色の日本史

【原始・古代の色ー呪術としての色】

原始時代においては、色に対する反応は、人間もまた、動物と同じように 、自己防衛本能としてとらえられていたのではないかと想像されます。危険を察知するものとして、色への関心があったのではないかと。そして自然の変化や環境の変化の尺度としてあったと考えられます。そこから、次第に、身を守る色としての自覚が生まれ、さまざまな呪術に活用することが考えられました。たとえば悪霊から身を守ったり、獲物や収穫が多いことを祈願するのに色は活用されました。それは、呪術師の身体や顔に顔料を塗ることで始まったといわれています。
また、神に祈りを捧げ、霊験あらたかとされるものに、珠玉の類があります。珠玉は色を失わずに、磨けば磨くほど輝きを増すことから、生命の象徴として神秘的な光沢とともに神聖視されていました。珠玉は、真珠、水晶、瑪瑙などからつくられ、特に真珠はもっとも神聖視されていたといわれています。日本人は、古代から白を清浄なものとして考えていたようです。
後の奈良時代の養老衣服令の「服飾等差」(服飾の序列)では、紫が臣下最高位の色になっていますが、さらにその上に、白は天子の色、黄丹は皇太子の色となっていました。ただ、ここでいう白は、白色ということではなく、白き帛(きぬ)のことで太陽の白光を意味し、すべての色を照らすものとして捉えられていたといわれています。また、古墳などにいっしょに葬る呪物類は、赤土で着色されていたことは、考古学上でも明らかにされており、赤色もまた、特別視されていました。


【古代人の色の感覚】

「日本書紀」や「古事記」などにでてくる 色は、あか、しろ、あお、くろの4つが主なものとされています。しかし、現代人のように色彩感覚があって色名が識別されていたのではなく、「明」「漠」「暗」の光の程度を表していたのではないかといわれています。

「あか」は、あざやかで明るいととらえられ、太陽に由来すると想像されています。 「しろ」は、夜が明けようとするときの「夜が白ける」という明るくなるときの状態をさしていたようです。
「くろ」は「暮れてくる」ことをさしていたと考えられています。 「あお」は、明と暗の中間の漠とした感じでとらえていたようです。

古代人の初期の色名は、このように「あか」「あお」「しろ」「くろ」の4つの名称で区別し、
色彩というよりも、明暗の段階を意味していました。