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戦前の小学校で学んだ人は校庭の人隅に置かれていた銅像(石造)を覚えているであろ。
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『柴刈り、縄ない、草鞋を作り、親の手助け弟を世話し、
兄弟仲良く孝行尽くし、手本は二ノ宮金次郎』 という歌である。
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この歌どころか銅像までもが戦後いつのまにか消えさっていったのは真に残念と言う他はない。
なぜならば、金次郎は少年時代から聡明で、弟の面倒をよくみ、親に孝行を尽くす近所でも評判な子であったからである。
14歳で父を、16歳で母を失ったために、一家の大黒柱となって働き、やがて、26歳になった時、小田原藩主大久保忠真の家老服部十兵衛の若党に取り立てられるや、経済的に疲幣していた服部家を見事に再興させた。このことが縁となり34歳の時、藩中の武士や若党、更に農民をも仲間にして五党会を設立していった。
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講とは江戸時代に一般の人々が零細な資金を持ち寄り仲間の一人に貸し与え、事業資金に共するものであった。尊徳が示した五条とは、金の貸し借りに対する人間として守るべき道を示すものであり、それは、信、仁、義、礼、智、からなるものであった。
信ー金銭の積み立てと賃借の約束を守ること。
仁ー資金の余裕ある人が囚窮者の為に出資すること。
義ー借りた人は確実に返済すること。
礼ー仁をなす人は奢り昂ぶらないこと。
智ー借りた人は返済を工夫して、講仲間の便利をはかること。
この様な理念のもとで、尊徳は特に当時貧しかった農民に講による資金の調達の必要性を説いていった。やがて、全国の農村に600以上もの五条講が設立され、全国に1000もの多きを数えるに到った。
尊徳は人間として相互扶助による協同の精神の必要性を唱えた人であり、いわば、我国における信用組合、農業組合の創始者と言っても過言ではない。 |
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金融機関が色々問題視されている今日、改めて尊徳の理念を思い起こすことも、必要なのではなかろうか。
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