吉岡幸雄


青柿の実から柿渋の色へ

 柿は万葉の時代から日本人にもなじみの深い果実で、『延喜式』にも熟した柿を菓子と一緒に並べることが記されている。

  実のなかには渋、すなわちタンニン酸が大量に含まれていて、甘くなったものを食用するだけでなく、青い実のものを絞って、ジュースのよう
青柿
な液にして貯蔵し、3カ月ほどたつと、醗酵して透明な茶色になっていく。それをさらに2年間ほど貯蔵しておくと自ら重合していって色も濃くなり、ある程度までいくと、そこで止まって安定した状態になる。

 この柿渋は日本では古くから塗料にも染物にも使われてきた。木材に塗ると自然な茶色になってやや幕面が張ったようになって防水の役目を果たす。

  かつては日本酒の製造で、厚い木綿の布に塗ったものを袋状にしたものを酒袋と称して、白いにごりのある酒を絞って澄んだ清酒にする工程に使われていた。京都伏見の酒処では冬になると酒袋を川で洗って干す風景が見られたが、今では、化学繊維のフィルターを使っているそうで、財布などの袋物に使われているのを見るにとどまっている。

青い渋柿を細かく砕く

 柿渋は和紙に塗られてその防水性を高めるとともに、縞や格子文様に刷毛で引く「しけ刷毛」といわれるものは、団扇や美術品を入れてしまっておく桐箱の包装にも多く見られた。

 
紙を柔らかくして衣料とする紙衣にも塗られた例がある。それは、桃山時代の武将上杉謙信が使っていたものである。

  謙信は武将のなかでもとりわけお洒落だったようで、現在も相当の数の陣羽織、胴服、小袖などが遺っている。

  真白な絹の羽織に袴だけに濃い紅花の辻が花で染めたもの、当時中国から輸入された金襴緞子(きんらんどんす)をパッチワークのゆに切り接ぎした胴服、スペイン船が運んできた羅紗(らしゃ)の生地を真赤に染めた服など、これが男性の衣裳かと思うようなきらびやかな衣裳をたくさん愛用していたようである。

  そのなかで茶色の地味に見える柿渋染の紙衣陣羽織も遺している。これも今は重要文化財に指定されている名品であるが、よく揉み込んだ紙衣に柿渋を塗り、それを中国からの絹紫地の銀欄で縁どりを縫って、袖のない陣羽織に仕立て上げている。

  豪華な衣裳の数あるなかで、まさに渋い色で謙信の衣裳の美に対する感性が見て取れるひとつである。

 柿渋はこのような身分の高い武将のものから、江戸時代には庶民の道中合羽のも紙衣に染めたものが数多く生産されていたようで、漆を使用するには高い技術が必要なのと、高価であることから比べると、安価で誰にでも簡単に塗ることができるので、広く用いられたのである。

  しかしながら、近頃はその需要が低くなったのであろうか、南山城はこの柿渋を製造する地域として長い伝統を培ってきたが、近年では木津町では1軒、あと加茂町、和束町、宇治田原町にそれぞれ1軒ずつを残すだけとなった。


今月の色
●1 紫の彩り1
●2 紫の彩り2
●3 新茶の季節に茶色を想う
●4 甕覗きと水色について
●5 青柿の色から柿渋の色へ
●6 天平の黄色
●7 雪の白さを
●8 吉祥の色 青竹
●9 柳の色
●著作物