辰野勇

2.カヌーを漕ぐ


ある会合でポリオの障害を持つた青年からカヌーを教えてほしいと頼まれた。

歩く事も大変な彼が、カヌーに乗ってみたいと言いだしたのには私も驚いた。
しかし考えてみれば、歩行の不自由な障害者にとって、カヌーこそうってつけのスポーツではないか。
カヌーなら歩く必要も無いし、車椅子で鍛えた腕力もある。きっとうまく漕げるに違いない。
そう考えた私は、奈良の社会福祉法人、青葉仁会と協力し合って
障害者の為のカヌー教室を開催する事にした。

1991年夏、15名の障害者と、ボランティア合わせて100名が、奈良県五條市を流れる吉野川の川原に集合した。講習会が始まって1時間ほどして、突然一人の障害者が大声で私の名前を呼んだ。
「辰野さん!」
「どうした?」
「あんな、オレ障害者ていうの忘れてたわ。」
「ええ?」

私は、最初彼が何を言っているのか理解できなかった。

彼は、脊椎損傷の中途障害者だ。学生時代に成田三里塚の空港反対闘争のさなか、管制塔に向けて掘り進んでいたトンネルが崩されて生き埋めになり、下半身不随になった。中途障害者は毎日のように、野原を駆け回る自分の夢を見るという。そして翌朝目覚めて、走る事はおろか、歩くこともできなくなった現実に愕然とするのだ。

そんな彼にとって、カヌーに乗って水の上を自由に動き回る事は、まるで夢に見た情景そのものだったのだ。彼はふと、自分が障害を持っていることを忘ていたと言うのだ。

私は、すごい事だと思った。そして、障害者カヌーの可能性を実感した。

しかし、足を踏ん張って下半身を固定できない彼は、腕力だけでなく上半身の筋肉を使って身全体でパドルを漕がなければ充分な力が出ない。ところが、車椅子の彼は、やたら腕力が強いがゆえに、どうしても腕力に頼って、腕だけで漕ぐ癖が治らない。

そんなある日、室内プールで障害者にカヌーを教える事になった。
その参加者の中に一人の少年がいた。
「 お願いします。」 と元気な声で挨拶するティシャツ姿の彼には腕がなかった。

サリドマイドで幼いころに彼の腕は切断されてしまっていたのだ。左腕は付け根から無く、右腕はかろうじて2センチ程度残っていた。どう対応していいか困った私は、思い切って彼に尋ねてみた。
「どうして漕ごうか?」
「足では漕げませんか?」
「足では無理だ。」
「じゃあ、パドルをあごにはさんでみてください。」

私は、彼に言われるまま、パドルを彼のあごの下に挟んであげた。すると、彼はあごと肩を上手に使ってパドルを操った。さらに彼は、わずか2センチ足らずの右腕で、90度によじれたパドルのブレードを回転させて左右のブレードで水を捉えて見事に漕いだ。

30分もすれば直進から、左右の転回も出来るようになった。

「凄い!」

傍らで、その様子を眺めていた車椅子の障害者が、また大声で私を呼んだ。
「辰野さんが言う、上半身をねじて全身で漕という意味が分かったわ。」

腕がない為に上半身を精いっぱい使わなければ漕げなかった少年に、強靭な腕を持った大人がカヌーの漕ぎかたを教えられたのだ。

私は、鳥肌の立つ思いがした。我々がいかに、与えられた肉体の能力を使い切っていないかを実感した、と同時に、秘めた人間の限りない可能性を改めて痛感させられた。


2002.5.21 掲載

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