文・写真 辰野勇

9.アウトドア義援隊

 1995年1月17日午前5時47分。淡路 ・神戸を震源に、日本中を揺るがす大地震が起 こった。私は知人を救出するために、すぐさま 神戸に向かった。家屋は倒壊し、道路も随所で寸断されていて、四輪駆動のトラックも思うように進めなかった。ガス漏れの匂いがたちこめるなか、破れた水道管からバケツに水を汲む人、ザックを担いで鉄道線路を東に向かって歩く人。

 瓦礫の中を淡々と行動していた、無表情な彼等の顔が印象的だった。「人間の脳は、大きすぎる痛みに対して、その感情を麻痺させる機能を持っているに違いない」私はそう思った。

 毛布を地面に引きずるようにして運ぶ一団の人々に出会った。その毛布の端からは、無残に も二本の素足が露出していた。その亡骸(なきがら)の搬出を手伝って通りを隔てた高校の体育館に運んだ。体育館の暗闇の中には、すでに数百体の遺体が並べられていた。隙間風に揺れる蝋燭の炎が、沈黙の空間をゆらゆら照らし出 していた。

 
再び体育館の外に出れば、寒風吹きすさぶ深夜の路上には、瓦礫を集めて焚き火を囲みながら一夜をしのぐ被災者達がいた。 「彼らにモンベルの寝袋とテントを使ってもらおう!」私は、そう決意した。

 翌朝から、支援物資を被災地に運ぶ作業が始まった。倉庫から運ばれた2000個の寝袋と数百張りのテントは、辛うじて倒壊を免れたモ ンベルクラブ六甲店を中継基地として被災地に配られた。しかし、災害の規模の大きさは、我々の救援活動の力を遥かに上回っていた。

 私は、”アウトドア義援隊”と名づけた走り書きの趣意書を、アウトドアに関わる全国の企業や団体にファックスで送付して協力を求めた。
 「@義援金 A救援物資 B人手」
 5分後、最初に返事を受け取った時は、鳥肌の立つ思いがした。普段、市場で競合し、しのぎを削り合う同業者からの協力の返事が、その後次々と届けられた。

 送られてきた物資は、全国から駆けつけた100名以上のボランティア達によって被災地に配られた。

 テントや寝袋はいうに及ばず、ガスコンロや衣類まで、キャンプ用品や野外生活用具は、どれもこれも、災害の現場で即座に役立った。

 問題はむしろ、これらの物資を被災者達に、どのようにして届けるかであった。道路は寸断され、渋滞のために車はあてに出来なかっ た。ボランティア達は、バイクや自転車、あるいは徒歩で物資を運んだ。彼等は、リュックサックに物資を詰め込み、炊き出しのおにぎりを手に、坂の多い神戸の街を駆け抜けた。

 一つ一つ確実に被災者の手に救援物資を届ける事が、全国から寄せられた善意に対する我々の勤めだと考えて、みんなが連日連夜、活動を続けた。

 登山やキャンプの経験豊かなボランティア達は、慣れない野宿生活をする被災者達に、テントの張り方やロープの結び方などを教えて回った。「アウトドアの実践から得た”生きる知恵”が、いま社会に役立てられている」そんな誇りと喜びが、彼らを動かしたに違いない。

 世の中が、いかに複雑になろうとも、人間が最後に求められるのは、「知恵」と「勇気」、そして他人を思いやる「優しさ」なのだと、この時私は確信した。

2003.1.20 掲載
野遊びのススメ
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ヒマラヤの川を下る(自然に生きる村人たち) 8 除夜の鐘 9 アウトドア義援隊