第1回 「年末年始は海外ですか?」

 

 

 師走も中頃になると「年末年始は海外ですか?」と尋ねられることがある。
「トンデモナイ!」と応えた後、家元の年末から年始にかけての行事についてひと通りの説明をすることになる。

  話し終えると先方は何か夢でもみているかのような表情で…「大変ですねェ 」とつぶやかれる。

 利休御祖堂からはじまる煤払い、餅つき、正月の飾りつけ、除夜釜 、夜もあけきらぬうちにはじまる若水汲み… そして大福茶の行事は―本当にあわただしい。正月の膳を皆で囲むころになると…やっと毎年のように去年今年の実感が湧いてくる。

 けれどもこうした様々な行事を決してツライ…とも嫌だ…とも思ったことは一度もない。
それはおそらく―と理由をつづけようと思ったが、ここで…筆が止まった。 そしてよく考えてみればみる程何故だか白々しい説明のように思えてならなかった。

  それはおそらく…理由など存在しないからなのだろう。
 
  決して使命感や義務感ではなくこうした行事をツトメることが、 この家に生まれ、この家の空気を吸いつづけている―証のようなものだから…。 あるいは、人は血に逆らえない―という言葉そのものであるのかもしれない。

 ところで―薩摩苗代川に伝わる「オノリソ」という歌がある。
 
  「オノリソ」は神祝歌≠ニいうべきもので、旧暦八月十五日の満月の日廟前でまつり歌うものであるらしい。この韓語を訳された故司馬遼太郎氏によると、意味は次のようになるようだ。

来る日も来る日も毎日々々が 今日と変らない
  日は暮るる日はのぼる 今日は今日いつの世も同じ


 秀吉の朝鮮出兵で、捕えられ、以来四百年薩摩の地にある沈 壽官氏をはじめとする方々が守って来たこの古い歌には感ずるところが多い。

  いつの世も同じであった―はずはないだろうが、いつの世も同じ―と言い得る ことが大事であるのかもしれない。我々がそうであったように…又父や先祖がそうであったように、我々の後に続く人達が伝統行事を空気を吸うごとくさりげなく、又楽しく受
け継いでいってくれることを心から願いたい

 
さて、今年も相変りませずの気持ちをもって日々新たに取り組んでいこう。


        去年今年貫く棒の如きもの (高濱 虚子)


淡交タイムス 平成14年1月号掲載


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