日本食卓文化考
絵と文 熊倉功夫

33―葉っぱの食卓―

鍋料理

冬といえば鍋料理。ちょっと陳腐な発想で恥ずかしいのですが、そこはご勘弁願いまして、鍋料理の歴史について一言。

日本人は大昔から鍋料理を食べているような印象を受けがちですが、実はこれが新しい。驚いたことに近々、百年程の歴史しかないのです。江戸時代だって、猪鍋や鳥鍋があっただろうに、とお思いでしょうが、これはたぶん、一人用の鍋で食べたと思われます。

文明開化になって、ご存知の通り「牛鍋」が流行します。“牛鍋食わなば開けぬ奴”と「安愚楽鍋」にありますように、牛鍋が食べられないようでは文明開化に乗り遅れるぞ、とおどかされてはやむを得ません。おそるおそる牛鍋を食べてみたことでしょう。ところが食べてみたら実においしい。たちまち大流行となりました。

この牛鍋というのが、今のすきやきとは違います。第一味噌仕立てでした。というのは、江戸時代の猪鍋の模倣なのです。味噌仕立ての猪鍋の中味を牛肉にしたようなもので、山くじら(猪)をよく食べていた一部の江戸っ子から見れば、おなじみの味だったのです。
しかもその鍋は一人前用の小さな鍋で、これを七輪にかけて、自烹自食。つまり一人で煮て一人で食べるという仕かけです。なぜ一人用であったのか。

やはり日本人は同じ鍋を多人数でつつくのが苦手だったのです。日本人の食器は完全に個人用、一人ひとりに属しているのが特徴です。ですから、一つの器から皆で料理をとりわけることは基本的にはなくて、一人分ずつ小わけに盛りつけて出すのが原則です。もしも、大勢の分の料理を一つ盛りにしてとりわける時は、取り箸がつきました。今でも、取り箸のない時、箸をひっくり返して香の物などをとるのはその名残りです。共同の食べものに、食べさしの箸をいれることはタブーでした。

タブーはそんなに簡単には消えません。鍋料理がはじまっても、はじめは一人前の鍋で、自分一人で食べるのが原則だったのはタブーが生きていたからです。

逆にいえば、タブーを犯してしまうと、同罪の共犯者。つまり同じ釜の飯を食った仲になります。どうやら近代の家族は、同じ釜の飯を食う擬似的共犯者としてその絆を結んでいたのではないでしょうか。江戸時代には家はありましたが、今のような夫婦と子供を中心とした家族はありません。江戸時代の家は労働の単位でしたから、食べもので絆を確かめる必要がない。家から離れたら生きていけません。ところが近代の家族ははじめからバラバラです。お父さんは会社に行って昼間は不在。子供も学校。一同が顔を合わせるのは食事の時だけになってしまいます。

そこで主婦たるもの家族なかよく暮らすために、家族全員で一つの鍋をひっかきまわすべく、せっせと鍋料理を作ったというわけです。


日本の食卓文化考
1 木の葉のお皿 2 柏餅の柏の葉
3 足がついた膳 4 高く盛る
5 スプーン 6 箸の話
7 お菓子の元祖 8 平安貴族のダイニングテーブル
9 お膳 10 お雑煮
11 懐石 12 折敷
13 お花見 14 ちまき
15 お茶 16 もっそう飯
17 モロッコのミント・ティー 18 シーボルトの贈り物
19 箱膳 20 しっぽく台
21 チリレンゲ 22 チベッタンティー
23 茶壷 24 引き出もの
25 ちゃぶ台 26 酒林
27 まな板 28 正坐
29 水無月 30 氷水
31 菊酒
32 名残り
33 鍋料理 34 七草粥
35 天神様の牛 36 ブタ
37 ニワトリ 38 鯨
39 狸 40 皿鉢
41 鳩 42 餅の食べかた
43 大根 44 お茶講
45 酒 46 手で食べる
47 外国から見た日本食 48 鮎
49 包丁  

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