辰野勇

3.チベット少数民族モンパ族

 ヤルンツアンポー川は、ヒマラヤの雪解け水を集めて、チベット高原を西から東に真一文字に流れる。中流域で、一旦川幅が2キロにも広がったこの大河が、東の端で7000 Mを超える高山ギャラペリ峰と、ナムチェバルア峰とに挟まれた大峡谷に消えてゆく。
 やがて峡谷は、180度にその方向を変えてインドに入りブラマプトラ川と名前を変えてガンジス川に合流する。この地球最後の秘境、ヤルンツァンポー川 の大屈曲部は、これまで人々の遡行を拒み続 けてきた。
 1996年の夏、突然そのチャンスが訪れた。ある民放のテレビ番組で、大屈曲点への冒険取材に同行しないかとの誘いである。もちろん私は、全ての仕事のスケジュール をキャンセルしてこの誘いに飛びついた。

 東チベットは、すでに雨季に入っていて、旅は予想通りに厳しかった。50人のポーターを雇って器材を運ぶ。道は崖崩れの為、寸 断され、重い荷物を背負いながら道を切り開きながら進んで行かねばならない。キャンプ地では蛭(ヒル)に悩まされた。朝目覚めると、頭といわず体といわず、お構い無しに血を吸ってコロコロに膨れた蛭が寝袋の中から 這い出してくる。昼間歩いていても、体中に無数の蛭が這い上がってくる。
 西蔵街道の開拓村ペイロンから、3日間のキャラバンで大屈曲部のほぼ中央に位置する少数民族モンパ族の村、札曲(サチュウ)に到着した。
そして、ようやくにして念願のヤ ルンツァンポー川大屈曲部の峡谷をこの目にした。人跡未踏の峡谷の総距離は数十キロにもおよぶ。私が今回、目視出来たのは、せいぜい数キロにしか過ぎなかったが、かなえられた夢に私は満足した。

サチュウの村人2人

 日本を発って、すでに一ヶ月。
予定の滞在 日数を、すでに使いは果たしてしまった私は、本隊から一人別れて、一足先に帰路につく事にした。
 60キロ以上もある重い荷物を担ぐのを手伝ってくれると、サチュウの村人が二人、ボランティアを買って出てくれた。言葉が通じない二人だが、私には彼らの優しさが痛いほど感じとれた。三日もかけてやってきた山道を、僅か一日で帰らなければならない。
 険しい山道、村人の一人が先頭に立って、山刀で道を切り開きながら草木を掻き分けて突き進んだ。敬虔な仏教徒である彼らは数珠を片手に、絶え間なく経文を唱えながら進んだ。


 疲労困憊の末、ようやくペイロンの村に到着したときには、日はとっぷり暮れていた。
 心づくしのお礼にと、ザックの中をあさってみる。ロープや布切れ、Tシャツ等、彼らにとって入手しにくく、すぐに役立つ物がいいと考えたが、適当な品物が無い。私は、どろどろに汚れた靴下を脱いで両手で絞った。 真っ黒な泥水が滴り落ちた。こんな常識を逸した贈り物を、彼らはニコニコ微笑みなが ら、私の謝意として正面から受けとめてくれた。
 それどころか、二人はその贈り物を互いに譲り合った。純粋無垢な彼らの優しさに、私は限りない感動を覚えた。

 大自然の中に生きる誇り高き民族。壁も床も天井も無い、そんな自然の中で暮らす人々にとって大切なものは、経験に裏付けられた「知恵」と「勇気」、そして相手を思いやる「優しさ」なのだと、そんな彼らから教えられた。

2002.6.21 掲載
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