吉岡幸雄紫の彩り (その一) 二藍(ふたあい)について この稿を書いているのは五月二十日、先週も京都の北、朽木の里を訪ねる機会がありました。山のところどころに山藤の花が咲いていて、萌黄から日毎に緑色を濃くしていく山を背景に、紫の花が少しかすんだように垂れさがっているのを見ました。大原の里から花折峠にさしかかるところでは、桐の花も見ることができました。これはやや藤よりも濃くて渋い色相で、やはり緑の樹々のなかに彩りを添えるかのようでした。 先回で、紫の色は紫草の根から染めるお話をしましたが、日本の古い時代には 「二藍」という色名の紫がありました。 二藍というのは、広辞苑では「二種の藍の意とあって、紅(くれない)と藍とで染めた色。やや赤みのある青色。『ふたゐ』とも」と書かれています。 たしかに文字からみれば二種類の藍を染め重ねたように思えますが、藍と、全 く別の紅を掛けあわせたとあります。 これを説明するのには五世紀にさかのぼった、天皇を中心とする統一国家がようやくできた、日本では倭王の時代の話をしなければなりません。 この時代、日本は国の力がついてきたのでしょう。中国や朝鮮半島との交流が盛んになって、様々な技術集団が渡来してきたり、豊かな物産も伝えられました。
紫という色は青と紅の中間的な色ですから、それを混合することであらわされるわけで、植物染で色を付ける場合は、まず布や糸を藍甕のなかで染めていったん青色にしてから、次に紅花をかけて紫系の色にしていきます。天然の染料の場 合、あらかじめ液を混合しておいて染色することはできないのです。 この二藍の色は、平安時代の王朝の貴人たちに好まれたようで、清少納言は 『枕草子』の三十二段に、寛和二年(986)の法華八講などの様子、参じた公卿 の衣装などを回想していて、 「二藍の指貫(さしぬき)・直衣(のうし)、浅葱(あさぎ)の帷子(かた びら)どもぞ、すかしたまへる」 「唐(から)の羅(うすもの)の二藍の御直衣、二藍の織物の指貫」 などと記し、また、指貫の色について、「夏は二藍」(二百六十三段)という記 述も見られます。
つまり、藍と紅花の濃度を変えれば、たくさんの二藍の色を表すことができる のです。渋くしたいときは藍を濃くして、紅花をわずかに掛けあわせる。その逆に紅花を赤味にしておいて、藍を少しかけると赤紫の派手な色となります。 とりわけ男性の直衣(平服)は、三重襷(みえだすき)文様の生絹(すず し)が一般的で、若いほど赤味に、年齢を重ねるほど縹(はなだ)がちの色にな っていったようです。 『源氏物語』「藤裏葉(ふじのうらば)」の巻では、息子の夕霧がようやく内大臣の娘雲居雁(くもいのかり)との仲を許されて藤の花の宴に招かれることになったとき、光源氏は父として、
と忠告している。若ければ二藍でもよいが、参議になろうかという今になれば、 少し大人っぽくしてはどうか、というのです。そして縹の直衣とともにみごとな袿(うちき)などを贈るのです。 夏の終わりに咲く桔梗も紫の花を付けますが、色はかなり渋いものなので、藍を濃く紅花を少しかけて表すといいでしょう。襲色目を論じた古い文献にも、桔梗の襲を「表二藍、裏淡青」と記していますが。これなどは表が花の色、裏はその葉を表しているようです。 とまれ、二藍は日本人が生み出した紫といえるでしょう。 |
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| 今月の色 |
| ●1 紫の彩り1 |
| ●2 紫の彩り2 |
| ●3 新茶の季節に茶色を想う |
| ●4 甕覗きと水色について |
| ●5 青柿の色から柿渋の色へ |
| ●6 天平の黄色 |
| ●7 雪の白さを |
| ●8 吉祥の色 青竹 |
| ●9 柳の色 |
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