吉岡幸雄


 新茶の季節に茶色を想う

 梅雨に入り、樹々の緑色はいっそう深く濃くなっていきます。私の染めの工房は、京都でも洛南の観月橋というところにあって、そのそばを宇治川が流れてい ます。

 その川をさかのぼっていけば、宇治の里で、五月から六月にかけては「新茶が採れましたから」と、香り高い煎茶をいただくことがたびたびあります。その緑美しい茶葉を急須に入れて、いつもより少しぬるめの湯を注いで、ゆっくりと出 して、注ぐといい香りが漂って、口に入れるとほのかな甘みも感じられて、めぐりくる季節に感謝したくなります。

 私は、「色」をもっぱらとする職業ですから、このような緑茶をいただくと、 いつも「茶色」という色名にちょっとした疑問をいだきます。

 日本人は日頃、緑茶と番茶・ほうじ茶という、二種類の色のお茶を時と場合によって飲み分けていながら、単に茶色といえば、後者の色を指しているのです。

宇治田原の新茶

緑茶は、江戸時代中頃の元文四年(1739)に、宇治のさらに奥の山里、宇治田原に住む永谷三之丞宗内という人が、なんとか五月の若葉の色を、摘んだそのままの緑を残すことが出来ないかと考えて、干してから火で炒るのではなく て、蒸してから揉みながら乾燥させるという、いわゆる青製茶法を考え出したの です。

 私は植物染屋の仕事の経験から、何度も書いていることですが、自然界の草樹の葉にはいわゆる葉緑素が多くふくまれているのですが、その色素はきわめて弱 くて、葉は枝木から落ちるとすぐに薄茶色に変色してしまいます。

 緑の葉をどんなにたくさん摘んできて煎じても、液は一時的に緑色をしている ものの、そこへ布や糸を浸けても、しばらくすると、茶色になってしまいます。

 それほど弱いものですから、葉を蒸すことによって緑色を永くのこすという、 永谷翁の青製茶法は画期的な発明であったといってもいいと思います。禅宗黄檗山で煎茶を広めた売茶翁も、下俗してから永谷宗内と出会い、この緑美しい煎茶を広めたといいます。

 南北朝時代の戦いを記した『太平記』には、「地黒ニ茶染直垂」というような記述があって、茶の木で染めたかあるいは茶の色をした直垂を着ているさまが描かれていますが、「黒に茶」とありますから、これは緑茶色ではなく、素直な茶色とみるべきでしょう。

 私の友人である写真家の菊地和男氏は一昨年に『香り高き中国茶を愉しむ─中 国茶入門』という本を講談社から出版しました。(2400円)

  それによると、お茶の故地中国でも緑茶、青茶、白茶、黄茶、黒茶、紅茶などといった製造工程によって、茶に色の名前が付いていて、それぞれ製法の特徴があることが詳しく書かれています。

 日本の宇治田原の永谷某の製茶技法と中国茶の緑茶とよく似ていて「殺青」と いって、摘みとったばかりの新鮮な葉に熱を加えて、酸化酵素が働かないようにする方法が記されています。

 茶の製造工程にはさまざまなものがあって、見た眼にもその色は異なっているわけですが、たとえ葉緑素がうまく残っていて、茶の湯の色が緑色をしていても、それで染めたものは緑系になることはありません。茶の木がもっているタンニン酸、すなわち茶色だけが、布や糸に染まるわけで、茶葉や木で染めたものは、まさに「茶色」であるということです。


今月の色
●1 紫の彩り1
●2 紫の彩り2
●3 新茶の季節に茶色を想う
●4 甕覗きと水色について
●5 青柿の色から柿渋の色へ
●6 天平の黄色
●7 雪の白さを
●8 吉祥の色 青竹
●9 柳の色
●著作物