色の日本史

 

自然風土と色】

本来、色の調和や不調和の判断は、人間が自然と共生する中で、生み出されてきたものです。だから、砂漠に住む人々と日本人のように四季に恵まれた人々の間では、色の感覚が異なってきたのです。
砂漠の色は、空の紺青と太陽で光り輝く砂の黄金色の、たった2色で構成されていると言われます。それが、モスクとミナレット(尖塔)に象徴されるイスラム美術の原点を形づくります。いたるところ豊かな自然に恵まれている日本は、それらとは全く異なる、まさに色とりどりの色彩を、楽しんで来ました。それが今日、「日本の伝統色」という形で整理されるものです。

モスク
ミナレット(尖塔)
 

極限までの人工的配色
現代の都市生活には、あらゆる色が氾濫しています。それは自然が配色する、色の恩恵ではなく、人間が人工的に生み出した色のオン・パレードです。周囲の景観と調和した美しい色もあれば、商品や建物にひたすら自己主張をする、ショッキングな色も多い。現代では、色は、自然との調和や自然を模倣する色使いから遠く離れて、人工の極致を色の表現に求めています。
広告宣伝の世界、ファッション世界、アートの世界では、色は、自己主張と差別化の根拠として無際限にまで拡張されて扱われています。
それは移ろいやすく、時代の気分と感覚を表す「流行色」として表現されます。

 
時代を表す流行色
たとえば、ひたすら高度成長を走る1960年代には、それに反抗する人々の間で、ピーコック革命やサイケデリックの色が好まれました。1970年代の工業化社会の歪みから公害が社会問題になりはじめた頃には、生活者意識も、それまでの使い捨て志向から質素、実用性志向が強くなり、アースカラーやナチュラルカラーがもてはやされました。1980年代では、成熟した社会を表すかのように、大人好みのモノトーンの色彩が好まれました。
このような流行色は、ファッションの世界では、生み出されるものではなく、生み出すのもとして、計画的に行われています。
世界的には、インターカラー(国際流行色協会)、日本では、日本流行色協会(ジャフカ)として組織され、ファッション業界をはじめ、自動車、家電、インテリア等さまざまな業界が、色のムーブメントを起こそうとして計画しています。

1960年代

サイケデリック
1970年代

アースカラー
1980年代

モノトーン
自分のものにする、色なれ(熟)の時代へ
こうした色の氾濫と流行色の存在は、逆に、日本人の色の感覚を弱めていることも指摘されるところです。プラスチック製品、テレビやコンピューター・ディスプレー上の色、差別化のためだけに独自な配色をするファッション。こうしたあまりに人工的で、あまりに移ろいやすい色の消費は、風土になじみ、生活を楽しむ、時に心を癒すという色の根源を忘れがちにさせます。
谷崎潤一郎は、日本人はなんでも作られたものを享受するのではなく、ひとが使い込んで時間が経過した後、はじめて美的完成に近づき自分のものにするのだと言っています。(「陰翳礼賛」)それを谷崎は、「なれ(熟)」と呼んでいます。
これを色にあてはめて考えれば、モノの色も、建物の色も、景観の色も、その色が雨風にさらされたり、人に使い込まれて、色は人に馴染んでくるということになります。色は、移ろいやすく消費するものではなく、ちょうど生木の色が、使われて人の脂がしみこんでなじんでくるように、 人が使い込み、なじんで始めてその価値を発揮するものではないでしょうか。