講演後にある方が
先生にこう言っていました。
「家には祖母が持っていた火焚きの道具があります。
幼い頃は秋になると
祖母が家の前で火を焚いていましたが、
これが何を意味するのか今日ようやく分かりました。」
火を用いた祭りや行事は
今でも時々目にします。
その「火」に込められた 想いや意味を
今回の講演によって
初めて知った方は多いのではないでしょうか。
それを知ることで、 時空を超えて
先人と心を通わすことが出来たように思います。
火を操ることは人間たる証であり文明を進化させました。
そして何より、色々な祭りや行事にみられるように、
火は人の心の隣にいつも寄り添ってきたことが分かります。
現代における住まいの中には形を変えた火熱がふんだんにあります。
それは物であったり暖であったりします。
先生は、火を「恩恵と脅威という、相反する特性を併せ持った存在」と表現されていました。
しかしながら、現在ではその「脅威」の部分が取り除かれ身の回りに存在しているようです。
家の中を見渡しても、活きた火、炎は見えません。
それは家内安全にも繋がりますが、どこか物悲しい。
私は小さな盆地で育ちました。
幼いころから秋には近所の庭の
あちらこちらで焚き火を目にし、
我が家でもよく焚き火で
焼き芋をしていました。
こうして家族で火を囲んで、
知らず知らずにその暖かさ、
火の危険と防火、周囲への思いやり、
作物への感謝、家族の団欒などを
学んでいたのかもしれません。
活きた火が生活から消えていくのは、
親から子へ受け継がれる
それらの伝承を無くしているようで寂しい気もします。
近所で見かけるお火焚きや焚き火。
そこには自然と人が集まり
言葉を交わしたり手をかざしたり、
そこに思い出を映したりします。
目の前に見える火は猿人や原人、
そして縄文人が見つめていたものと何ら変わりはないのでしょう。
火のメカニズムが解明された今も尚、ゆるゆると燃える火の神秘性を前に
人の心は揺れ動かされます。
心の奥底に深く根付く記憶が呼び起こされているのかもしれません。
火には暖を取ることや灯りを点すことの他に
宗教的・象徴的な役割もあります。
そして後者の役割として火は、
地域で大事に守られ、
今も聖なる火として全国の神事や祭事に用いられていることが分かりました。
家の中では今、暖房や乾燥や料理や照明など、
火は役割を分割されて確かに存在しています。
しかしそれらが私たちに与える意味と、
神事などで用いられる火の本来の姿が
私たちにもたらす精神的力は別のものです。
今回、本来の火の姿と日本人との繋がりを知ることが出来ました。
受講された方々も今度出会う火まつりが今まで以上に趣深いものとなることでしょう。
昔の生活が良かった、というわけではありません。
ただ、連綿と受け継がれる火への人々の祈りや想いが
神事や祭りとして今も確かにあるという事実を忘れてはいけないと思うのです。
そこには世代間の絆を確かめ合う「火」という存在もあります。
「火」は以前に比べると身近ではなくなったものの、大事に受け継がれ今もどこかで焚かれています。
そうして過去と現在、未来へと人々の心を紡いでいるのではないでしょうか。