江戸時代の中期、士農工商という身分社会の中で、最も低い地位におかれていた商人達の精神的な支えのひとつとなっていたのは石田梅岩の石門心学の教えであった。
梅岩は1685年{貞亨8年}、丹波束縣村の農家の次男としてうまれた。幼年時は農業を手伝っていたが、やがて、京都の呉服商に働きに出て、商売の方法を学んだ。多くの商人達の中には不正な方法で暴利を貪る者もおり、誠実な梅岩から見れば、詐欺的行為として、許せない事もしばしばであった。
当時は武士達が依存してきた米遣いの経済が次第に金銀遣いの経済(貨幣経済)に移行していた時代で、社会的に虐げられた商人達の力が、次第に大きくなり始めていた。
この様な状況の下で、梅岩は商人とは何かをたえず自らに問い掛けて行った。その結果、梅岩は 商人とは、「社会に於ける流通経済の担い手であり、その役割は極めて重要である.」と悟った。 |
 |
1735{享保20年}梅岩は自説を広く世に示す為,京、高倉通錦水路上るの大長屋の座敷で1ヶ月、連夜塾を開き多くの商人達に庶民の言葉で易しく説いていった。
梅岩の教えは「知ること」と同時に「行動すること」で本当の価値が実現されると言うものであった。1737年{文久3年}梅岩54歳の時、「都鄙問答」を世に表わした。この書は師弟6人の問答集を纏めたものであるが、梅岩は自分のこれ迄の体験を踏まえて、そこから、発想した人としての道を説き、その道を実践して行くことの大切さを示すものであった。
中でも梅岩が強く主張したのは「売利の本質」である。武士は主君に仕えて俸禄を得るが、商人は万人に奉仕して利益を得ることが出来る。その為、正しい商いをしてこそ継続的に一定の利益が得られるものである。この事は商いの原点であると言うものであった。
近年、我国では、利益を追求する余り、不正な方法で消費者を無視した企業行動をする経営者も決して少なくないが、不正は必ずばれるものである。最近の新聞やTVの報ずる通りであり、今後も経営者の社会的責任は更に追及されていくであろう。
今こそ、企業経営者は、改めて石田梅岩の「石門心学」の説く「売利の本質」を再認識する必要があるのではなかろうか。 |
|