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文・写真 辰野勇
7.ヒマラヤの川を下る(自然に生きる村人たち)
ネパールは、日本の国土の半分にも満たな い小国ではあるが、北に標高8000メート ルのヒマラヤ山脈を配し、南には標高50メ
ートルの熱帯ジャングルが広がる。
ヒマラヤの山々は世界の登山家たちの憧れであり、谷間を流れる激流は冒険カヌーイス
トの熱い心をかき立てる。
1991年、私は7人の仲間達とランタンヒマール(ヒマラヤ山系の一部)を流れるト リスリ川を下ることにした。食料やキャンプ道具は、現地のガイド達が操るラフト(大型
のゴムボート)に積み込み、我々はカヤック で、その圧倒的な水量の激流に挑んだ。巨大 なストッパー(瀬の落ち込みで、巻き込まれると脱出できなくなる)が、あちこちに口を
開けている。まさに、技と度胸の川下りである。一週間ちかくの間、ひたすらカヤックで漕ぎ下る川旅だが、変化に富んだ川岸の景観が、我々を飽きさせることはなかった。
しばらくして、村人の一人がライフジャケ ットを持ち去ろうとしたので、あわてて取り戻した。装備を持って行ってしまわれては、
この先、旅が続けられなくなってしまう
川沿いの住民達は、突然上流から流れ下って来た、色とりどりのラフトやカヤックを好奇心一杯で見物にやって来た。
ひとけのない林に囲まれた川原にテントを張って、食事の用意をしていると、どこからともなく村人が集まって来て、気が付けば、岩の上には、鈴なりの人間がこちらを見ている。まるで動物園のパンダの気分である。
はじめは彼等も用心深く、近寄っては来なかったが、危害を加えないと知ると、岩から降りてきて、カヌーや装備をお構いなしにいじりだした。
ネパール人のラフトガイドの一人が、棒切れで砂浜の上に線を引いた。すると彼等は、お行儀よく、その線の外側にぐるりと輪をかいてしゃがみ込み、内には決して入って来なくなった。彼ら村人たちの、そのしぐさがいかにも無邪気で、ほほえましかった。
砂浜に引かれたたった一本の線が、暗黙のルールとなって、我々の陣地が確保されたのである。 「砂浜に装備を放って置いたら、それが必要なモノか、不要なモノか、見分けがつかないですよ。」ネパール人の別のガイドが、我々に説明してくれた。なるほど、もっともな話である。さきほどライフジャケットを持ち去ろうとした村人も、悪意ではなかったのだ。
さっそく、パドルを砂浜に立てて柵をこし らえ、ライフジャケットやヘルメットなどの装備をその中に入れた。「これは、我々が大切にしまってあるのだ!」
という意思表示なのである。
そんな彼らとの攻防は、我々が寝床につくまで続いた。
ある日、オーストラリア人の仲間の一人が、パラグライダーを担いで、キャンプ地の対岸に迫った急峻な山の斜面を登って行った。
彼は山頂に近い稜線から飛び出して、見事に川原に降りてきた。仲間の拍手喝采を受けて、一躍ヒーローとなったのだが、その夜、食事を終えてくつろいでいると、今にも消えそうな懐中電灯を手にした村人達がテントサイトにやってきた。
一瞬「何事か!」と、我々は身構えた。そして、彼等の話を聞いて二度びっくりである。
夕刻、空から舞い降りてきたパラシュートを見て、「てっきり飛行機が墜落して、パイロットが脱出したにちがいない。」と思い込み、救出の為に暗闇の山道を、2時間以上もかけてやってきたのだという。
我々は一同、恐縮してしまった。迷惑をかけたお詫びと、その心遣いへのお礼にと、仲間の一人が食料コンテナーの中から、チョコ レートを一束彼等に差し出した。
すると、彼等の中のリーダー格の一人が、きりりとした顔をして、「とんでもない、我々はそんなつもりで来たのではない。」と、きっぱりつき返した。
誇り高い彼等のその姿に敬服させられると 同時に、物質文化の社会に生きる我々が、自らの気持ちをモノでしか現わせなくなっていることに恥ずかしくさえ思えた。
自然に生きる彼らの、人間の優しさを実感したエピソードであった。
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