【古代の色名】
古代の色の名称が、どんなであったかをわかるには、当時の遺品があれば一番いいのですが、数が限られます。それで、平安初期にまとめられた禁中の儀式や制度について律令「延喜式(えんぎしき)」のなかに、「延喜縫殿式」という染色の基準を示した文書があります。これは、奈良時代から平安時代にかけて、染色の材料・用途が細かく示されています。しかし、当時は色の区別もまだ厳密になっておらず、そこに記された色名は、幅をもって理解しないといけないでしょう。

蘇芳のことが書かれたページ
これによれば、奈良から平安時代にかけての古代の色は、赤色系統が15種、橙色系統が2種、黄色系統が9種、緑色系統が4種、青色系統が7種、紫色系統が8種、黒色系統が4種、茶色系統が9種、そのほか白と雑種が7種あるといわれています。 しかし、同じ色を別の名前で呼んでいる例などもあり、まだ色名の区別が確立されるまでにはいたっていなかったようですが、後生の基本となる色名は、この時代に出そろっていたといわれます。


【冠位十二階に定められた色の尊卑】

当時の人々の色に対する感覚を見るためには、603年に制定された冠位十二階によるのが、ひとつの手がかりです。冠位十二階は、冠の色と服飾の色で、位をあらわし、上下の身分の区別を定めた律令です。 冠位の色は 、上位から順に、 紫 、青、赤、黄、白、黒となります。自分の地位以上の服色をまとうと、罪に問われることになりました。上位のものは、位以下の色を使うことは許されました。だから、奈良時代は、「色彩歓喜の時代」ともいわれました。ただし、百姓や無官の人は、黄と黒に限定されていました。

これは当時の中国の随の官制にならったものでありましたが、随では、紫、緋、緑の三色に対して、日本では、陰陽五行説の五色を採用し、紫だけが同じです。

元正天皇
養老令
養老年間
(717〜724)
諸臣三十階
文武天皇
大宝元年
(701)
諸臣三十階
持統天皇
4年 (690)
諸臣
四十八階
天武天皇
14年 (685)
諸臣
四十八階
天智天皇3年
(664)
二十六階
孝徳天皇
大化5年
(649)
十九階

孝徳天皇
大化3年
(647)
十三階

推古天皇
11年(603)
十二階
 
黒紫
四品 以上
黒紫 明
朱華 明
朱華 明
 
 
 
 

黒紫 一位
黒紫 浄
黒紫 浄
朱華 浄
 
 
 
 

赤紫二〜五位
赤紫 浄
赤紫 浄
黒紫 一位
黒紫 正
赤紫 正
深紫 正
深紫 織
大織
深紫 織 
大織
深紫 織 
大織
紫 徳
大徳

小織
小織
小織
小徳
赤紫 二位
深紫 縫
大縫
深紫 繍
大繍
深紫 繍
大縫
青 仁
大仁
小仁
赤紫 三位
赤紫 正
小縫
小繍
小繍
深緋 四位
深緋 直
緋  直
浅紫 直
浅紫 紫
大紫
浅紫 紫
大紫
浅紫 紫
大紫
赤 礼
大礼

浅緋 五位

浅緋 直
小紫
小紫
小紫
小礼
深緑 六位
深緑 勤
深緑 勤
深緑 勤
深緋 錦
大錦
緋 花
大花
真緋 錦
大錦
黄 信
大信
小錦
小花
小錦
小信
浅緑 七位
浅緑 務
浅緑 務
浅緑 務
紺 山
大山
紺 山
大山
紺 青
大青
白 義
大義
小山
小山
小青
小義
深縹 八位
深縹 追
深縹 追
深葡萄 追
緑 乙
大乙
緑 乙
大乙
緑 黒
大黒
黒 智
大智
小乙
小乙
小黒
小智
浅縹 
大初位
浅縹 進
浅縹 進
浅葡萄 進
黒 建武
大建武
黒 立身
黒 建武
 
少初位
小建武


【陰陽五行と色】


 

中国古代の陰陽五行説は、宇宙の諸現象を天地・陰陽の二気の作用と考え、その作用は、木・火・土・金・水の五行によるものとされていました。そして、五行にそれぞれ色を配置し、なおかつそれぞれ正色と間色の二つに分けました。正色は正当の地位のある人の色に対して、間色は、正当の地位のない人の色のことです。


木ー青(正色)、緑(間色)
火ー赤(正色)、紅(間色)
土ー黄(正色)、瑠黄(間色)
金ー白(正色)、碧(間色)
水ー黒(正色)、紫(間色)



   
   

紫色

紫は、冠位十二階制定当時は間色であり、最初は、卑しんでいたそうですが、色の品位と高価な染色のために、また随や唐の影響のために、徐々に紫を尊ぶようになったといわれています。 平安時代になると、優雅な色、愛しき人の色という表現に用いられ、理想の色と考えられていました。