柳原範夫 |
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井原西鶴に学ぶ知恵と才覚
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今様にいえば江戸時代に優れた作品を数多く発表した井原西鶴(1642〜1693)は経営学の師とも称される一面を持っているとも言える。彼の代表作の一つである世間胸算用は、大晦日という時間的に限られた状況の中で年越しに追い詰められた民衆の様子をあから様に書き表した物語で当時の民衆の生活が伺えて面白い。さらに、西鶴を経営学の師として高く評価したいのは、日本永代蔵を著したことである。この書物は当時の日本中の裕福な商人達のことを調べて後の人の為に永久に続く堅固な蔵に収めて、何時でも取り出して見ることが出来ると言うのが題名の由来で、商人達には教訓的な内容が多く述べられているのである。 その中で特に著名な話は知恵と才覚を生かして成功した三井八郎右衛門高利についてである。(本文中では九衛門)高利の父は越後から伊勢松坂に来て成功した人であったが、その子高利も父に劣らぬ成功者となった。当時付加価値の高い衣類を商う為に元禄時代大いなる市場となった江戸で従来とは全く異なったマーケティングを実施して大成功をしたのである。彼は商人であったが故に物は創造しなかったが、新しいマーケティング戦略を創造し、当初見向きもされなかった江戸城の大奥の方から出入りを求められる迄にいたったのである。これはまさにシュンペイターの言う画期的なイノベーションである。彼の方法を今日的な言葉で表現してみよう。 1.現金掛値無し 当時の取引は大福帳に記し商品を先渡しして盆と暮れに金を集める、いわゆる掛け取りであった。その間、死亡したり、お家断絶により集金不能なことも少なくなかった。そのため、危険率を掛けて値を高くするのが一般的であった。掛値無しは貸さない意味と値を高くしないと言う二つの意味を表していた。 2.専門職の育成 40人余りの店員にそれぞれ反物の種類別に責任を持たせ顧客の如何なる質問にも応じられるように育成した。例えば金襴類、羽二重類、紗綾類、紅(モミ)類、麻袴類、毛織類等である。意地悪な顧客の質問にも十分に答えれば、顧客は買わざるを得なくなるのは当然である。 3.寸、尺売り 反物と呼ばれる物は当然に一反ニ反で販売されるのが一般的である。しかし越後屋(店の名称)では、必要な長さだけでも売ってくれた。そのため、宵越しの金を持たないいなせな職人達には喜ばれ口から口へと顧客が広まっていった。 4.注文生産 当時の江戸には参勤交代による単身赴任の武士や全国から集まった多くの若い職人達の注文に短時間で応じられるように若い娘達をずらりと一列に並べ流れ作業で部門、部門を縫い上げて最後に一つに完成させるという方式を採用している。 5.番傘の貸し出し 突然の雨に備えて沢山の番傘を店に置き顧客に貸し出した。傘には越後屋の名前が大きく書かれており、それぞれに通し番号が書かれてあった。顧客はその傘を借りて帰る道すがら、越後屋の宣伝に一役かわされており又いずれの日に返しにいけば再度顧客になる可能性も高い。傘を返しに来なくとも使用することで越後屋の動く宣伝となってくれる。傘に通し番号をつけたことで、爾来番傘の名前は通称となった。 ![]() 三井八郎右衛門高利の行ったこれらの戦略は今では別に目新しいものでもない。しかし、当時としては彼の知恵と才覚により生み出されたものである。 当世も元禄時代に似て爛熟の時代と言う人がいる。物余りの時代で物が売れないと嘆く経営者も少なくないが、何時の時代でも、その時代に適応した新しい企業家精神を生かしてイノベーションに挑戦して行くことが何よりも大切なのではなかろうか。 時代は異なってもこの事を西鶴は我々に教えて呉れている様である。 |
| 2.石田梅岩と売利の本質 | 3.二ノ宮尊徳と五条講 | |
| 4.問われる企業経営者の経営理念 | 5.江戸時代の商家の家法や 店則から学ぶもの |