2004年11月に山形県遊佐町にある遊佐中学校で行った
辰野勇氏の講演の様子をご報告いたします。

   


平成16年(2004年)11月26日、山形県遊佐町にある遊佐中学校で、第三回目の和の学校講師派遣事業が開催されました。

PTAの方から 「最近、将来に向けての目標や夢を持てず、元気の無い生徒達に、夢や希望を持てる話をして欲しい。」と熱心に相談があり、冒険家でアウトドアメーカーのモンベルの社長でもある辰野勇氏にお話をして頂きました。


山形県の庄内平野にある、遊佐町立遊佐中学校は全校生徒六百名あまり。

この季節には白鳥が飛び、鳥海山(ちょうかいさん)は雪を頂き、本当に美しい風景に囲まれた地です。

当日の鳥海山の様子です。

遠方ということもあり、実現するかどうか心配でしたが、遊佐中学校のPTAの方々の熱い思いとご努力で、実現することができました。





PTAの方のご紹介のあと、アウトドアウエアに身を包んだ辰野さんが
颯爽と壇上に上がり、お話が始まりました。


志を立てる

おはようございます。今、ご紹介いただいた辰野です。

みんな、モンベルなんて聞いたことないよね。テントとか、リュックサックとか、山登りなどのそういうものを作る会社です。大阪にあります。
僕はそこの会社をやっています。

今日は少し関西なまりの講演になります。こっちの言葉とちょっと違うよね。
わからなかったら「今のわからなかった、教えて」と言って下さい。


君達は、13、14、15歳…そのくらいだよね?

昔は14歳が元服だった。もうそういう意味では君達はもう大人です。

今は成人式というと20歳だけど、僕はそうは思わない。
14歳は立派な大人です。
将来を考えるとき。

ついこの間、岡山の中学校で話をしてきました。それは「立志式」と言って「志を立てる」という式でした。

つくづく思うんだけど、14歳というのは、皆さんがこれからどういうふうにしたいか、と考える時期じゃないかと思います。
本当に大人だと思います。

今朝、庄内空港に着いて、ここまで車に乗っけてもらって来たんですけど、今日は天気が良いしね、山がすごくきれいに見えました。鳥海山。
2300mちょっとかな。君達は素晴らしいところに住んでいる。本当にうらやましいです。

僕は大阪の堺市に生まれて、8年前までそこに住んでいました。

今は奈良に住んでいます。

堺市は自然なんて全然なくて、でも南の方へ行くと「金剛山」という山があります。
金剛山って知ってるかな。1812m、鳥海山の半分くらいの高さ。その山が近くにありました。

小学校の高学年になったらみんなその山に登りに行く。

この辺でもそうなんじゃないのかな?みんな鳥海山に登るんじゃないの?

僕も小学校6年生の時に金剛山に登ることになったんだけど、僕は体が弱かったんだね。もやしっ子でした。だから弱虫で連れて行ってもらえなかった。くやしかったね。すごくくやしかった。

でも山が大好きだったからね。

中学校のときに近くにある里山や丘で、少しずつ山歩きをするようになった。そして高校くらいで人並みに山歩きができるようになりました。

その頃、国語の教科書に「白い蜘蛛」という文章が載っていました。
ハインリッヒ・ハラーが書いたものです。
ヨーロッパには三大北壁というのがあって、そのひとつ、スイスにある「アイガー北壁」に最初に登った人の登攀(とはん)記、冒険記です。

北壁の下から見たら2/3のところに白い蜘蛛が手足を広げたように見えるところがあって、それが本のタイトルになっているんです。
そこは雪崩が多くて、遭難する人が多かった。ハラハラドキドキする文章を書いてある。
カッコいいなぁ!登ってみたいなぁ!って思ったわけ。

標高は3700m、富士山と同じくらいの高さ。そこに垂直の崖がある。1800mの崖。そう、鳥海山をナイフで縦に切ったような感じ。

日本人は誰も登っていなかった。だから「よし!日本人で初めて登ってやろう!」って思った。

それからもうひとつ夢を持ちました。自分は、山に関係した商売を自分で始めたい、と思ったんです。

16歳の時に、この「二つの夢」を持ったわけ。

その時から、最初にやったこと、なんだと思う?貯金箱を作ったんです。夢だけでは叶えられないからね。ヨーロッパへ行く費用もいるから、おこづかいを貯めた。

それからトレーニングも始めた。

そうこうしているうちに素晴らしいパートナーとも出会って、彼と二人でトレーニングを始めた。日本アルプスに登って、凍傷になって指を落とす寸前までいったりね。

最初は10年後にと思ったけど、とんとん拍子に話が進んで5年後、21歳の時、2週間かけて命がけの旅に出ました。

今はヨーロッパに行くのも簡単だけど、当時は大変だった。

横浜から船に乗ってナホトカ、そこからシベリア鉄道で10日くらいかけてモスクワに入って、そこからヨーロッパに入りました。もう帰って来られないんじゃないかという決心ででかけました。

そして北壁まで行って見上げたら、とんでもなくでかい!
でもね、ちゃんとルートを研究している。ソラで暗記しているくらいに研究していたからね。

登っていって、やがてその「白い蜘蛛」のところに差し掛かった。

本でも雪崩に遭うんだけど、やはり僕達も雪崩に遭いました。相棒とロープで二人をつないでいるんだけど、そのロープが切断される寸前だったり。そういう体験をしました。

それに北壁だから日が当たらない。その間は氷や雪も固まってるんだけど、ときどき日がぽっと当たった瞬間、それが解けて流れて袖口から入って身体をつたってくるんだよね、それがすんごく冷たい。そんな厳しい登山でした。

それで二人で、頂上まで登れたら、地中海かフランスかどっか、暖かいところで美味しいものを食べよう、って言い合ってたね。

そしてようやく頂上に着きました。

僕らが着いたのは、ハインリッヒ・ハラーが登ってから60パーティー目。そのうち60人の人が亡くなっている。登るか死ぬか、1/2。

頂上は本当に小さくて、このテーブルくらい。笑い話みたいだけど勢いあまって向こう側に落ちてしまった人もいる。それくらい頂上が小さい。二人で肩を寄せ合って立ちました。

その南側にアレッジ氷河というのがある。ずーっと南側に連なっている。凄まじい情景でした。そのむこうに雲海があって、山が見える。
そのうちのひとつ、マッターホルンという山があるんですが、それが見えていました。それも三大北壁のひとつ。それを見たとたん、「次はあれだ」って言い合ったんです。

あれほど、地中海で美味しいものを食べようと言っていたのに。

結果としてそれも登りました。
当時としては最年少21歳、最短時間21時間という記録を作りました。


もうひとつの夢、会社を興す話。

16歳の時、28歳になったら山に関係する商売を始めようと思ったこと。なんで28才なのかな。28歳ってみんなにとって大人だよね。それくらいになったらできるかな、と思った。

僕が行っていた高校は普通校。お父さんもお母さんも僕が大学へ行くと思っていた。僕も思っていた。
でも、「白い蜘蛛」に出会って、28歳で会社を興すことを考えてたら、4年間大学で勉強する意味がわからなくなった。
それなら実社会で勉強しようと思いました。

そこで、お父さん、お母さんに「これから長野県の信州大学の入学試験を受けてくる」と言ってウソついて、リュックサック担いで、アルプスの穂高という山に登って帰ってきました。
そして「お父さん、ごめん。試験上手くいかなかった」ってウソついた。

みんな、ウソついたらダメだよ。でも、志のあるウソならいいかな?

1冊の本に出会って、28歳で会社を始めるなら実社会で勉強しよう、と思った。
だから大学にも行かなかった。勉強もできなかったんだけどね。

歩き続けること

「お父さんはいつも脊椎でものを考えている」と娘に言われます。
脳に神経が行く前に動いているんだって。ようするに、あまり考えずに行動してしまうんです。


例えば、もし、崖の上に花があって「欲しい」と思う。

その途中には川があって渡らなければならない。
渡れないし、崖の上だから危ないしケガをするかもしれない。

ある人は「無理だな」と思ってあきらめる。
ある人は「どうやったらとれるかな」とそこで考える。

僕の場合は、「欲しい」と思ったらもう歩いているんです。

まず歩き出す。もう歩き出している。歩きながら考える。

川があったら、どうやって渡ろうかな、と思う。
「渡れない」と思ってあきらめるんじゃなくて、行ってみなけりゃわからない。
もしかしたら周りを見渡して、木が落ちていて工夫すれば橋になるかもしれない。
渡る努力をする。

または、下流に向かって歩く。そして浅瀬を探して渡る。
他人から見たら、全然違う方向に歩いているじゃないかと思われるけど、でも自分はあの花が欲しいと思って歩き続けているから方向は間違っていない。だから遠回りになるけど歩き続ける。

歩き続けるって大事だと思う。

渡れたら崖の上にある花をどうやったら取れるか、考えてみる。
歩き出さなければ何も始まらない。出会いもない。


友達が言います。「辰野おまえ失敗って観念がないやろう」と言います。

失敗って何?

失敗はそこで終わるから失敗なんです。
改良したり、やり続けたら成功するんじゃないかな?

僕の場合は「アイガー北壁に登りたい」「会社を作りたい」と思い続けて歩き続けた。
そうしたらチャンスが来るんです。

素晴らしい山登りのパートナーにも出会ったしね。いろんなところでのチャンスがあるんです。

あきらめたときに、その夢は終わる。

そこで終わるから失敗なんです。やり続けていれば成功するんじゃないかと思います。

チャンスはやってきます。チャンスは誰にも平等に降り注いでいるはず。

パートナーと出会ったりするのもチャンスなんです。
たいていの人はチャンスが来て、通り過ぎたときに気づくんです。
本当にチャンスをモノにする人は、日頃チャンスが来る前から「思い続けている」人。
思い続けていたら、役立つものがやってくる。「思い続けること」「歩き続けること」はとても大事だと思います。


みんなは何になりたい、って決めてる?

何したい?ちょっと降りるぞ。
(と舞台から降りて、前列の生徒にマイクを向けて)(みんな「まだ決めていない」との返事。)
ほんと?何も決めてないの?何でもいいよ。花屋さんとかパイロットとかさ、あるでしょう?

うーん。どんなことでもいいから、とにかく思い続けることが大事。

僕は鳥海山を見て「登りたい」と思った。
そう、「鳥海山を見て、登りたい!と思った」…そんなことから始まるんだよ。

鳥海山ってどこにある?そう。あなたたちの生まれた「ここ」にあるんです。

全ての原点は、「この生まれた場所」から始まる。

僕は一年の半分くらい、外国へ出かけます。

外へ行けば行くほど「日本がいいなー」と思う。ふるさとが良いです。



自分の意見を言う
アメリカの小学校で話をしたことがあるんです。

何か質問は?って聞いたら全員が手を挙げる。
「はい、君」ってあてたら立ち上がって、それから「えーっと」って質問を考えるんです。
これがアメリカの文化。

日本人は恥ずかしがりやでしょ。
それは良い面もあるけど、世界に出て行ったとき、不利になる時がある。

「自分だけが飛び出ない」「みんなといっしょにやろう」…
それもいい面かもしれないけど、もう一方で自分の意見が言えなかったり、「お腹が減った」「お腹が痛い」と言えないと困るでしょう?

自分の意見を はっきり言えるようにならないといけない。

僕の娘が自分の子どもに、つまり僕の孫にそういう教育をしたんです。
絶対手を挙げろって。

参観日にやはりその孫は「はい!」って手を挙げたんだって。そしてあてられて「わかりません!」って言ったんだって。これって恥ずかしいよねぇ〜。

でも、それくらい自己主張するのも良いことだと思います。大事なことだと思います。

僕は高校生の時に「山登りが好きな人!」って聞かれて、ものすごく好きなのに、恥ずかしくて手を挙げられなかった。自分はとても好きなのに。

それがずっと、今でも心の中に残っています。


山登りをなんでするんだろう。
僕は2分の1の確立で人が死ぬ山登りを挑戦したりします。なぜそんなことをするんだろう。

僕はね、人にできないことをやることが良いことだと思っているフシがある。

命がけでやるのが良いなんて思っている人は少ないよね。

アメリカの学者にその話をしたら、誰も彼もが命がけでやることが良いことだなんて思ってないんですよ、って言われた。
それがいいことだと思ってる人は、全人口の中の0.3〜0.5%くらいだって。

でも、きっとこの中にいる何人かはそういう人がいると思うなぁ。

そういった変わり者が、この世の中を引っ張って行っているんだとその学者は言った。

医療の分野でも、華岡青洲とか、野口英世とか、立派な学者がいるでしょう?命がけで薬を発見したり、誰も知らなかったことを探してきたり。そういう人が日本にも「一握り」いたんです。
そういう人が、この世の中を引っ張って来たんです。


ある友人で北海道の獣医なんですが、キタキツネとか調べているが面白いアリンコの話をしてくれました。

働き者と言われているアリンコ、でも本当はそうではない。
本当に一生懸命働いているアリは2割。あとの8割はサボっているんだって。

そして、その8割をひとつの集団にすると、そのうちの2割が働きだすんだって。

2割の働いていたアリを一つの集団にすると、その中の8割が遊びだしたんだって。

自然のしくみってそんなもんだね。人間の社会は100%の人間が働くよう工夫してきた。

日本の社会は、みんなで一生懸命手をつないでいくことを得意としてるよね。

でも、0.5%とか0.3%の、命がけで人のやらないことをやろうとしている人に対して、非常に冷ややかなところがある

でも、それでは世界に出て行ったとき良くない。
新しいことを生み出していった日本人がいたのに、今はそういうところがなくなってきています。

冒険家というのは、お金儲けができるからがんばっているのではなく、人がやらないことをやりたいからやっているんです。

そういう人、いる?手を挙げてみて。

うーん。きっと僕が高校の時に手を挙げられなかったみたいに、手を挙げられない人がいるんだと思います。

そういう人が会社の社長になったりするんです。
将来、社長になりたいと思っている人はそのくらいの気概が欲しいなぁと思います。

なぜ勉強するのか

すごく尊敬している先輩がいて、あるとき、面白い話をしてくれました。

レンガを積んでいる三人の男の人がいました。
「何をしているんですか?」って聞いてみた。

一人の人は「私はレンガを積んでいます」という。
一人の人は「私は壁を作っています」という。

そして三人目の人は「私は教会を作っています。自分の子ども達に、この教会はお父さんが作ったんだよ、と言うのを楽しみにしているんです」という。

同じことをしていても、これは人生の質が全然違う。生きがいが違う。
レンガを積みなさいと言われて、ただ積んでいるのでは、全然違う。

みんな、勉強しろ勉強しろって言われて勉強してるでしょう。
それが、何になるかまだ認識してないだろうけど、そうじゃなくて勉強したことが、やがて何かに結びついていくということを思ってください。
したいことを見つけることが大事なんです。

何で勉強するんでしょうか。
二つの理由があると思います。

ひとつは、みんなの先輩・・・お父さんやお母さん、先生などいろんな経験をした人が生きてきた中で、その経験を次の世代にバトンタッチしていくことなんです。

さっきのキタキツネを研究している人が言ってましたが、キツネの家族を観察していると、あるキツネの家族は泳ぐのが上手い、あるキツネの家族は木登りができる。それは遺伝子ではなく、それぞれの父母の姿を見て、そうなったんですね。いっこいっこ受け渡されていくのです。それが勉強という形です。

もうひとつは、生きる力を身に付けるため。

勉強のできる人には共通点があるんだって。
「集中力」「持続力」「判断力」、この三つの力。これが勉強する過程で身につくんです。それが生きる力。大事な生きる力になります。

これを身につけるには方法は、実は無限にあって、勉強はそのうちのひとつなんだって。

実はね、僕はこの三つの力が人に負けないくらいあるんです。
勉強ではなくて、山登りで身に付けました。

サッカーや野球もそういったことを一生懸命やっているとそれが身についてくると思います。
これが生きる力になる。

やれない・やらない

でも、もうひとつ大事なことがあるんだって。それは「決断力」という力。

集中力、持続力、判断力があっても「決断」できなければならない。
山に行って、天候を見て、これから山登りを続けるかどうか、決断する力です。

大人が60年生きてきて、決断してきたことのない人がいるんです。
「僕は決断した経験がないんです」っていう人がいました。その人は、学校の先生なんですけどね。仕事を選ぶのもその人は「選択」はしている。でも、「決断」とは違います。
より困難な方を選ぶのが決断だと思います。
学校の先生なるのに「決断」したのではなく、「選択」したんですね。

何年か前に、幼稚園の園長さんの集まりに呼ばれて、今日みたいに話をしたことがあります。

その席で「辰野さんのこれからの夢はなんですか?」と聞かれました。外を見るとかわいらしい絵が描いた園児の送迎バスがある。

「あんなバスをキャンピングカーに改造して、日本中を旅したいですね」と言ったら、その園長さんが「使っていないのがあるので差し上げます」と言ってくださった。

子どもが少なくなって、バスが余ってるんだって。それでそのバスを貰い受けました。

トイレとか流しを付けて、屋根の上にはソーラーバッテリーを付けて、電話とFAX、パソコンを載せて、日本中を回りました。

九州から始まって、うちの奥さんと二人でいろいろなところを回りながら、あるときはきれいな山を見ながらモンベルのアメリカに英語で電話して、そしたらFAXが流れてくるんです。今はそういうことができるんですね。あちこちで仕事をしながら、そういう楽しい旅をしてきました。

帰ってきて「ありがとうございました。おかげさまで楽しい旅ができました」と幼稚園の園長さんにお礼を言ったら「辰野さんは良いですね。うらやましいですね」と言われました。

「先生もやられたらいいじゃないですか」と言ったら「いやあ、ぼくは幼稚園がありますから行けないですよ」とおっしゃった。

「いやできるでしょう」「いやできない」の繰返し…

たぶん、その先生はこんなのんきな旅をしているより、毎日園児の顔を見ている方が楽しい、心地よいんだと思います。

だから「やれない」のではなく「やらないこと」を「選択」しているんだと思います。

人はたいてい「やれない」と言うけど「やれない」んじゃなくて「やらない」んだと思う。

その考え方ひとつで「人生の質」が変わってきます。

私達には無限の「可能性」がある。みんな平等に。

すごいことをやることが良いことじゃなくて、自分の意思で生きていくことが大切なんだ、と思います。

障害者カヌー

10年くらい前に障害者のひとつの集団があって、ある寄り合いの中で一人の人が「辰野さん、僕にカヌーを教えてください」と言いました。

彼はCP(脳性麻痺)の人でした。

それを聞いて「そうか、カヌーって歩けなくてもできるな」と思ったんです。
それで、カヌーを教えようと思った。

障害者の人、ボランティアの人が集まって夏の暑い時、河原にテントを張って話を始めました。

でも、その輪の中に入ってこない一人の車椅子の人がいた。こっちに入ったら?と声をかけてもぷいっとそっぽを向いてしまう。素直じゃないんです。
その人は東京の成田に飛行場ができるのに反対運動をした人。トンネルを掘って管制塔をつぶそうとした人。でも、自衛隊の車にそのトンネルをつぶされて、生き埋めになって下半身が動かなくなったんです。世の中が面白くないんですね。

その彼にカヌーを教えた。なかなかまっすぐに行かなかったけど、30分くらいしたらまっすぐ漕げるようになった。


そしたら「辰野さーん!」って彼が呼ぶんです。
「俺なー、障害者っていうの忘れてたわー!」って言うの。

彼みたいな人を中途障害者って言います。
そういう人は必ず夢を見るんだって。野原を走り回っている夢。急に動けなくなった人はそういう夢を見るそうです。そして朝起きたら、愕然とするそうです。


そんな彼がカヌーに乗った瞬間、障害を持っている人も持っていない人も同じように動けた。
これはすごいことや。カヌーは歩けない人も同じように楽しめる。

でも、実はそれほど簡単なことではないんです。足の踏ん張りがきかないから不安定。その人は脊椎損傷なので、両手は動く。車椅子に乗っているから手の力がすごい。だから手だけで漕ごうとするんです。

でも、カヌーを漕ぐには手よりも身体全体でやった方が持続力がある。
しかし、彼は手の力が強いからどうしても手で漕いでしまう。何度言ってもわからない。

あるとき、近くのふれあいセンターのプールでカヌーを教えた。そこに君達と同じくらいの年代の男の子が入ってきました。

そのうちの一人がTシャツから手が出ていない。手のない人にカヌーを教えることはやったことがなかった。
でも、ここが工夫したり、知恵を出したりするところ。臨機応変に対応するべきところ。
こちらが慌てたら彼にも伝わるからね。慌てたらダメだ。

「うん、大丈夫」ってまず彼に言ってカヌーに乗って貰った。

そして「君、何ができる?」って聞きました。
「足が使えます。足で漕げませんか?」「いや、足はだめだなぁ」「そしたらパドルをあごにはさんでください」って彼が言いました。

でも、パドルは90度ねじれているんだ。だから手を返さないと風の抵抗を受ける。
そしたら彼はTシャツをぬいだ。彼はサリドマイドという病気で両手が無いんだけど、片一方だけが2センチくらい手が残っていました。

その手を使って、あごには痛くないようスポンジをまいてパドルをはさみました。
30分くらいやったら上手にできるようになりました。

それを傍らで見ていた、さっきの力の強い彼が「わかった!身体全体で漕げっていうのがわかった!」って言いました。

その姿を見て、鳥肌が立った。
腕のない中学生が、大の大人にカヌーを教えたんです。

神様からもらった身体を私達はどれだけ使っているかな?

2センチしかない腕を彼は最大限に使いました。

人間の可能性は本当に限りなくあると思います。

笛との出会い
…笛を吹けと言われたので吹きます。

これは渡辺貞夫さんという人とチベットに旅をしたときに中国で笛に出合いました。
チベットってどこか知ってる?

インドの上、中国の下。ヒマラヤ山脈があるところ。4000mくらいの高さの台地。鳥海山の倍くらいのところにみんな住んでいる。
そこを旅しました。

東のジャングルはヒルがいっぱいいたりしたけど、人がやさしかった。

どこに行っても、もてなしの心があった。
日本も昔はこうだったんだろうな、と思いました。

西の端にカイラスの山というチベット仏教とヒンズー教の聖なる山があります。
そこをみんな、五体投地をして旅をします。東の地から三年くらいかけて行くんですよ。それはもう、過酷な旅です。

我々もランドクルーザーに乗ってカイラスに行きました。9日間、毎日道のないところを行きました。途中で川を渡れず呆然とするドライバーがいましたが、一週間してからその道を通ったら、まだその人はいました。それくらい過酷なところです。

そんな時に、この笛を教えて貰いながら旅をしたんです。

〜「もののけ姫」〜

この笛はどこに行くにも持ち歩いています。


アッツ島での出来事
大金持ちの友人がいて、世界をヨットで一緒に旅をしたことがあります。
そう、この体育館くらいのヨットを持っています。

他のメンバーは、地質学者と海洋学者。そしてなぜか不動産屋さん。
実は、その不動産屋さんのお父さんが第二次世界大戦の中将だったんです。その人の子どもなのでとても戦争について詳しい人でした。

カムチャッカ半島のペドロパブロフスクというところ…ここはロシア領…一日に熊を17頭も見ました…そこからヨットで行ったのですが、一ヶ所…あとで世界地図を見てください…しゅっととんがって日付変更線がある。そこがアリューシャン列島のアッツ島。ここはアメリカの領土。

いろいろなところに寄港しながら、そのアッツ島に行きました。

第二次世界大戦の時、長野の大隊がいて10代から20代の若者が戦って玉砕したところ。激戦の地だった。全員死にました。
日本人はそこにめったに行かないけれど、たまたま僕は機会があって行きました。

夏でした。
花がたくさん咲き乱れたとてもきれいな島でした。

でも一見きれいだけれど、よく見たら爆弾や薬きょうの残骸がごろごろたくさん落ちている。60年前のものです。

艦砲射撃というものを受けて、島の形が変わるくらいになっていました。
小高い山をどちらが取るかで勝敗を決したそうです。

60年前に2638人が玉砕し、たった27人だけが生き残った絶海の孤島です。アメリカの兵隊さんも700人くらい死んだそうです。

皆さんより少し上の年代、17〜18歳、20歳。お父さん、お母さんと離れて死んでいったんです。悲しいと思いました。

山の上に日本兵とアメリカ兵の慰霊碑があって、お参りしました。
8月でしたが霧が多いところで、そのときも霧が出てきました。何も見えなくなりました。

霧の中で赤や青、黄色の花が咲いていて、なんだか日本の兵隊さんが語り掛けてくるように思えて、日本の曲を吹いてあげようと笛を吹きました。

「ふるさと」「竹田の子守唄」とか。
5曲くらい吹いたかな。日本の懐かしい曲。童謡。

 〜ここで「竹田の子守唄」を笛で演奏〜

そしたら霧がさーっと晴れて青空が見えて、虹までかかった。

ああ!日本の兵隊さんが喜んでくれたんだなぁ!と思いました。

そして、さあ、帰ろうとしたら錨が上がらない。いくらいろいろやっても上がらない。

そこでもう一度笛が聞きたいのかな、と思って「ふるさと」を吹きました。

吹き終わったら…とたんに…錨がガラガラガラ…と上がって、出発できました。
振り返ったら、もう島は霧がかかって見えなくなっていました。


今、アフガニスタンとかイラクで戦争が起こっているでしょう?

戦争で命が失われていっています。
ついこの間まで日本人もその恐怖にさらされていました。

やはり平和でないといけない。平和が大切。

平和であるというのは「思いやり」だと思う。自分の価値観を押し付けてはいけない。

僕は山登りをするけれど、山に登りたくない人もいます。
テレビ見ていたい、ゲームしていたい、っていう人もいる。
その人にむりやり山登りを押し付けることはしません。

相手の立場でものを見ることが大切です。

日本人は昔から思いやりを大事に生きている。

話がもどるけれど、郷土の文化とか、自然から、いろいろなものが育まれてきたことを思い返して欲しいと思います。

〜コンドルは飛んでいく〜

これで、僕の話は終わります。

質問はありますか?と言っても手は挙がらないだろうけどね。

みんな、これから自分の意見を言えるようになってくださいね。




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