(株)松栄堂  畑 正高  

「和魂漢才」 香を商う私はこの言葉が好きです。

何故なら、私が生まれ育った京都を「京都」たらしめた基本コンセプトだったと信じるからなのです。

今の時代に「和魂」などと言う表現は「国粋的な・・・」と嫌われそうですが、本質的な意味でこの言葉の意味することが、今、混迷の新世紀に問われていると、私は感じています。

 私達の日本が漸く国家的なまとまりを見せ対外的に視野を広げ始めた時代、6世紀とはとても異国的な雰囲気に包まれた時代だったようです。

聖徳太子が活躍され外交使節団を送り出した背景には、海の向こうに存在した大層力強く魅力的な唐様の文明文化との出会いという決定的な必然性があったのです。

600年頃から本格的に進められた国づくりには、一段落するまで約300年がかかりました。
平安京という都の建設が始まったのはその三分の二が過ぎた頃。
学び続けた唐風の具現化もいよいよ完成度が高く成熟期に近づこうとしていました。

 平安建都から丁度100年というとき、菅原道真公の進言によって遣唐使が廃止されます。
まもなく、唐という大国も滅亡してしまいました。藤原氏の力がいよいよ強大化する900年頃、平安京には大きな変化が訪れていました。

唐様に対する違和感と民族の本質を見つめるゆとりが生まれてきたのです。
「漢字」という異国に学んだ文字から自分達の話し言葉により相応しい「仮名」が生み出されたように、和様の風が吹きだしたのです。

 和様を考えるとき、唐様に対比して語られることがしばしばあります。しかし、それら二つのものは対極的に比較されるものではなく、唐様という土壌が成熟しきった上に繚乱する和様という花園であることを理解してほしいと願うのです。

唐様という知恵・知識を身につけた倭の人々が、この島国に原始から育まれていた自然との共生の哲学に基づいて工夫を凝らし、独自に発露を始めた美意識、和様とはそのようなものではないでしょうか。

 「漢才」とは教養として身につけた当時の文明文化であり、「和魂」とは、山紫水明かつ四季の移ろいが穏やかに富むこの島国で、異民族との争いを強いられることのない人々が築き上げてきた世界感だと思います。

この関係は、宋・元・明という大陸文化と14世紀?15世紀の京都、南蛮文化と16世紀?17世紀の日本、それぞれに同じように作用していくのです。

東シナ海という柔らかなフィルターの存在に守られながら、常に根底深く流れ続ける絶対普遍の価値観とは、四季の移ろいのリズムであり、その中に生かされる命の賛歌なのです。

 近代という時代の中に身を置くようになって、この安穏とした島国も急激な時代の風雨に曝されるようになりました。産業革命の閃光が文明開化という形であたかも核爆発のように襲いかかり、「和魂」の哲学も吹き飛ばされてしまったような感があります。
殊に、過去50年ほどの急転換が何を意味しているのか、今、本当に反芻しておく必要を感じるのです。

新世紀の姿として語られる「心の時代」「東洋の世紀」「香りの時代」・・・これらは、何を言おうとしているのでしょうか。

 あらゆる価値観を覆すような昨今の急展開の中に喘ぐ私達の姿を見るとき、私は、ふと「視覚情報依存過多症候群」という病名を命名したくなります。

特に映像関係の技術革新と氾濫は、五感のバランスを崩しつつあった人類に決定的な打撃を与えてしまったように思うのです。

視覚によって得られる情報は、時間当たりの情報量も多く、また、残存性に富み確実性も高いため、私達は生活に対する基本情報の摂取を安易に委ねてきました。

聴覚も、第2の感覚器官として、その認知度はとても高いものがあります。これらの二つの感覚器官に障害を生じたときに社会保障の対象とされていることから見ても、無意識のうちに重要視してしまっている実状が見えるのです。

私は決して視覚情報に依存することを悪しく非難するものではなく、その度合いを見つめる事の必要性を申し上げたいのです。
様々な歪みに混迷を深める私達が生理的に欲しているものとは「五感の時代:バランスの再構築」ではないでしょうか。

これこそが「人間性への回帰」だと思うのです。

そして五感のバランスとは「和魂」そのものではないでしょうか。
私達の智恵が、小さな島国だけではなく、地球をも救い得る可能性を秘めているように感じるのです。

(『21世紀フォーラム』 No.63号より)

五感のバランスの再構築
五感のバランス  和魂の時代
香・・・時空を越えて
Leotard
心清聞妙香
3650 
京都時代祭
真新人類、待望論
輝く蓮の滴
自然と芸術