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(株)松栄堂 畑 正高
輝く蓮の滴
ふと考え込んでしまったことがあります。「室町幕府の三代将軍義満は、もしかして神になろうとしたのではないだろうか。いや、神の世界を体現しようとしたのだ・・・」などと訳の分からないことが気になったのです。
以前、ある御社の神前で厳粛な神事に参列していたとき、あまりにも高い空の青さにフッと見とれ、しばらく時を忘れていました。社殿を囲む鬱蒼とした緑の森は、私たちから心地の良い距離をおいてゆったりと揺れています。今そこを渡り行く風が見えていました。そのとき、神楽を奏でる神官達の遥か向こうの日差しの中で、瀟洒な御輿が輝いていました。がっちりした黒い漆の台座に乗る金色の佇まいは、その時、全く別のものに見えたのです。まもなく集まる氏子の人々を静かに待っていた神の御輿の姿に私は金閣を思い起こしていました。
北山の「金閣」が昭和の大修理を終えて祝賀の落慶法要を迎えたのも秋晴れの続く頃でした。
連日の催しの中、香道のお家元が献香の儀をお勤めになられました。適度に冷えて爽快な朝の本堂で法要が始まったのですが、準備のための炭団のお守りを仰せつかった私は、独り金閣の二層で火鉢の火の番をしていたのです。法要を終えて宗匠やご寺院の方々が登楼してこられるまで小一時間ほどもあったでしょうか・・・。遠くに読経を聞きながら、それは贅沢に、閑かなひとときを楽しむことが出来ました。
「金閣」の内部をご存じでしょうか。三層は金色に輝く仏様の世界。一層は寝殿造の世界。私の座っていた二層は鏡のように磨き上げられた漆黒と彩色の世界です。床こそ毛氈が敷かれていましたが、壁は四方全面が真っ黒の漆に覆われ見事な鏡面の中に自分自身も写り込んでいるのです。開け放たれた扉の間から外の世界が飛び込んで、自分と一緒に融け込んでいます。
松の緑、水の色、空の青さ・・・そして欄干の金も同じように・・・。
私が知っていた金閣とは全く違う研ぎ澄まされた緊張感がそこにはありました。池の向こうの庭の片隅に立って〈好きになれないな・・・〉などと生意気なことを思った学生時代もありました。でも、蕩々と流れる時間を独り過ごしたこの時の体験は、全く予期しなかったものでした。他の世界では体験し得ないものではないだろうかと今も震えを感じるのです。
その時には理解できなかったこの鋭敏な芸術性がとても神域に近いものではないだろうかと考え出したのは、あの御輿に気を取られたときからです。私のような凡愚が眺めてとやかくコメントをするようなものでは決して無く、天才的な感性が見事にこの世に具現化した神性の一つではないだろうかと、しきりに十四世紀の京都が気になりだしたのです。
あの鋭い美意識は決して突然神憑り的に生まれたものではないと考えています。唐様を基礎に宮人たちが生み出した和様の懐かしさ、次には国風の土壌に流れ込んだ唐物の世界。そして十四世紀になると平安の都には婆沙羅な人々が風を切って闊歩します。この混沌の沼の中から一輪の蓮の花のように澄んだ色を見せたのが「金閣」だったのではないでしょうか。
そして、その義満の美意識に応え観世親子が大成した能楽こそは、この輝く蓮の滴に思えるのです。この滴から、如何に多くのものが生まれてきたことか・・・。(『京都薪能』第47回より)
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