第5回 「おこしやす 京都」

 



 初夏の陽射しが目にまぶしく、野山の緑が美しい季節になって来た。
五月! 何と清々しい響きであろうか。けれども今年は思いかけず桜が早く季節のうつろいも少しあわただしい。本来なら新緑の初々しさを楽しむころだが、立派に成長した青葉が既にたくましい。
 それもこれも地球温暖化現象のせいであろうか―と考えてしまうのは科学オンチのせいに違いない。

 何かのせいといえば、こうした自然現象のいたずらで影響を受けるのは、農業だけではない。観光都市と名乗る京都も、少なからず影響を受けているようだ。
聞くところによると、桜の盛りが三月であった為、四月に入っていた予約が前倒しになり、ホテルのキャンセルも相次いだという。桜に関したイベントも随分混乱したようだ。
気まぐれなのはどうやら季節だけではないらしい。しかし乍ら、京都は四季を通じて美しい。年間を通して祭りや行事も多い為、影響を心配するほどではないかもしれない。

 それにも増して、今京都は、観光客をさらに受け入れるべく努力を続けている。そのあらわれとして生まれて来たのが「おこしやす京都」である。
これは簡単にいってしまえば、観光都市京都のもてなす心≠広げる運動体といえよう。タレントとしても有名な市田ひろみ委員長を中心にこれまで数多くの活動をおこ なってきている。

 先日久し振りにこの会議に出席したところ、ある委員から実に本質的な意見が出た。
それは、行事をつくり出すことばかりが観光ではなく、観光都市を支える市民のくらしや心が豊かでなければならない―ということだった。
確かにその通りで、何の異論もなかった。それでもあたらしい観光施策はつくり続けられている。その一方で、それを支えていく市の財政的基盤は、不況も重なり逼迫しているようだ。又それらの観光策を支える人材や受け入れる団体も限られているように思う。
行事をすれば確かに人出は多くなるが、それを支える人達がまさに行事ヅカレをしてしまう可能性もあり、豊かな心を育てる状況はますます生まれにくい。耶律楚材の言葉ではないが、「一事を生やすは一事を省くにしかず」を肝に銘ずる時であるかもしれない。
そんな事を考えている時にふと気がついたのが、堀川通りの銀杏並木のことである。

 この銀杏並木は毎年新緑の芽吹から秋の本番まで充分に目や心を楽しませてくれている。
その銀杏がある日、かわいそうなぐらい切り落とされていた。
これは何事か―と問い合わせてみたところ、どうやら街路樹のメンテナンス予算のカットに問題がありそうだった。事情は理解出来るが、こういう事を省く対象にすることは、決して豊かな心を育む環境につながらない。
 山紫水明といわれる美しい風景を維持していくことこそ京都がすべき観光の基本ではないのだろうか―。 企てることばかりに気をうばわれてはいけない。
花開けば蝶自ら来る―あらためてそう思わずにおれないこのごろである。


大いなる新樹のどこか騒ぎをり (高濱 虚子)

淡交タイムス 平成14年5月号掲載


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