ、みんなが自分を見失いがちじゃないですか。自分はいったい誰なのか、どこにいるのかさえわからなくなっている不透明な状況のなかで自分自身を確認しようともがいている。心のあり方が問われるというのもそんな時代の反映ではないでしょうか。
 僕は、伝統文化のなかにこそ、そんな混乱した状況を解決する秘密があると思っています。“わからない”ときには原点に戻ればいい。自分のことを見つめ直し、足もとを確認するための、そういうものが必要なんです。ルネサンスの時代にひとびとが何をしたかというと「いにしえに習った」んです。過去に習って、そして今の自分たちがどうあるべきがを考えた末に起こったのがルネサンス運動ですよね。日本は、いえ世界はセカンド・ルネサンスの時期に来ているんじゃないでしょうか。世界平和、インターナショナルをいくら叫んでもナショナリティーに裏打ちされていなければ結局ダメだと思いますよ。自分たちの文化がわかってはじめて、他人の文化が理解できるんですから。そうやっていろんな意味で『自分を知る』ことが、今の不安な時代に安らぎを見つけられるドアだと思うんです。そのドアを開くカギ、それが伝統文化なのです。

  茶の湯はマルチメディアである。

 そこに何かがあるのはわかっているけれどなかなか敷居が高くて・・・と、伝統の日本文化に飛び込めないひとも多いと思います。こちら側にも問題はあるんですね。まずナビゲーションのシステムが不親切。お茶をやりたい、文化を肌で感じたいと思っても現実には教室でお点前からはじめなくちゃいけない。作法をきちんと身につけることが心を育てることにつながる、それもあります。が、パソコンのようにパッと答えを出してくれないものどかしさを、現代に生きる女性が感じるのも当然だと僕は思います。山登りでいえば、登山道がひとつしかない感じ。それもすごく遠回りな、ね。僕自身は、山の登り方は何通りあってもいいと思っています。ロープーウエイでも、途中まで車で登っても、頂上には到達できると。
 そんな思いから、最近インターネットを使ってお茶の情報を発信したりもしています。茶の湯はマルチメディアである・・・というのが僕の持論なんです。どこからでも入れるし、どんな形でも発信・受信できるから。決して苦労して修行するものではないし、選ばれたひとびとのためにだけあるのでもない。自由で風雅な遊びなのだから、毎日をより楽しくするためにこそ学んでほしいのです。
 そして、そんな遊びのなかで、ふと自分のなかの『日本人』 に出合う瞬間がある。たとえば季節のうつろいにはっと気づいたり、虫の声に音楽を感じたりする、そんなことが多くなったり、あの小さな茶室のなかにさまざまなドラマを感じ取れるようになるんです。
 かつて日本人が持っていた豊かなイマジネーションや創造力、そんな感性をもう一度とり戻すこと。伝統文化に触れることの効用はそのあたりにあると僕は思います。それを知ったなら、きっと、生きるということが今以上に豊かでみずみずしいことだという感覚に満たされるようになるでしょう。

この原稿は平成9年大阪ガスの情報誌「Utila」で、伊住政和校長のインタビューをもとに構成されて掲載されたものです。