第3回 「一光さん」



 旧聞に属するかもしれないが…一月に急逝された田中一光さんの想い出を書きたいと思う。

 一光さんといえば、知る人ぞ知るデザイン界の大御所で、その業績については 今更ここで語るべくもない。

  けれども簡潔に述べてしまえば、デザインという概念あるいは領域を限りなく社会に定着させた方である―といって間違いない。そしてその功績により先年国より文化功労者として顕彰されたばかりであった。

  奈良に生を受け多感な青春時代を京都に過ごされたためであろうか・・ 一光さんの伝統への興味と日本美への確かな視点は、いかなる表現をされていても、まことにゆるぎないものであったように思う。

  文化のアイデンティティーが揺らいでいる今日、伝統と現代をつなぐ一光さんの存在は大切であり、それ故にまた稀有であった。

  今となっては取り返しがつかないが・・かえすがえす残念でならない。

 ぼくと一光さんの出会いは、今から十数年前にさかのぼる。友人の陶芸家大樋 年雄君の強いすすめで、ちっぽけな仕事を依頼したことに始まる。

  最初に出会った印象は決して良くなかった(ゴメンナサイ!)。というのも・・ ニコリともせずあらわれた一光さんに開口一番「出来るかどうかわからないョ・・ まあ話を聞きますが・・」と言われ、大汗をかいた記憶があるからだ… 寡黙で怖い人であった。

 けれどもそれがシャイで繊細、真面目な性格によるところとわかり、二回目以降はすっかり打ち解けることが出来た。そして若い頃に淡交社の出版物を数多く手掛けておられたこともわかり(早く言ってほしかったナァ)、御縁の深さを改めて感 じたものであった。

 本当のお付き合いが深まったのは、山荘で開かれたワインパーティーに招かれた時からだった。

 退屈まぎれに始めた即興茶会が、一光さんのクリエイティブマインドを大いに刺激したらしく大いにお気に召した。その後、この時に集まったメンバーを中心に、クリエイティブ茶会「茶美会・然」を開催するに到った。
 
 この茶会は、伝統と現代の出会いをテーマに、現在まで様々な形で継承され続けるのである。

 こうしたことをきっかけに茶道の稽古にも取り組まれ、自宅の一部を改装し窓庵≠熬a生した。

 亡くなるまでの十年の間には二十回以上の茶会を催され、心の底からお茶を楽しんでおられるようであった。

  だから、この三月からニューヨークで始まった「ザ・ニューウェイオブティ」の開催をだれよりも心待ちにし、亡くなるその夜までデザインされた茶室と図録のことを気にしておられたと聞いている。

  出来ることも限られているが、何とか良い展覧会にして、一光さんへのお供養にしたい・・と思っている。

  けれども本音をいえば、何故だか今でも展覧会にひょっこり来てくれそうな気がしてならないのだけれども…。

ぜんまいののの字ばかりの寂光士 (川端 茅舎)


淡交タイムス 平成14年3月号掲載


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