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神楽岡町追儺保存会会長の藤村素弘さん。
追儺式の流れを説明してくださっています。
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鬼の面。それぞれ表情が異なります。
追儺保存会ではこの他にも
いくつか鬼の面を持っておられます。
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「節分」とは、
「季節」を「分ける」ことを意味しています。
本来は、春夏秋冬の
各季節の境目を指していましたが、
今日では、立春の前日、冬と春を分ける時期に
行われる行事として定着しました。
日本では、一月を
「睦月(むつき)」とも呼んでいます。
今では太陽暦の新暦の
一月のことを言っていますが、
元々は旧暦の一月 (現在の一月下旬〜三月上旬頃)の名前だそうです。
この時期は、冬から春へと
季節が変る時期にあたり、
陰と陽が「交わる(睦みあう)」ことで
邪気が発生すると考えられてきました。
その邪気をはらうために始まったのが、
追儺式(ついなしき)、
いわゆる鬼やらいの行事です。
儀式の起源は中国の周の時代とも言われ、
方相氏と言われる
黄金の四つ目の持った役人が
疫鬼を追い払う行事だったものが、
時代と共に少しずつ変化して
現在のような形になりました。
本来「鬼」というのは
疫病や 悪い病気の象徴であり、
具体的な形では登場しなかったのですが、
行事が繰返される中で、
追いはらわれる役割の者を
目に見えるわかりやすい形で登場させようとしたのが、今日の鬼の姿だそうです。
鬼は、鬼門と言われる
北東(うしとら)の方角からやってくるため、
牛の角と虎の皮で出来たパンツを着ています。
「日本文化は裏切りの文化です。
裏切りというのは悪い意味ではありません。
鬼にとどめをさすのではなく、
お祓いして本来の場所へ帰っていただく。
というのが、本来の節分行事の主旨です。
鬼は時には、鬼神といって神にもなるし、
人間もまた鬼になることもある。
陰と陽が共存しているのが、
世界のありようであって、
善悪の二元論で語ったり、
これが正解というように
白黒をはっきりさせないのが
日本の神道の考え方です。」
今回のお話の間、高野さんは、何度も
「これが正解というものはありません。色々な解釈や、方法があって当然なのです」
という事を強調されていました。
現在の吉田神社では、
地元の神楽岡(かぐらおか)町の追儺保存会によって行われる
「追儺式(ついなしき)」のほか、
「火炉祭」(かろさい―古いお札やしめ縄を燃やす行事)、
「節分後日祭」を中心に、三日間にわたる節分大祭を行っています。
第一部では、この節分大祭のメイン行事である「追儺式」の様子を実際の写真を用いて、
紙芝居風に紹介しました。
神楽岡町の追儺式保存会会長である藤村さんにも
実際に儀式で使用されている衣装のご提供の他、
この紙芝居の解説にご協力いただきました。
追儺式の主な登場人物は以下の通りです。
儀式は、約20分間かけて行われます。
斎場には、儀式を司る奉行、陰陽師、齊郎が着座されています。
そこへほら貝の音色と共に行列となって、
上卿と、殿上人と衛府官人、続いて方相氏と?子、舎人が現れます。
陰陽師が大祓の詞(ことば)を奏上した後、
斎場の四方を祓い清め、神前に小豆やお餅など、力を与えるとされる食べ物をお供えします。
そしてまた祝詞を唱え、国の平和と人々の平和を祈願しているところへ
赤青黄の三色の鬼が斎場の周りを暴れ、まわりの子供たちを
脅しながらやって来ます。
方相氏は、盾と矛を打ち合わせながら、鬼を追い詰め、鬼の力を弱めていきます。
鬼が退散した後は上卿と殿上人が鬼やらいの矢を三度放って儀式が終了となります。
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誠実にお話をしてくださる高野さん。
いつも参詣される方にも丁寧に接しておられる
その人柄がわかるお話でした。
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写真を使って
追儺式の流れを見ていただきました。
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