(株)松栄堂  畑 正高

Leotard

 私がはじめて「Leotard」という言葉に出会ったのは、1976年のことだった。

 英語のテキストに引用された文章の中で、次のような物語を読んだことを思い出す。
 オーストラリアの広野を旅する二人のイギリス人が小さなテントの中で寝袋に横たわり、一つのランプの明かりを頼りに言葉当てゲームに興じていた。
 毎日毎日の単調なキャンプ生活の寂しさを癒すために、二人が見付けた貴重な楽しみだった。 一冊だけ携えてきた小さな辞書を当てもなく開き、目に留まった見知らぬ言葉をとりあげ、その意味を相手に尋ねるのである。特に急ぐ旅でもなし、また人に聞かせる答えでもなく、いい加減な思い付きをああでもないこうでもないとやり取りしていた。

  その中で、一人が目に留めた難しい言葉が「Leotard」だったのだ。もう一方のイギリス人は、「フーム、昔、かあさんがつくってくれたけれど、あれは旨かったよな・・・」などと答えていたように記憶している。 イギリス人にとって難解な言葉としてテキストに出てきたこの単語が、英和辞典にどのように訳されているかご存じだろうか。
  当時学生であった私は「練習用舞踏着」と訳していた。辞書に頼る限り、そのようなイメージしか得ることができなかったのだ。 「練習用舞踏着」という言葉から何を連想できるだろうか。先生の手拍子に合わせ、壁のバーに手をかけ、高く足をあげながら爪先で繰り返す上下運動。あの、クラシックバレーのスタジオ風景そのものだった。生徒たちが身につけている黒や濃紺、もしくは白っぽい清楚な感じの練習着。それこそが「Leotard」そのもので、ほかには何のイメージも湧いてはこなかった。

  それから2年。1978年には、既にジャズダンスは日本で流行の兆しを見せていたと思う。
その後、エアロビクスという言葉がマスコミを賑わすようになるまで、どれほどの年月がかかっただろうか。これらの新しいライフスタイルが流行し各地で受け入れられていく中で、私の「Leotard」も「レオタード」という外来語としてごくごく一般的な名詞となり、そのファッショナブルなコスチュームとして日本の社会に浸透してしまったことは、誰もが認めるところだと思う。明るくて健康的でポジティブなイメージを兼ね備えた「レオタード」は、今や専門的なトレーニングを志す人たちだけの「Leotard」ではなく、多くの人が理解し身につける日常的な衣類の一つとしてすっかり認知されている。

  文化というものがこれほど簡単に創られうると云うことを見せつけてくれたものは、私にとって他にはない。しかしながら、日本の歴史をつぶさに見つめてみると、実はこのようなことの繰り返しであったのではないかと、ふと考えてしまうのだ。
  ならば、私にとって「レオタード」に変わりうるものは何なのか。何かしら楽しくなってくる。
  一つ小さな文化を創ることができたらと画策してみたくなってしまうのだ。

(『香り風景』vol.10より)


五感のバランスの再構築
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