第6回 「衆愚」



 衆愚という言葉を耳にしたのは――もう十年以上前のことであった。
その頃から政治の世界の混乱は始まっていたが、何かが改善された気配は残念乍らない。景気の動向をみても底を打つ感触は薄いが政界の底は深そうでまだ見えてはいない。これだけ長く混乱が続いていながら政界が与野党共に自浄能力を持っていないというのは如何なものであろうか…。

 そもそも政界は「ムラ」の理論で成立している社会だから、その閉鎖性、特殊性は今に始まった事ではない。又それを支える官僚主義も同様であることは明らかなのである。
だから今を問うなら過去も問わなければならないのだ。けれどももっと深刻な問題は、その閉鎖性を結果支えている民主主義の基盤にもありはしないだろうか?
 ほとんどの大衆といわれるこうした基盤の多くはスポーツやファッション、芸能ニュースといったエンターテインメントにばかりに目が向いている。その為すべての判断が流行現象をとらえる様でもある。
もちろんそうしたトレンドをつくりだすマスコミの視聴率主義にも責任はある。

 その昔TVの普及に警鐘を鳴らした大宅壮一氏の「一億総白痴化時代」(言葉は悪いけど)の予言は残念乍ら当を得た――といえそうだ。
 この国に住む人々は蛍狩りのはやし詞ではないが、甘い水ばかりに誘われて苦い水を飲むことを忘れてしまった様でもある。上から下まで、これ以上の衆愚化はどこかで止めねばならない――と思っているのは、果たしてぼくひとりなのだろうか?


近づくだけ 吾に近づき 蛍過ぐ(山口 誓子)


淡交タイムス 平成14年6月号掲載



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